佐賀県 名護屋城その5 攻城175(2022年4月15日訪問) 日本100名城 No87 57/100

 

<攻城4>遊撃丸~水出曲輪~本丸

二の丸の北に、船手口があり、明の使節をもてなしたと言われる遊撃丸がありました。遊撃丸から北に土塁をを下ると水手曲輪がありました。

 

船手口

 

遊撃丸

 

本丸西土塁、石垣

 

 

水手曲輪、井戸跡

 

水手口

 

水出口から本丸へ登っていくと、本丸がありました。本丸は広大です。その先に天守跡がありました。天守跡には礎石があり、玄界灘の眺望が良かったです。ここに、天守がそびえていたんですね。海から見たら、さぞ、立派で華麗だったんでしょうね。本丸を北に進むと三の丸への大手道があり、三の丸から駐車場戻りました。

 

水手口から本丸への虎口

 

本丸

 

本丸の建物礎石

 

天守台

 

天守の礎石

 

玄界灘の眺望

 

本丸櫓台跡

 

 

三の丸と本丸を繋ぐ大手道、虎口

 

秀吉の野望が、ひしひしと感じられる、偉大な城郭でした。感激しました。本当に来て良かったです。素晴らしい、縄張り、石垣、感激しました。よくぞ、こんな巨大な城郭を短期に創り上げたものです。豊臣家の富と威光、全国の大名の努力が感じられる、偉大な城郭でした。そして、この後、石田三成らの文治派と加藤清正、福島正則、黒田長政らの武断派の対立を招き、豊臣恩顧の武将同士の戦い、関ヶ原合戦を経て、家康の江戸時代に入っていく起点の城郭が名護屋城だと思いました。