今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -26ページ目

今日という日【3月20日】

■イラク戦争勃発

2003年3月20日。

イラク戦争」は、アメリカ合衆国が主体となり、イギリス、オーストラリアに、工兵部隊を派遣したポーランドなどが加わる有志連合が、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由として「イラクの自由作戦」の名の下にイラクに侵攻したことで始まった戦争。
正規軍同士の戦闘は2003年中に終了し、同年5月に「ジョージ・W・ブッシュ」により「大規模戦闘終結宣言」が出たが、後にイラク国内での治安の悪化が問題となりイラク国内での戦闘は続行した。
2010年8月31日に「バラク・オバマ」米大統領によって改めて「戦闘終結宣言」と「イラクの自由作戦」の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた「新しい夜明け作戦」が始まった。そして2011年12月14日、米軍の完全撤収によって「バラク・オバマ」がイラク戦争の終結を正式に宣言した。

米英が主張した開戦事由は、
・イラクは大量破壊兵器の保有を過去公言し、かつ現在もその保有の可能性が世界の安保環境を脅かしている。
・独裁者サッダーム・フセインが国内でクルド人を弾圧するなど多くの圧政を行っている。
・度重なる国連査察の妨害により、大量破壊兵器の廃棄確認が困難である。
・度重なる査察妨害によって、湾岸戦争の停戦決議である国連安保理決議687が破られている
・国際連合安全保障理事会決議1154で「いかなる侵害も、イラクにとって最も重大な結果をもたらすであろう」という、湾岸戦争停戦協定破棄条件の決議、つまり最終警告がされていた。
・決議1441では「最後の機会」が与えられたにもかかわらず、イラク側は査察に積極的な協力をしていない。
・フセインとアルカーイダが協力関係にある可能性がある。

今日という日【3月19日】

■ネロ指令

1945年3月19日。

ネロ指令」は、第二次世界大戦末期の1945年3月19日、ナチス・ドイツ総統「アドルフ・ヒトラー」の承認の元、国防軍最高司令部によって発出された「ライヒ領域における破壊作戦に関する命令(ドイツ語: Befehl betreffend Zerstörungsmaßnahmen im Reichsgebiet)」の通称。この命令は自国内における「焦土作戦」を命令する物であったため、後世の歴史家などによって、かつてローマを自ら焼いたという伝説があるローマ皇帝ネロになぞらえて「ネロ指令」と呼ばれる。

1945年の時点で東部戦線も西部戦線もドイツ国内となり、戦争は最終局面を迎えていた。3月19日に発出されたこの命令は、ドイツ国内のインフラストラクチャー、資源、産業施設等について、敵が入手する前の破壊を命じるものであった。
すでに戦後を考えていた軍需大臣「アルベルト・シュペーア」は、産業破壊が戦後復興や国民生活の差し障りになると考え、ヒトラーと面会してその中止を訴え出た。 しかしヒトラーは「戦争に負ければ国民もおしまいだ。(中略)なぜなら我が国民は弱者であることが証明され、未来はより強力な東方国家(ソ連)に属するからだ。いずれにしろ優秀な人間はすでに死んでしまったから、この戦争の後に生き残るのは劣った人間だけだろう。」と述べ、命令を撤回しなかった。しかしシュペーアはヒトラーに内密で命令をサボタージュし、一定程度の産業保護に成功した。

今日という日【3月18日】

■長崎屋火災

1990年3月18日。

長崎屋火災」は、1990年に兵庫県尼崎市のスーパーマーケット、長崎屋尼崎店で発生した火災。何者かが放火したとみられており、現場の店名から「長崎屋尼崎店放火殺人事件」とも呼ばれる。

1990年3月18日午後0時30分頃、神田中通4丁目にある長崎屋尼崎店で、4階インテリア売場に展示されていたカーテンから火の手が上がっているのを同階寝具売り場にいた女性が発見。他の店員らと共に消火器や屋内消火栓設備による初期消火を試みるもいずれも猛火と猛煙の前に断念。
この頃5階事務室より119番通報がなされ、およそ10分前後で消防隊が現着するが、既に4階は全て炎に包まれていたという。4階及び3階にいた客は従業員らの誘導で無事避難を完了するが、上階の5階にいた客や従業員22人が逃げ遅れ取り残されてしまう。防火扉の閉鎖がなされず、猛煙は容赦なく上階へ拡散していった。
逃げ遅れた者のうち、階段での避難に成功した1人と事務室や従業員食堂の窓から4人が救助され、さらに窓から飛び降りた2人は重傷を負ったものの救助されるが、死者15人(従業員12人、客3人)、重軽傷者6人を出す惨事となった。死者の15人は従業員食堂やゲームコーナーで煙に巻かれたことにより命を落としてしまった。

尼崎店は火災発生後無期限休業し、そのまま営業再開することなく閉鎖され、翌年建物も解体された。その後は長らく更地となっていたが、2004年にマンションが建設された。
1993年、防火対策を怠ったとして、元店長ら2人に業務上過失致死傷罪で有罪の判決が下された。
火の気のないカーテン売場から出火していたことなどから原因は不審火だが、有力な手がかりのないまま2005年に公訴時効を迎えた。
この火災は10年後(2000年)の長崎屋倒産の遠因ともなった。

また、尼崎中央商店街では毎年3月18日を防災の日として消防訓練を行うようになった。