RYUの生き方、逝き方 -123ページ目

お知らせ

結論から先に書きます。


明日27日をもって「RYUの行き方逝き方」は、不定期更新になります。

28日から俺は、プロデュースした店舗のオープンに伴い名古屋出張です。

4~5日の出張になると思います。

その間に俺のブログも、初めて1ヶ月を迎えます。

俺はブログを初めてから決めていた事があります。それは1ヶ月は、毎日更新しようという事です。

正直この1ヶ月、母やウラン(愛犬)の介護も日を増す事に負担になり 、週3回通っていたスポーツクラブも休み、又俺が自宅で使っているPCは愛着があるMacintosh5500/225という10年選手なので、記事をPCではそのままアップ出来ずメールソフトで記事を書き、携帯に送信してアップするという結構大変な作業でした。


しかし誤解して頂きたくないのは、大変だけどブログに費やした時間は、楽しい時間だったという事です。

もしかすると今後も無理をすれば毎日更新も可能かもしれません。

でもこれ以上毎日更新すると俺が楽しんで記事書けなくなります。

筆者自身が楽しく書いていない記事を読んでもらっても、おそらく楽しくないでしょう。

駆け抜けた1ヶ月でしたが、今後は充電もし、よりしなやかな記事が書けたらと思います。

尚出張期間はペタ返しなど出来ませんので、ご了承を。

又今後は行き届かないところも多々あると思いますがお許しください。

感謝を込めて   RYU

俺の結婚観(垂直の永遠)

昨日が恋の話しだったので、今日は結婚の話。

そうそう俺はシングルです、念の為(笑)

「結婚は詩から散文への地獄下りだ」と言った作家がいたが、俺はそうは思わない。


「結婚は信仰だと思う」RYU。


大学生の時、恋をした。

俺はその子の為なら死ねた。

その時「永遠の愛とは、好きな誰かの為に死ねると思った瞬間に永遠なんだ」となぜか悟った。

後に中島らも氏が、誰かの引用で「永遠は時間軸に対して垂直に立つ」という意味の事を書いていて、「あー同じ事考える人いるんだな」と思った。

では時間軸に対して水平の愛はあるのか?

平たくいえば結婚して、づっと愛していられるのかという事だ。

結婚50年の老夫婦に50センチの年表を渡す。

1年1センチだ。それで夫婦それぞれに愛を感じていた時をラインマーカーで線を書いてもらうと、決して50センチすべてが、ラインマーカーで埋め尽くされる事はないと思う。

むしろ何となくいてた時期の方が長いと思う。

俺も結婚したらそうだろうと思う。

だから結婚は信仰だと思う。

俺は浄土宗だから父の仏壇に「南無阿弥陀仏」と祈る。

「ナム」は、帰依するという意味。

阿弥陀仏に帰依しますという意味だ。


昔、彼女に銀色夏生の詩集をもらった。

あるページに付箋が入っていて「これからはこの音にだけ耳をかたむけていこうと思う」と書かれてた。

そうなんだ結婚とは、「南無妻」じゃないけど愛を感じるからいるんじゃなくて(もちろん愛の表現は日々必要ですが)、妻だけを見ていこうという祈りにも似た信仰だと思う。

独身だけど。求む妻(笑)

恋の予感(起源)

