大人のヒエラルキー構造は子どもの心に差別観を生み出す | Tiga TANZ ティガ タンツ

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Kathy

 

  大人のヒエラルキー構造は子どもの心に差別観を生み出す

 

子どもは、大人社会の上下関係、

 

ヒエラルキーHierarchy の関係をよく見抜いています。

 

 

 

 

学校、幼稚園、保育園などでも

 

先生と生徒の組織内で

 

ヒエラルキー構造があります。

 

 

 

もちろん

 

どこでもどこの世界でも

 

多少はあるかもしれませんが

 

その構造が強いと

 

所謂

 

縦社会の人間関係を作り

 

差別やヘイトを生み出してしまうのです。

 

 

 

年齢の縦社会だけではなく

 

地位や役職、

 

富裕層と平民、

 

正社員と派遣やパートタイム

 

職種

 

人種

 

Gender

 

Minority and Majority 

 

など

 

他にもあるでしょう。

 

 

 

優位に立つ側とそうではない側

 

排他的な派閥

 

境界線の区切りの壁が

 

分厚いか

 

薄いか

 

ほとんどないか

 

の違いです。

 

 

区切りの壁が

 

分厚ければ分厚いほど

 

そこには差別が生じるので

 

ヒエラルキー構造と言えます。

 

 

 

そうではなく、

 

皆が平等に意見を言い合え、

 

違う意見も

 

ひとつのアイデアとして考えることが出来、

 

多様性を受け入れ

 

お互いを尊重する雰囲気があるところは

 

ヒエラルキー構造がないと言えます。

 

 

 

 

子どもは大人よりも

 

ずっとシビアですので

 

自分に有利になる大人を知っています。

 

先生が複数いたら

 

誰が上かを見極め、

 

上の立場であるリーダーの先生サイドにつきます。

 

 

 

ヒエラルキー構造の強いところだと、

 

子ども達は、

 

リーダーの先生の言うことしか聞きません。

 

 

強烈に強いところは、

 

補佐的な立場の先生には

 

挨拶もしないという子もいます。

 

 

子ども達は

 

補佐的な立場の先生を

 

自分たちよりも下に見ます。

 

 

補佐的な立場で働いている人は、

 

子ども達にとって

 

下層級クラスになるのです。

 

 

大人が大人同士で

 

知らず知らずのうちに偏見を持ち

 

差別的な振舞をしていると

 

こうなります。

 

 

しかし、

 

残念ながら

 

こういう態度や言動をしているということに

 

大抵のリーダー的な立場の人は気づいていません。

 

 

上層部に長くいる人ほど、

 

感覚がもう麻痺しているのか

 

下の立場の人になって

 

物事を考えられなくなっている人、

 

けっこういます。

 

 

皆、従順で、

 

批判しないし、

 

常に賛同してくれるから

 

皆の意見は自分と同じだ

 

と思ってしまうのでしょうか。

 

 

 

自分が心地よければ

 

皆同じように心地よいはず

 

という感覚に酔いしれてしまうのでしょうか。

 

 

フランス革命のマリー・アントワネット状態ですね。

 

 

このような構造を作ってしまうと

 

子どもたちの社会、組織にも

 

明らかに影響します。

 

 

 

家庭内でも同じです。

 

家庭という組織ですから…

 

 

 

上下関係の強い組織にいると

 

4~5歳くらいから

 

このような価値観が生まれてきます。

 

 

自分の周りの人を階級付けするようになってしまうと

 

スクールカーストを構築してしまうでしょう。

 

 

 

スクールカーストは

 

最終的に

 

いじめに発展します。

 

 

因みに

 

スクールカーストとは

 

英語っぽいですが、

 

和製英語です。

 

 

英語では、

 

School Cliques

 

Adolescen Cliques

 

と言います。

 

 

Clique は、

 

派閥、社会集団という意味ですが

 

排他的な意味合いがあります。

 

 

Adolescenは、

 

思春期、青春、青年期とかで

 

所謂

 

Teenager 10代の若者ですね。

 

 

 

今日の教育界では、

 

グローバル的に

 

目指す教育方針の方向性のひとつには

 

