熊本県 熊本城その2 攻城178(2022年4月16日訪問) 日本百名城 No92 59/100

 

<攻城2>

特別公開南口でwebチケットのQRコードを提示して、南ルートで観覧です。仮設ルートを進むと、被災した崩れた石垣が痛々しいです。さらに進むと、崩れた石垣の上に懸命に建つ数寄屋丸二階お広間が衝撃的です。頑張れ。さらに行くと、熊本城天守が聳え立っていました。仮設ステージ通路は、普段見れない高さから見られるので貴重な位置からの眺望です。美しいですね。黒の城壁と城のアクセントが青空に映えます。

やがて、天守下部に続く地下通路をくぐり、天守前の本丸広場に出ました。天守が美しいです。特別公開の天守に入り、鑑覧しました。

 

仮設ステージ通路

 

崩れた石垣

 

ふんばる数寄屋丸二階御広間

 

ステージから見る熊本城天守

 

有名な扇の勾配の武者返し石垣

 

複数の枡形虎口

 

 

 

地下通路

 

本丸広場の熊本城天守

 

 

天守最上階からの眺望

 

 

熊本県 熊本城その1 攻城178(2022年4月16日訪問) 日本百名城 No92 59/100

 

<城郭概要>

熊本城は、熊本県熊本市中央区に築かれた、安土桃山時代から江戸時代の大小7つの天守を持つ梯郭式平山城で、築城主は、加藤清正で、中世城郭を取り込み改築しました。加藤氏改易後は幕末まで熊本藩細川家(小倉城主)が移封されました。明治時代には西南戦争の戦場となり、西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失ししたが、宇土櫓を始めとする櫓・城門・塀、堀、石垣、土塁等多数が現存しています。

天守は連結式望楼型3重6階地下1階(非現存)で1960年にRC造で外観復元されています。

2016年の熊本地震で被災し、複数個所が損傷しました。現在、復興途中ですが、仮設ステージが設けられて、天守等の特別観覧が可能となっています。

 

熊本城 城郭模型

 

熊本城 城郭図

 

<攻城1>

熊本城は、今回の城めぐりの旅で、攻城したかった城の二つ目です。

豊臣秀吉、黒田官兵衛の下で、築城術を学び、朝鮮出兵の困難をもとに、加藤清正が全英知を注ぎ込んだ

戦国末期最強の難攻不落の巨大城郭です。加藤家改易後も同じ豊臣恩顧の細川家がしっかり後を守っていました。同様の城は以前訪問した、松山城、高知城等ありますが、織豊系城郭の最大の傑作だと思います。

 

震災後の復興途中ということで、城郭全てを見ることが出来ないのは残念ですが、早期復興を願うばかりです。今回は、入城券はwebチケットとして、事前にネット購入しました。入場時にQRコードを提示して入城できました。

 

 

熊本城 入城webチケット(スマホ画面)

 

熊本城近くの宿泊ホテルにチェックイン後、徒歩10分ほどで、行幸坂と坪井川が交わる手前に着きました。加藤清正公の像が城を守っていました。橋を渡るとすぐ熊本城桜の馬場城彩苑総合観光案内所に到着しました。入城webチケットを見せて、熊本城案内マップを入手して先に進みます。階段を登ると左手に未申櫓がありました。右に行くと、震災被災で石垣、櫓とも解体中の飯田丸五階櫓の案内板があり、先に特別公開南口があります。

 

加藤清正公像

 

坪井川と石垣

 

 

桜の馬場城彩苑とくまもん

 

 

熊本城案内図、観光ルート図

 

 

御城印、百名城スタンプ

 

観覧南ルート方面階段

 

未申櫓

 

 

特別公開南口前の養生された石垣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福岡県 柳川城 攻城177(2022年4月16日訪問) 

 

<城郭概要>

柳川城は、福岡県柳川市本城町にある、平城で、築城主は蒲池氏で1500年初期に築城されました。水路をめぐらした、九州屈指の難攻不落の城だったようです。その後、秀吉の九州平定後、西国天下無双と恐れられた武将、立花宗茂が入城したようです。宗茂は関ヶ原合戦後、加藤清正、黒田官兵衛らに攻められ開城を余儀なくされ、改易され、浪人となりました。その後、田中吉政が入城し、改修され、改易後、再度、宗茂が入城し、立花家が藩主を務めたようです。天守は写真、資料から、複合式層塔型5重5階(非現存)だったようですが、明治初期に焼失したようです。

遺構として、石垣、堀、天守台、土塁が現存しています。

 

 

柳川城模型、城郭図

 

<攻城>

水郷柳川散策途中に、柳川城を攻城しました。立花邸から、北東へ10数分行くと、水路の先に入り口がありました。案内板があり、小高い丘に登ると本丸跡がありました。石垣が数個ありました。奥に柳川城の説明版がありました。本丸の左手西側には柳城中学校の校庭、右手東側には柳川高校のグランドで、野球部の本格的な打球音が聞こえていました。ここに、華麗な天守が建って、あの、天下無双、立花宗茂がいたと思うと感激しました。周囲は開発されて、ここだけ、時代に取り残されたような、神聖な場所に感じられました。