みなさん、恋のはじまりっていいもんですよね。

何かやるせなくて切なくて。

この恋という行為。もとをさかのぼればアザラシ(トドだったかな?)に起源があるらしいんです。

アザラシは、極寒の地で生活しているので、毎日がサバイバル。

オス同士が戦い優勝者が、メスをすべて、はべらせるわけです。

いわゆるハーレムです。

これは強いオスのDNAをもらい自分の子をサバイバルさせる為の、メスの知恵です。

優勝者のオスの周りには沢山のメスが、交尾の順番を待ってます。

メスに囲まれた円の中心に強いオス。

その円の外側のメスは、すごい順番待ち。そのメスに戦いに敗れたオスが、ちょっかいを、だすわけです。

ほとんどのメスは無視です。

けれでも中には、その弱いオスに好意を持ち2頭で仲良くハレームを離れるカップルがいるそうです。

当然メスは弱いDNAを受け継ぐ覚悟です。

これが動物学的に見た「恋」らしいです。

だから夢ばかり追っている男に、貢いだりしてる女性は、恋してるわけなんですね。

逆に金持ち、エリートを探している女性は、一見打算的に思われますが、素直に本能的なんですね。


あなたはどっちですか?

呪いの名刺

俺は、会社で「呪いの名刺」と呼ばれるようになったあるクライアントの名刺100枚の為に休日出勤した事があります。

この名刺は、クライアントに何度出来上がって届けようとしても何故か届かない不思議な名刺なんです。

まず最初に届けようと、うちの社員が、会社の車で向かった時は、阪神高速で、追突されて名刺は破損、刷り直しに。

2回目刷り直した名刺は、印刷屋が何故か以前のデータの名刺で刷ってしまい没に。

3回目は郵便で届けようとしたときは、何故か行方不明に。

4回目は、届ける予定の社員の身内に不幸があり早退。

5回目俺が、届けようとしたら何故か一部「紺」で刷った部分が、雨のせいか少し変色してて没。

何か気味悪いので、今までのルート止めて外注にしました。

クライアントは、俺の後輩にあたる人間で、急ぎの話じゃ無かったから良かったけどこんな事本当に初めてで気味悪く思ってました。

するとしばらく経ってから、その名刺の持ち主に奇怪な出来事が、、、(これ書いてしまうと誰か特定されるので。ただ生死に関わる事ではありません)


俺は霊感あるのか心霊ネタは山程あるけど、後日。

みなさんも不思議な体験 ありますか?

働かない働き蟻

ある研究者が蟻の研究をした。

大きな飼育箱に働き蟻を入れての研究。

さすがに働き蟻よく働いている様に見えた。

でもよく見ると3割の蟻は働いていない(餌を運んでいない)。

この研究者、その飼育箱から働いていない3割の蟻を別の飼育箱に移した。

残ったのは7割のよく働く蟻。

でもここで不思議な現象が。7割の働き蟻が残った飼育箱。その中のまた3割が働くなくなった。

そしてまた働かない蟻を別の飼育箱へ。やはり3割働かなくなった。

今の研究では、理由は不明。

俺なり解釈。いつか出たいと思っているホノルルマラソン。

全員ランナーじゃ成り立たない。スタートラインを引く人。吸水ポイントのボランティア。ゴールで待機する人々。

そして何より沿道で応援する人達。

みんながいて初めてレースが成立する。

人間の目で見て働いていない様に見える3割の蟻。もしかすると7割の働き蟻のサポートにまわってるのかも?

今後の研究の成果に期待したい。

死者を生きかえらせるケシの実

むかしある所に、非常に善良な夫婦が住んでいました。

2人は仲良く宮沢賢治じゃないけれど、どこかに困った人がいると行って相談にのり、病人がいると手厚く看護し、飢えている人あれば自分達の食事を減らして、分け与えていました。

その善良な夫婦の願いは、子供を授かる事でした。

時は経ちやっと念願の子供が夫婦に出来た。

2人はその子を、溺愛して育てました。

夫婦は子供が授かった事に感謝し、今まで以上に人に尽くしていました。

でも運命は残酷です。

その子が流行り病で、必死の看病の甲斐もなく、亡くなりました。

母親は半狂乱になってその子の亡骸を、何日も何日も埋葬せず抱いていました。

見かねた村人が「近くの村に釈迦という偉い人が説法をしにきているそうだ。行って相談してはどうか?」と言ってやりました。

母親はすぐその村に向かい沢山の人混みをかき分けて釈迦の前に行きました。

みんな腐りかけている子供を抱いた母親を見て呆然。

母親は釈迦に言いました。

「私達夫婦は、づっと人に為に尽くしてきました。夢は子供を授かる事でした。でもやっと授かったこの子も、見てのとおり死んでしまいました。あなたが偉い方ならこの子を蘇らせて下さい!」と懇願しました。

