市内だけで輸入レコードを中心に売る店が2軒ありました。
どちらも軽音だけでクラシックはありません。
中高生から日本経済は頂上に向かって、大学時代にバブルを迎えたのでした。つまり円ドル70円代の日本が優雅を極めた時代が中高大学時代。
そのため、洋楽なら日本盤より現地の洋盤の方が安く、当然懐が薄いどころか、小遣いももらえず、財布に常時穴が空いていたような(笑)、中高生の自分は新聞配達のバイト代からそういう店で少し安い洋盤ロック(再生するオーディオ)を買っていたのでした。
旧東ドイツのベルリン出身のニナ・ハーゲンは、パンク期のドイツが生んだ異能のひとり。
そのドイツパンク系女性ボーカルの名を冠した1978年、世界的にヒットしたファーストアルバムNina Hagen Bandで、実質これで解散したものでした。
ジャケットも年月で痛々しい。ドイツCBSですから鳴り物入りでデビュー。
ところが2枚目はバックを嫌って別に歌入れ・・・・ここから独自活動だったそうです。
その輸入盤店はほとんど新譜ながら、少数の程度の良い海外中古盤やインディーズのカセットテープまで扱っていました。
そのころの例によって、好みを知る店主から、「これいいよ!聴いてみな!」と聴かせてもらって買ったのだと思います。
ジャケットのシールから中古盤で買ったことがわかります。
このとおりで、プツプツブツブツ音はありません。
メジャーなレコードがあまりうちにないのはそのためです。メジャーなのは貸レコード屋にいくらでもありましたから。
後年にSACDになれば買ってはいます。
歌い方は高低を独特に使い分けて、地声で出なければ声を裏返して歌うケイト・ブッシュに似たところを感じます。
ウィキのニナ・ハーゲンを調べると、私生活での結婚離婚は激しく私生活も変わっていたようです。
「彼女は自身のレコード活動よりも、数多くの音楽プロジェクトに参加。
世界中でリリースされたレコード、CDは、ニーナ・ハーゲンの歌が聴けるものだけで、ほとんど500枚近くに及ぶというのですから玄人受けもする本物ですね(笑)。
。ニーナ・ハーゲン・アーカイブ(以下のリンクを参照)には、2005年10月の時点で、206枚のレコード、180枚のCD、30本のオーディオカセット、21本のビデオカセット、12枚のDVDがある。 最初の有名なレコードは、シングル盤の「私はバイオリンじゃない」(Eine Violine Bin Ich Nicht)である。これは東ドイツで、1972年、フリッツェン・ダンパーバンドにニーナ・ハーゲンがゲストシンガーとして参加して録音されたものである。
1985年、ハーゲンはブラジルのロックフェスティバル「ロック・イン・リオ」にメインアクトとして出演。このステージでの彼女は、ファッションデザイナー、ジャン・ポール・ゴルチェのデザインした独特の衣装で、ファンクとロックの要素を兼ね備えた歌姫として登場している。
以上引用
ドラマーはどこの高校も持ち運びが出来ない、いくつもの太鼓やシンバルなどで値がかさむ、最後尾で目立たないなどから不足していて、あらゆる軽音ジャンルは各高校の文化祭に呼ばれて叩いたものの、そういう文化祭で披露の高校生メジャー楽曲はラジオで頻繁にかかりますから、タダで耳コピー出来ていました。
多少珍し系と言っても、当時の高校生が演奏、聴くようなものは貸しレコード店から借りてカセットテープに録音で用を足していました。
こんなパンク、ニューウェーブ、プログレッシブな洋楽ROCKのレコードばかり買っていたものですから、軽音部ほか音楽的に相通じる同級生はいなかった記憶です。
ロック好きな皆様でNina Hagenはご存じの方おられますか?
ストリーミングのコバスが上陸したら、彼女の関わった音楽ソフトを聴いてみたいですね。
たまに、普通のレコード店で扱っていなかったような珍しいシンガーやバンドがあったら紹介させていただきますので、よろしければお付き合いくださいませ。