RYUの生き方、逝き方 -50ページ目

【生きる価値】(再)

テーマ:ブログ
「♪一人になるのに理由がいるか

理由があるから生きるのか

自由を語るな不自由な顔で~」

「知識」吉田拓郎


悩みある人が多い。

そもそも生きる事に意味を求めるのは動植物の中で人間くらいです。

人間以外は生きる為に生きている。

生きる事が本来意味がある事だと最近俺は思う。

「でも俺は家族の幸せの為に働き生きている」と思われる方も多いでしょう。

でもそれは生きてきた過程で恋人を得て結婚をして見つけた素晴らしい生きる意味です。

幼少期、いや赤ちゃんは生きる為に生きている。

そして成長し生きる事に意味を求め始めた時、一部の人は出口の無い迷宮の入口に立っているのかもしれません。

その迷宮を歩む過程で我々は、芸術、文学をある意味持ちえた。

しかし数々の文学者がその迷宮に飲み込まれ自ら命を絶った。

マザーテレサが「あなたが政治家になれば、より多くの人を助けられますよ。」と政界入りを打診された時

「私は目の前に倒れている一人を助けたいだけ。一人助けて余裕があれば、もう一人助けるだけ。」と答えました。

俺も辛い時、悩みある時は一日終われば「よく生きた、よく生きた」とその日の自分をほめてやります。

そして明日を生きます。

今が辛い人、今日を生き抜きましょう。

「明日のことを思いわずらうな あすのことは あす自身がおもいわずらうであろう 一日の苦労は その一日だけで十分である」

(マタイによる福音書6章34節)







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愛の取引

愛する行為は、純粋にそれだけで喜びである。


愛しているから相手にも愛を求めるのは愛ではなく


取引である。





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昨日のように

生きていたくもない。


死にたくもない。


だから昨日のように生きている。





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世間虚仮(せけんこけ)

ただ問題なのは、俺が生きるという事。

それだけの事なのだ。

何も問わず唯生きる事、それが必要なのだ。

その為には何をしたって構わない。

俺が生きる為に必要とさえあればしてはいけない事何てあるもんじゃない。

法律、道徳、それさえ俺が生きる為にはその価値を失う。

法に抵触したというなら罰をうけよう。

道徳に反逆したというなら、社会的非難にも甘んじよう。

それがどうしたっていうのだ。

社会的制裁、結構。

俺が生きようと死のうと他人には何の関心も無い事だ。

そのくせ俺がたまたま世間の一般的習慣、良識を侵せば、

たちどころに悪意の関心を呼び起こす。

それが世間だ。

俺がいかに苦しんだか、そんな事は彼等にとって知ったことではないんだ。

結果さえ分かればいいんだ。

物事を複雑に見るのは至って苦手な彼等だから。



何故トルストイが自分の書いたものまで長靴の中に隠さねばならなかったか?ーーーーーーーーーーーー

何故聖徳太子は世間虚仮(せけんこけ)と言い残してこの世を去ったか?-------------

彼等の一番苦手な問題だ。






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忘れさられた好意

人から借りたものを、


返す事を忘れるのは、


何も借りたものを


忘れたのでなく


その人の好意を、


忘れたのだ。



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乳と毒薬

牛は水を飲んで乳となし、


蛇は水を飲んで毒となす。






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知識

知る者は言わず


言う者は知らず


老子






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自分の主

自分以外に自分の主はいないと悟る事は、ある荘厳さを伴わずにはいられない。




自分以外に自分に命令するものは存在すべきでない。




そして自分以外に自分が命令するものの存在も許されない。








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「事」の振り分けのススメ

「事」において

まず「どっちでもよい事」がある。

次に「大したことでない事」がある。

その次に「それだけの事」がある。

それから「どうにもならぬ事」がある。

問題はそれらの「事」の区別を明らかにして、

決して曖昧にしない事だ。

つまりどうにかなる事と

どうにもならぬ事との限界を、はっきり納得し

又、納得させる事だ。






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自分と自分

他人と俺との関係、

これは簡単に割り切れる。

ただ、自分と自分の関係が難しい。










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