いやはや、まったくブログを更新していないのに、
読者がつき始めた!

うれしい限りです。

最近、まったく忙しくて海に入れていない!!

充電しないと、もたんぜよ。


今大切な事は、自然の大切さや環境保護の意識を「学ぶ事」ではなくって、
実際の自然とのふれあいの中から大切な事を「感じる事」ではないでしょうか?

結局、頭でっかちになってしまって何もできないのが今までの人間の活動であって、
頭の中では大切な事だと分かっているのに、体が動かないという人は多いのではないでしょうか?

かくいう僕も、今まではそうでした。

でも、今はちがいます。動き出す事ができました。
動き出す事で、人と人がつながり、自分の信念のままに動いている喜びと充実感を得る。
もちろん、仕事との掛け持ちなので体力的にも時間的にも制約がある。

でも、僕が動けているのもサーフィンから大切な事を感じ取り、
動かなきゃと体で感じ取れたから。

アドベンチャークラブ Great Spiritを立ち上げ、
今、小さいけれど自分の中ではとてつもなく大きな一歩を踏み出しました。

もし、賛同してくれる方がいらっしゃれば、info@greatspirit.bizまでコンタクトしてください!!
先日、国営諫早湾干拓事業(長崎県)で「動物の生息地が奪われる」などとして地域住民4人がムツゴロウ、シオマネキ、諫早湾などを原告に加えて、事業差し止めを求めた訴訟がありました。



 原告側は、干潟を失わせる同事業を「自然の破壊行為」と批判し、環境権などが侵されているとして、事業差し止めを求めた。さらに「自然の権利」を掲げ、干潟の生物などにも「固有の訴権がある」と主張。自然物の声を代弁する形で法的保護を求めましたが裁判所は当初から「当事者能力がない」として、生物などを原告から除くよう求めた。

http://kumanichi.com/news/kyodo/social/200503/20050315000025.htm>(くまにち.comより転載)



現在も、裁判は続いています。



原告に人間以外の生物を迎え、自然の保護を訴える訴訟として注目を集めましたが、原告側が勝つ可能性は残念ながら低そうです。



法律が守るのは、人間の権利だけなのでしょうか?

自然に住む生き物達には、自らの住処も命さえも守る権利が無いのでしょうか?



人間主導の開発が無作為に行われ、その地域を守る人々の権利は争いの場に立つ事が当たり前なのに、なぜ、その地域の動植物や自然の権利は踏みにじられるのでしょうか?



動植物が原告に立つ事は実際は無理だとしても、その声を代弁する人々がいる。無抵抗なまま動植物の権利が踏みにじられて行く事は、その地域を、その地域の人々の権利を蔑ろにすることと同じではないのでしょうか?



ぜひ、このニュースに関するコメント、トラックバックを!!
『Time is up』とは、読んで字のごとく『時間切れ』という意味です。この言葉にはたくさんの意味と思いが込めれられています。



京都議定書、愛・地球博、21世紀の初めは日本が持続可能な発展についてまさに主導しています。でも、普段の生活からは「持続可能な発展」なんて堅苦しいものから「地球にやさしい」ということまで、なかなか実感が湧かないで来ました。



ですが、身近にはこんな話もあります。



私が尊敬する幼稚園の園長先生の詩にこんなものがあります。



「自分くらいはと思い、あたりにゴミを捨てる。

 地上に1億あまりのゴミが増える。

 自分だけでもと思い、あたりのゴミを拾う。

 地上から1億あまりのゴミが消える。」




そこの幼稚園では、子供達に環境教育もしています。

環境教育と言っても大げさな事ではありません。心のやさしい人に育てる事が環境教育でもあるのです。これこそ、立派な教育では無いでしょうか。



前世紀の途中から、環境問題は叫ばれてきました。

でも、私達は目の前の事に捕われ、いや追われ続けていたばかりに

その大本の地球の事までは気が回らなかったのが事実です。



もう本当に間に合わないのでしょうか?

本当に「愛だけで地球は救える」のでしょうか?



絶対に、まだ解決策はあるはずです。時間切れなわけが無い。

自分の子供達に青い空と青い海を。そして、住み良い日本を、世界を、地球を。



時間はまだあるはず。

このブログを通して、1人でも多くの人が地球ともっと向き合い、自分の出来る事を考えてくれれば素敵だと思います。これが、Webの力でもあります。

自分に出来る事をやる。



そんな仲間を増やしたいと思っています。