 

柳川城本丸跡手前の水路

 

柳川城本丸跡入口

 

柳川城案内板

 

本丸跡への道

 

 

 

本丸跡、石垣の石、礎石

 

柳川城説明版

 

 

本丸跡への登り口

 

本丸隣接の柳城中学校グランド

 

関ヶ原合戦時、宗茂が大阪城に入り、毛利輝元と立ち上がっていたら、勝敗はどうなっていたんでしょうか。

関ヶ原の勝敗の分岐点は、毛利勢を調略した黒田長政、毛利輝元、吉川広家、小早川秀秋らの毛利勢、そして立花宗茂だと思うんですよね。東軍についた他の豊臣恩顧の武将と違い、家康に破格の条件で調略受けながら、亡き秀吉に義をつらぬいた宗茂すごいですね。さらに、改易浪人となりながら、柳川藩主に返り咲いたんですから、すごいです。一目置かれていたんでしょうね。そんな、立花宗茂の執念が感じられる感激深い城跡でした。きて良かったです。

 

 

 

 

 

 

九州北部城めぐりの旅 6日目(佐賀~柳川城~熊本城 4月16日訪問)

 

本日は、佐賀駅前のホテルを出発して、水の都柳川市、立花宗茂の柳川城に立ち寄り、熊本市内の宿泊ホテルにチェックイン後、熊本城攻城というルートです。

 

走行ルート

 

<水郷柳川>

佐賀市から柳川市まで、十数キロ、30分強で到着しました。週末ということで、予定していた無料駐車場が無く、北原白秋生家記念館近くの有料市営駐車場に駐車して、水郷柳川を観光します。まず、観光協会に行き、水郷柳川アクセスマップ、まち歩きマップを手に入れ、川沿いの街並みを鑑賞しつつ、柳川城主である立花家の旧家、庭園に行きました。古い屋敷を想像していましたが、近代的な洋館でした。そこから、柳川城跡(紹介は城めぐりにて)に行き、北原白秋生家によって、駐車場に戻り、熊本をめざしました。

 

水郷柳川アクセスマップ

 

水郷柳川まち歩きマップ

 

柳川市観光案内所(写真奥中央)

 

 

立花邸

 

 

水郷の風景

 

藤の花

 

柳川城手前の堀

 

古い町並み

 

 

北原白秋生家

 

柳川と言えば、うなぎですが、いつもそうなんですが、旅行6日目となると、昼はほとんどお腹が空かず、断腸の思いでうな重を諦め、柳川を後にして熊本をめざしました。

 

熊本市内

 

ホテルの窓越しの熊本城

 

熊本は初めて訪れましたが、結構大きな都市でした。道幅も広く、交通量も週末のせいか、多かったです。

熊本城徒歩10分ほどのホテルにチェックイン後、熊本城を攻城(紹介は城めぐり編)しました。ホテルの窓から熊本城が見えました。ちょっと感激です。熊本城からの帰りに、鶴屋デパートに寄り、お土産と夜の惣菜を買い、ホテル客室で夕食です。コロナがなければ、馬刺し食べたかったです。

 

 

 

 

 

 

佐賀県 佐賀城その3 攻城176(2022年4月15日訪問) 日本100名城 No89 58/100

 

<攻城3>

天守を下り、石垣際を東に進むと、現存遺構である立派な歴史を感じさせる櫓門形式の、鯱の門があり、左手に、江戸時代末期の城主、鍋島直正公銅像がありました。

 

 

鯱の門

 

鍋島直正公銅像

 

門を入ると、木造復元された、佐賀県立佐賀城本丸歴史館になっている、本丸御殿が立派に建っていました。敷地内に、壇ノ浦で見たような、大砲のレプリカがありました。幕末から明治初期の戦いはの主役は、長州砲のような大砲だったようです。御殿は敷地内に区割りがあったので、これから、復元追加していくのでしょうね。

 

復元完成模型

 

 

 

復元本丸御殿

 

大砲レプリカ

 

本丸御殿の東側を回り、南堀方面に行くと、復元された南西隅櫓台がありました。明らかに現代の精工石垣になっていました。尚、本丸東側の二の丸跡には学校等の建物が建っていました。

 

 

南西隅櫓台

 

 

広大な南堀

 

名護屋城から熊本城へのルートの途中にあり、攻城予定に入れましたが、立ち寄れて良かったです。現存門、本丸御殿、巨大な堀、石垣と天守台と見どころ満載でした。

 

 

 

佐賀県 佐賀城その2 攻城176(2022年4月15日訪問) 日本100名城 No89 58/100

 

<攻城2>

佐賀県立佐賀城本丸歴史館西門を入らず左に折れて石垣際を進むと、本丸天守台への石垣の虎口があり、進むと天守台がありました。かなり広いです。どんな天守だったんでしょうか。想像が膨らみます。

 

佐賀県立佐賀城本丸歴史館西門

 

 

 

 

 

 

