前の大阪万博の映像を見ていて感じるのは当時の人々の活力や熱気、熱量の大きさです。今の時代にはとんと見かけなくなったなと思います。
もちろん当時の熱気とは映像のマジックや語り手がそう語るからそのように思うだけなのかもしれず、また今だって世界を見渡すまでもなくごく身近なところでも熱気や熱量を見出すことができるにちがいありません。しかし、人々の熱量が今はどうなっているのか、昔と比べ弱くなってしまったのか、行き場を見いだせているのかなど、色々と考えたくなります。
これは自分自身の振り返りでもあります。私も若い頃は熱量があったしそれをどこに向ければいいか悩み続け、恥ずかしいこともいっぱいして、結局見つけられずに今に至っています。しかしその悩みがあったからこそ今があるともいえます。今の人々は情熱の向かう先を見いだせているでしょうか。その都度湧き起こる好奇心を追いかけているのでしょうか。
私の場合は今ではもう自分の熱量が少なくなってきてくれたおかげで、意識をこちらの方へ向けられるようになりました。
「施しをする人はかならずそれ以上の施しをしてもらっており、差引勘定すればいつも戴いたもののほうが多くなっていると。施すものが施しを受けるというのが摂理なのです。なぜなら、施しをしようとすることは魂の窓を開き、精神を広げ、心を大きくすることであり、その広くなったチャンネルを通して愛と導きと保護の力が流れ込むことになるからです。」
(「シルバー・バーチの霊訓2」7章)