黙って目を閉じ話しを聞いていた釈迦は言いました。


「その子を、生き返らせてあげよう。村に帰ってケシの実を村人からもらいこの子の口に入れなさい。するとこの子は蘇るであろう。ただし死者の出た事のない家のケシの実を与えるのだよ。」

それを聞いた母親は大喜びで自分の村に帰り村人の家を訪ねました。

1件目「ケシの実を下さい。」「あーいいよ。」「ありがとうございます。お宅は亡くなった人はいないですよね。」「忘れたのかいうちはじいさんが去年死んであんたも葬式に来てくれたじゃないか?」

母親はあきらめて2件目へ、同じ事言う。「ケシの実はあるが、うちは2番目の子が、生まれてすぐに死んでしまったよ」

3件目「あなたも私が亭主を亡くし、女手一つでこの子供を育てているの知ってるじゃないか」

4件目「喪中」

村人の家をすべて回っても「死」と縁のないうちのケシの実は手に入りませんでした。

そこで母親は悟った「私だけが、悲劇にあってるんじゃないんだ。みんなそれぞれ死を背負って生きているんだ」と。

そして夫婦とも釈迦の弟子になりました。「完」


あとがき

ここまで読んで下さってありがとうございます。

俺の記事は、仏教的引用が多いので熱心なブッディストと思われるかもしれませんが、そうではありません。

男の子は父親の背中を見て育つといいますが、過去記事「カミングアウト」でも書きましたが、父は早く逝きました。

ですから野球のルールも知らず小一の頃、三塁に走って笑われたりしてました。

高校に入った頃からなぜか「何を聞かれても答えられる男になりたい!」と思い精神的支柱を読書に求めました。

又並行して新聞を読んで分からない言葉があると「現代用語の基礎知識」で調べました。


その中で自然と入ってきたのが、仏教思想でした。

けれども今の日本の仏教界には、疑問があります。

世界の紛争地域、難民キャンプ、災害区域で目にするのはキリスト教の奉仕団体ばかりです。

またこれも過去記事「自殺者に捧ぐ」でも書きましたが、年間約3万人の方が自ら命を絶っています。

死のうと思った人達の文字通り「駆け込み寺」的存在に、今のお寺はなっていないと思います。

ちなみに俺は、無人島に一冊本を持って行くなら迷わず三浦綾子さん(熱心なクリスチャンです)の「塩狩峠」を持っていきます。

信仰は普通の仏教徒ですが、哲学的にキリスト教の影響も受けてます。

またこの逸話は、仏教聖典で読んだ記憶なのですが、ケシではなかったかもしれません。

えらいってどういうこと?Ⅱ

まず沢山のコメント本当にありがとうございました。

俺なり皆さんの意見を荒っぽく集約すると

「苦難に耐える人」

「一生懸命(頑張って)生きる人」

「優しい人、またそれを行動、言葉で実践出来る人」

「ささやかな善行が出来る人」

「優しい人」

「偉いという本当の意味を理解した人」

「道徳をきちんと子供に教える親、また実践出来る人」

「頑張った人、善行をした人へのほめ言葉」

「器の大きい人物」

って感じでしょうか?

自分で問うておきながら難しいテーマに立ちすくんでおります。

これは今後、俺の人生のテーマの一つになるでしょう。

ただ一つ言える事は、今の時代に道徳教育が、子供に対して十分とは言えない事だと思います。

これはまず親、そして学校、地域、社会、国、そして我々大人が捨て石となって未来のある子供達に教えるべき問題だと思います。

また、おりしも今日は選挙ですが国をつかさどる人々の名前が一人もあがらないのは、今の日本の危うさ、うつろさを、象徴している様な気がするのは俺だけでしょうか?