天守台への石垣、虎口

 

 

天守台跡

 

天守台からから見る復元本丸御殿

 

天守台からから見る鯱の門

 

天守台からから見る佐賀駅方面

 

佐賀県 佐賀城その1 攻城176(2022年4月15日訪問) 日本100名城 No89 58/100

 

<城郭概要>

佐賀城は、佐賀県佐賀市城内にある、郭梯郭複合式平城で、肥前の戦国大名である、龍造寺氏により佐賀龍造寺城として築城され、家臣の鍋島氏が、1602年に改修して、現在の佐賀城になり、1874年江藤新平を中心とした佐賀の乱が起こり、建造物の大半を失ったったようです。

天守は、近年の大規模な天守台の発掘調査及び、文献調査により、書院造りのある、4重屋根だったようです。破風が無い特徴は小倉城天守と似ているようです。

遺構として、鯱の門及び続櫓、石垣、堀、土塁が現存しています。

現在、本丸御殿の一部が、佐賀県立佐賀城本丸歴史館として復元されています。

 

佐賀城位置図(上が北、佐賀駅方面)

 

佐賀城城郭図(上が南)

 

佐賀城城郭図(上が南)

 

<攻城1>

佐賀駅前に宿泊ホテルにチェックイン後、佐賀駅前から南に伸びる本丸通りを、徒歩で南に下ります。十数分で、佐賀城北堀に到着しました。かなり大きな堀です。堀を渡ったところに、佐賀城の案内板がありました。

 

 

佐賀城北堀

 

佐賀城案内板

 

さらに、10分ほど歩くと、本丸に到着しました。本丸前の水堀は埋められて、空堀となっています。城郭図にある、三の丸、二の丸、西の丸等は開発されていました。本丸からは、天守台、天守台から続く石垣が見えます。

 

 

天守台石垣

 

本丸西側

 

本丸北側

 

本丸西側の石垣、門

 

 

 

 

佐賀県 名護屋城その5 攻城175(2022年4月15日訪問) 日本100名城 No87 57/100

 

<攻城4>遊撃丸~水出曲輪~本丸

二の丸の北に、船手口があり、明の使節をもてなしたと言われる遊撃丸がありました。遊撃丸から北に土塁をを下ると水手曲輪がありました。

 

船手口

 

遊撃丸

 

本丸西土塁、石垣

 

 

水手曲輪、井戸跡

 

水手口

 

水出口から本丸へ登っていくと、本丸がありました。本丸は広大です。その先に天守跡がありました。天守跡には礎石があり、玄界灘の眺望が良かったです。ここに、天守がそびえていたんですね。海から見たら、さぞ、立派で華麗だったんでしょうね。本丸を北に進むと三の丸への大手道があり、三の丸から駐車場戻りました。

 

水手口から本丸への虎口

 

本丸

 

本丸の建物礎石

 

天守台

 

天守の礎石

 

玄界灘の眺望

 

本丸櫓台跡

 

 

三の丸と本丸を繋ぐ大手道、虎口

 

秀吉の野望が、ひしひしと感じられる、偉大な城郭でした。感激しました。本当に来て良かったです。素晴らしい、縄張り、石垣、感激しました。よくぞ、こんな巨大な城郭を短期に創り上げたものです。豊臣家の富と威光、全国の大名の努力が感じられる、偉大な城郭でした。そして、この後、石田三成らの文治派と加藤清正、福島正則、黒田長政らの武断派の対立を招き、豊臣恩顧の武将同士の戦い、関ヶ原合戦を経て、家康の江戸時代に入っていく起点の城郭が名護屋城だと思いました。

 

 

佐賀県 名護屋城その4 攻城175(2022年4月15日訪問) 日本100名城 No87 57/100

 

<攻城3>馬場~弾正丸~二の丸

三の丸北に本丸への大手道がありますが、西側の馬場に向かいます。馬場は細長い曲輪で、馬場櫓跡がありました。その先は、本丸南西石垣跡があり、弾正丸という曲輪があり、石垣虎口の搦め手口がありました。弾正丸の北隣は二の丸です。二の丸は土塁、石垣に囲まれていて、長屋跡がありました。

 

 

 

馬場と本丸石垣

 

馬場櫓台

 

 

弾正丸

 

 

 

搦め手虎口

 

本丸南西石垣

 

 

 

二の丸、二の丸長屋跡、石垣

佐賀県 名護屋城その3 攻城175(2022年4月15日訪問) 日本100名城 No87 57/100

 

<攻城2>東出丸~三の丸

大手口から北東に登場坂を登っていくと、両側に石垣があり、東出丸にでました。玄界灘の眺望が良かったです。

 

 

 

 

東出丸への登城坂と石垣

 

 

東出丸

 

東出丸からの眺望

 

東出丸の北に、三の丸がありました。三の丸広場には、井戸跡、三の丸南櫓台、三の丸南東櫓台がありました。石垣も残っていました。

 

 

 

三の丸の道、虎口

 

三の丸

 

三の丸井戸跡

 

石垣

 

 

 

三の丸櫓台