今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -38ページ目

今日という日【2月13日】

■ドレスデン爆撃

1945年2月13日。

ドレスデン爆撃」は、第二次世界大戦末期の1945年2月13日から15日にかけて連合国軍(イギリス空軍、アメリカ空軍)によって行われた、ドイツ東部の都市ドレスデンへの無差別爆撃。

4度におよぶ空襲に、のべ1,300機の重爆撃機が参加し、合計3,900tの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、2万5,000人とも15万人ともいわれる一般市民が死亡した。
「東からドイツに攻め寄せるソ連軍の進撃を空から手助けする」という一応の名目はあったが、実際は戦争の帰趨はほぼ決着しており戦略的に意味のない空襲であり、ドイツ空軍の空襲を受けていたイギリス国内でも批判の声が起こった。

ドレスデン爆撃」によって市民や多くの難民が犠牲になり、歴史的建造物の多くが瓦礫の山と化した。この空襲のことを、当時のイギリス首相「ウィンストン・チャーチル」は「テロ爆撃」という名前で説明している。
ドレスデンには目立った軍事施設もなく、「エルベ河畔のフィレンツェ」の別名の通りドイツ最高のバロック様式の美しい街並みと数多くの文化財が知られており、人々はドイツの中でも「ドレスデンだけは空襲に遭うことはない」と信じていた。ドイツ軍も空襲に対してはほとんど無警戒であり、高射砲などの兵器も、戦争末期には他地域に移動するなどして、空襲への防備は手薄となっていた。また、資料によってばらつきが存在するものの、当日迎撃したドイツ軍機は皆無と言っていいほどで、イギリス側の損害はごく僅かなものであった。

第二次大戦後ドレスデン市は、爆撃前の資料等を参考にしてゼンパー・オーパーや聖母教会などのバロック様式の街並みを再現して復興させた。空襲によって破壊された後に残った瓦礫を可能な限り使っており、新しい石材と黒く煤けた瓦礫との組み合わせによって建てられたこれらの建造物は、見る者に戦争の悲惨さを強く印象付けている。

今日という日【2月12日】

■フォンニィ・フォンニャットの虐殺

1968年2月12日。

フォンニィ・フォンニャットの虐殺」は、ベトナム戦争中に、南ベトナムクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村で、大韓民国海兵隊第2海兵師団(青龍師団)によって、非武装の民間人が虐殺された事件。

1968年2月12日、フォンニィ・フォンニャット村を訪れた韓国海兵隊第2海兵師団(青龍部隊)第1大隊は婦女子を集めると至近距離から銃殺、刺殺し火を付け立ち去った。ところが、その日のうちにアメリカ海兵隊員4人、南ベトナム兵26人からなる部隊が現場に到着。アメリカ・ベトナム兵は生存者へ手当を施し、病院へ搬送した。また、「J・ボーン」伍長によって事件現場の撮影が行われた。事件後に生き残った村人たちは犠牲者の遺体を国道1号線に並べて抗議の意思を示した。
当時のフォンニィ・フォンニャット村はアメリカ海兵隊と友好関係にあり、村の男たちはアメリカと同盟関係にある南ベトナム軍に参加していた。続く2月25日には韓国海兵隊によって「ハミの虐殺」が引き起こされ、ハミ村の婦女子・老人135人が虐殺された。

事件を受けてアメリカ陸軍参謀総長「ウィリアム・ウェストモーランド」大将が韓国軍に調査報告を繰り返し求め続けたため、韓国軍は韓国海兵隊の軍服を着たベトコンによる陰謀であったとアメリカ軍に報告した。「フォンニィ・フォンニャットの虐殺」当時の韓国では韓国政府が行った「聞慶虐殺事件」、「保導連盟事件」では共産主義者に罪を着せることで虐殺事件を闇に葬りさることに成功していた。韓国軍からの報告を受け取ったアメリカ軍では、アメリカ軍監察官の「ロバート・モレヘッド・コック」大佐による調査が行われ、1970年1月10日に韓国海兵隊による虐殺事件であったことを明らかにした報告書が提出された。2000年11月に行われた、ハンギョレ新聞による「蔡命新(朝鮮版)」 ベトナム派遣軍最高司令官へのインタビューでは、蔡命新中将はアメリカ人はゲリラ戦に無知であったために韓国側と対立することがあったが、最終的にはアメリカ軍は韓国軍の戦術を取り入れるようになったと述べている。事件翌月にはアメリカ軍の一小隊によって「ソンミの虐殺」が引き起こされたがアメリカ軍は軍法会議を開き実行犯を処罰した。この事件について「蔡命新(朝鮮版)」は戦争では普通のことであるとして実行犯を擁護する発言を行っている。

アメリカ軍内部では韓国軍を完全な後方部隊とするかベトコンが完全に支配していて誰を殺しても問題とされない地域に配置転換するべきであるとした検討が行われた。韓国兵は残忍なやり方で女をレイプしてから殺すケースが多く、アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女にとって恐怖の的だった。また妊婦や子供は井戸に落とし、助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだ。生き残った村人はバラバラになった遺体を井戸から引き上げ、盛り土をしただけの簡単な墓に家族の遺体を葬った。1969年2月には事件の遺族達によって南ベトナム議会に賠償を求める請願書が提出されている。

韓国軍によって引き起こされた数々の虐殺によって少なくとも民間人9,000人が殺害されており、あるいは30万人を超す犠牲者だったとも言われている。

今日という日【2月11日】

■日本初の人工衛星

1970年2月11日。

この日、東京大学宇宙航空研究所(後の宇宙科学研究所)が5回目の打ち上げで人工衛星の「おおすみ」の打上げに成功した。これが日本初の人工衛星であった。

1966年から観測用ロケットL-3H型に補助ブースターと姿勢制御装置、第4段球形ロケットを追加したL-4Sロケットで打ち上げ実験を開始し、1969年に打ち上げられたL-4T型1機の打ち上げを含んで、5回の試行錯誤の後ついに成功した。

日本はソビエト連邦(当時)、アメリカ合衆国、フランスについで世界で4番目の人工衛星打ち上げ国となった。また、その2ヶ月後に中華人民共和国は「東方紅1号」の打ち上げに成功している。なお中国を含め、他国は弾道ミサイル開発の副産物として人工衛星打ち上げ技術を習得したが、日本は大学の付属研究所が純粋な民生技術として研究を行い、非軍事目的での人工衛星開発に成功したという点で、国際的に特異性を持っている。

人工衛星の「おおすみ」は、打ち上げ後33年間軌道上にあったが、大気との摩擦で高度が低下し、JAXA統合を10月に控えた2003年8月2日午前5時45分、北緯30.3度、東経25.0度(エジプト・リビアの国境付近)上空にて大気圏に再突入し燃え尽きた。