えらいってどういうこと?

会社の駐車場に車を停めてオフィスに向かう途中、親子の会話の断片が、耳に入った。

3~4才の女の子、お母さんに聞いている。

「ねぇー、えらいって、どういうこと?」

お母さん笑顔で「さぁー、どういう事かな?どういう事だと思う?」。

俺も考えた。「何て説明すればいいいのだろう?」

大人になら簡単に説明出来る。スピーチでもよく引用する。

「2流を銀、1流を金とすると超1流は、皆さん何だと思いますか?」

しばらく間をおいて言う。

「超1流は、金の銀メッキなんですよ」

1流の人間に謙虚さ、素直さ、感謝の心が芽生えた時、1流は銀のメッキを被り、皆に親しまれる様にするする。

この話、自分で考えてたのか、何かの本で読んだのか、誰かに教えてもらったのか今となっては不明。

大人なら大抵これで、納得する。

でも子供に聞かれたら、、、。

皆さん何て説明しますか?


「ねぇー、えらいって、どういうこと?」



又、皆さんの偉いと思う人の名前と出来れば理由も書いて下さると嬉しいです。

死に向かうベクトルⅡ

前向き指向が通用しない極限状態の人に向かい、俺は「前向きにね!」という言葉を封印した。

では、どうしているか?

慈悲の心で接しているつもり。

未熟だけど。

では慈悲とは何か?

五木寛之氏は、すごい!

簡単明瞭に書いている。

長い引用になる。

「孤立した悲しみや苦痛を激励で癒す事はできない。そういうときにどうするか。そばに行って無言でいるだけでもいいのではないか。その人の手に手を重ねて涙をこぼす。それだけでもいい。深いため息をつくこともそうだ。熱伝導の法則ではないけれど、手の温もりとともに閉ざされた悲哀や痛みが他人に伝わって拡散していくこともある。」

後は息子が罪を犯し刑に服する事になった両親の立場で慈悲を解説している。

慈に満ちた父「罪を償って再起して社会に帰ってこい。いつもまでも待ってるぞ。」

悲の心の母。ただ黙ってそばで涙を流して「おまえが地獄に堕ちていくんなら自分も一緒についていくよ」という気持ちで手に手を重ねてうなだれている。

そして「じつはこうしたことが人間の奥底に一番届くのです。」と結んでいる。

「大河の一滴」五木寛之、幻冬舎

見事だ!

この本税抜きで1429円。決して高い買い物ではないと思う。

死に向かうベクトル

俺は北野武監督の映画「BROTHER」「HANABI」が、好きだ。

いわゆる「KITANOブルー」に彩られた世界だ。

いつも泣ける。

両映画とも主人公の「死」によって完結する。

俺は北野武という人は、希死念慮(死にたい願望)が少なくともこの映画を撮ってる時はあったと思う。

主人公は、二者択一の判断を迫られた時、迷わす「破滅」に向かう選択をする。
ベクトルが一貫して「死」に向かっている。

そして死ぬ。それが潔く心地良い。

でも俺は、一応前向きに生きている。

でも前向き指向だけで解決出来ない状況が、ある事も知っている。

俺の親友の息子さんが、1万人に1人という脳の病に侵された。

俺は肩を震わす彼に、とてもじゃないけど「前向きに」何て言えなかった。

それからお見舞いに小児病棟を何度も訪ねた。酸素マスクをした子供もいた。色々な病の子供達を見た。

俺はこの経験から何でも「前向きに!ポジティブね!」何てしたり顔で言うヤツが、何か新興宗教の勧誘に思えてきた。

それから俺は悩める人にプロフでも書いたが、「前向きにね!」という言葉を、はく事を封印した。