世間虚仮(せけんこけ) | RYUの生き方、逝き方

世間虚仮(せけんこけ)

ただ問題なのは、俺が生きるという事。

それだけの事なのだ。

何も問わず唯生きる事、それが必要なのだ。

その為には何をしたって構わない。

俺が生きる為に必要とさえあればしてはいけない事何てあるもんじゃない。

法律、道徳、それさえ俺が生きる為にはその価値を失う。

法に抵触したというなら罰をうけよう。

道徳に反逆したというなら、社会的非難にも甘んじよう。

それがどうしたっていうのだ。

社会的制裁、結構。

俺が生きようと死のうと他人には何の関心も無い事だ。

そのくせ俺がたまたま世間の一般的習慣、良識を侵せば、

たちどころに悪意の関心を呼び起こす。

それが世間だ。

俺がいかに苦しんだか、そんな事は彼等にとって知ったことではないんだ。

結果さえ分かればいいんだ。

物事を複雑に見るのは至って苦手な彼等だから。



何故トルストイが自分の書いたものまで長靴の中に隠さねばならなかったか?ーーーーーーーーーーーー

何故聖徳太子は世間虚仮(せけんこけ)と言い残してこの世を去ったか?-------------

彼等の一番苦手な問題だ。






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