今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -36ページ目

今日という日【2月18日】

■総力戦演説

1943年2月18日。

総力戦演説」とは、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの旗色が悪くなり国家総力戦が必要となったため、宣伝相「ヨーゼフ・ゲッベルス」によりベルリン・スポーツ宮殿において、慎重に選ばれた大勢の前で行われた演説である。この演説はゲッベルスの行った演説の中で最も有名なもので、演説はナチス幹部によって、ドイツが深刻な状況に直面しているという最初の告白となった。ゲッベルスはドイツの存続を断言、西洋文明の存続が危ぶまれるため、長く困難が存在しても、戦争を継続するようドイツの人々に演説した。

ゲッベルスは「2000年に及ぶヨーロッパの歴史は危機的状況にある」と結論し、ドイツの失敗をユダヤ人のせいにした。ゲッベルスはソ連の総動員を「悪魔的である」と言及し、それを「我々が同一でなくとも、等しい方法で総力戦を戦い抜かない限り、我々はボルシェビキの脅威から逃れることはできない」と説明した。その後、ゲッベルスはそれに対応する臨時処置について演説し、実行される緊縮政策を正当化した。
歴史上、演説は、当時ドイツは処々の問題に直面していたが、ナチス主導のスローガン「嵐を巻き起すのだ!(独:Und Sturm, brich los!)」の下、戦争を続けるために国家の総力を動員することを可能にしたという点で重要な出来事。ゲッベルスはドイツは妥協も代案も考えておらず、「ドイツはただ、この厳しい戦いのみ考える」と主張した。

ゲッベルスは演説の中で次のような質問を聴衆に投げかけ、聴衆の熱狂的な「ヤー(そうだ)!」の嵐を引き出した。これにより、ドイツ人が勝利への希望を失ったという連合国の主張を否定することを試みた。
「イギリス人どもは、ドイツ国民が勝利への信念を失ってしまったと主張する。しかし、私は諸君に尋ねる、諸君はドイツの最終的な、完全なる勝利を総統とともに、我らとともに信じているか?
イギリス人どもは、ドイツ国民がますます過酷となる戦時労働に嫌気が差していると主張する。ならば私は諸君に尋ねる、諸君ドイツ国民はもし総統が非常事態に命じるならば、10時間、12時間、必要とするならば14時間働く決意があるか?
諸君は総力戦を望むか?諸君は必要とされるならば、我々が今、想像する以上の全面的で徹底的な戦争を望むか?」

観衆は狂信的歓声でこれに答え、ドイツ全土に大きな影響を引き起こした。

おもてなしタキシード隊2013

『今年も参加』

ども!TK89です。
改めて告知させていただきます。

2013年3月10日に開催される名古屋ウィメンズマラソン2013の参加ランナーをおもてなしさせていただく「おもてなしタキシード隊」に今年も選ばれましたぁ。
改めて地元名古屋で開催される大会を一緒に盛り上げられることに嬉しさを覚えてます。

昨日は名古屋タカシマヤでPRイベントも開催された。私は個人的な事情により参加できなかったんですが、初代おもてなしタキシード隊で、今年もご一緒できるメンバーも参加していたということで、やっぱり行きたかったなぁ。

さて、名古屋ウィメンズマラソン2013開催まですでに1ヶ月を切った。ランナーの皆さんは各々ワクワクドキドキしながら準備をしてるんだろうな。
私的には、ちょうど1ヶ月前くらいに走り初めといった感じで「みのかも日本昭和村ハーフマラソン大会」に参加した。
$今日は何の日?【トリビアン】で雑学王
初めてのハーフマラソンに参加。完走したけど、左膝に爆弾を抱えることに。フットサル、サッカー、ランニングと、走れば違和感から痛みへと。病院に行こうと思います。よい整形外科がございましたら教えてください。
$今日は何の日?【トリビアン】で雑学王
しかし、改めてハーフマラソンを走って感じた。42.195kmを走りきることのスゴさ。だってその半分走って膝壊れちゃったもん。相当スゴいと思う。2013年中にフルを走ろうって目標持ってるけど、膝の痛みに挫折しそう。

そんな経験もあるからこそ、名古屋ウィメンズマラソン2013を走る全てのランナーに敬意を表し、精一杯おもてなし致したい所存で御座います。

名古屋ウィメンズマラソン公式HPはコチラ
名古屋ウィメンズマラソン

2月20日までファン投票開催中
おもてなしタキシード隊
なんだか僕の写真、日曜日のお父さんな感じになっちゃってますが、よろしければ、八木に清き一票をっ(笑)

チャオ!!

今日という日【2月17日】

■真岡銃砲店襲撃事件

1971年2月17日。

真岡銃砲店襲撃事件(もおかじゅうほうてんしゅうげきじけん)」は、1971年2月17日に日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が栃木県真岡市の銃砲店を襲撃した事件。

革命左派京浜安保共闘)」は獄中の最高指導者「川島 豪」の奪還のため、銃火器獲得を急務としていた。前年の12月に「上赤塚交番襲撃事件」で銃強奪に失敗していたため、狙いを民間銃砲店に定めた。
1971年2月17日午前2時半頃、電報配達を装って、栃木県真岡市の銃砲店の勝手口を叩く音に反応して戸を空けると、革命左派3人の男が乱入し、一家4人を縛り、猟銃10丁、空気銃1丁、銃弾約2,300発を強奪した。

事件後、ただちに犯行メンバーに対する大規模な捜査網が敷かれた。革命左派獄外指導部は捜査網からの逃避の中で、奪取した銃の役割に対して、最高指導者奪還という当初の目的に代わり、銃を軸にした武力闘争という新たな意味づけを行うようになった。
この時に強奪した猟銃の一部は赤軍派に売却され、赤軍派による「M作戦(金融機関強盗)」にも使われることになった。1971年7月の「松江相銀米子支店強奪事件」で猟銃を持った赤軍派メンバーが逮捕され、革命左派と赤軍派の接近していることが警察によって確認されることになった。
またこの時の猟銃は革命左派と赤軍派が合流した連合赤軍による「あさま山荘事件」でも立て篭もり犯が使用することになった。