正確には招聘された小川隆生さんへのアルフレッドライオンの奥様ルース婦人からの手紙です。
以下引用
アルフレッドは、この世を去る直前まで、「マウント.フジ.ジャズ.フェスティバル」で自分が撮った写真や、放送局から贈られたフェスティバルのビデオテープを繰り返し観ていました。
アルフレッドが日本に行くと言い出したとき、わたしは絶対に承服出来ませんでした。
彼の体調は、サンディエゴから日本への長旅に耐えられないと思ったからです。
何度も反対しました。
一度主催者の方にお断りしたほどです。
それでもアルフレッドはどうしても行くと言って聞かなかったのです。
これまで、わたしはアルフレッドの体調を思うあまり、彼がやりたいことにずいぶん反対してきました。
いつもならわたしの意見を受け入れてくれましたが、このときは最後まで「行きたい」の一点張りでした。
そこまで言うのならと、わたしも折れたのです。
日本についた当初、わたしは心配で心配で夜もほとんど眠れませんでした。
しかし、タカオさんをはじめ、関係者の皆さんが献身的にアルフレッドの体調を気にかけてくださいました。
そのことに心動かされたことも再三です。
そしてなにより嬉しかったのは、アルフレッドが心から幸せそうにしていたことです。
あんなに嬉しそうな夫の顔をわたしは20年間見たことがありません。
それだけで、日本に行ったことが間違いではなかったと確信しました。
最後の日々、アルフレッドは日本の思い出ばかりを口にしていました。
日本行きが彼の死期を早めたかもしれません。
ですが、今となってはアルフレッドが幸福な最期を過ごせたことに感謝しています。
日本のみなさんがブルーノートを愛してくださっている_そのことを肌で感じることができて、アルフレッドはどんなに幸せだったことでしょう。
彼の人生は間違っていなかった。
アルフレッドがわたしの前からいなくなったことは言葉で言い尽くせないほど寂しいことですが、彼は最期にとても大きな喜びをわたしに残してくれました。
日本のみなさんが、これからもブルーノートのレコードを愛してくれていることを、アルフレッドとわたしは願っています。
_ルース・ライオン
小川隆夫著 ジャズメン死亡診断書より引用