 

「個性を尊重し、

 

多様性を認めよう。

 

誰一人として取り残さない社会

 

を目指す教育」

 

 

がありますが

 

それに反して

 

反対方向へ進んでしまっているところ

 

まだまだけっこうあるようです。

 

 

 

「自分は大丈夫。

 

自分の園、学校は大丈夫。

 

差別はない」

 

と思っている人がほとんどだと思います。

 

 

 

しかしながら

 

もしかしたら

 

気付いていないだけかもしれません。

 

 

 

私が過去に経験した

 

ショックな出来事についてお話します。

 

 

 

ある小学生の子どもが

 

棚から何かを取った時

 

手が鉛筆削りに当たって

 

棚から鉛筆削りを落っことしてしまい

 

削りかすが床に散乱しました。

 

 

私はちょうどその傍にいて、

 

その瞬間を見ていました。

 

 

わざとではなく

 

アクシデントですが、

 

そういうことは大人でも

 

けっこうありますよね。

 

 

わざとではなくても

 

散らかしたら

 

その本人が片付ける責任があるのは

 

当然だと思います。

 

 

 

しかし

 

その子は、

 

床に散らかった削りかすを見て、

 

その後

 

私の顔に目をシフトしてにらみ付け

 

人差し指を私に突き刺すように向け、

 

その後、

 

床の削りかすに人差し指を突き示し、

 

そして、また

 

私の方向へ人差し指を突き刺したのです。

 

 

その後、くるりと背中を向けて

 

去っていきました。

 

 

驚きのあまり

 

言葉が出ませんでした。

 

 

これは、どういう意味でしょう。

 

 

私は、

 

傍にいただけで、

 

鉛筆削りには全く触れていないし

 

私に責任があるとは考えられません。

 

 

 

でも

 

感じました。

 

明らかに、

 

その子にとっては

 

私は補佐で

 

雑用係なのです。

 

 

だから、

 

私への指差しは

 

「あなたが掃除して!」

 

という意味でしょう。

 

 

私は、

 

その子にとって

 

下層階級の存在だったのです。

 

 

 

リーダーの先生は、

 

何も言いませんでした。

 

 

 

気付いていたかどうかは

 

わかりませんが…

 

 

しかし

 

 

リーダーの先生に呼ばれて

 

急いで向かって行ったので…

 

…‥‥‥

 

 

 

どんなに勉強が出来ても、

 

どんなにお金持ちで偉い人でも

 

 

差別的な価値観があったり

 

ヘイト的な態度があったりしたら

 

その人の人間性を疑います。

 

 

 

このままの価値観で成長したら

 

この子はどんな大人になるのでしょう。

 

 

狭い人間関係の世界で

 

同じような仲間だけで

 

生きて行くことになるでしょう。

 

 

 

 

ここの組織には

 

大人の中に

 

ヒエラルキー構造を感じていました。

 

 

 

嫌な予感はしていましたが、

 

子どもの中にも

 

差別観、

 

ヒエラルキー価値観が

 

もうすでに

 

生れていたんですね。

 

 

 

残念ながら…

 

大人のヒエラルキーな価値観は

 

子どもたちにも明らかに影響します。

 

伝染します。

 

 

 

そして、子どもの心に

 

差別観を生み出すのです。

 

 

 

子どもは感覚が鋭いです。

 

小さい子も

 

よく見抜いています。

 

 

これから先

 

この子は

 

どういう子になっていくのでしょう。

 

 

ですが

 

人生はこれから…

 

 

いろいろな人と出会うことで

 

いろいろな感情経験をすることで

 

様々な気づきが得られるかもしれません。

 

 

自分で気づかないと

 

改めることはできません。

 

 

 

いつか

 

出来るだけ早く

 

気付いて

 

平和的な価値観を獲得できることを

 

願います。

 

 

 

結局、

 

鉛筆の削りかすは

 

ご指示の通り、

 

私が掃除しました。

 

 

しかし、

 

みんなこんな子ばかりではありません。

 

想像力豊かで

 

優しい子もたくさんいます。

 

 

 

そういう子が

 

私の姿を見て

 

何か感じてとってくれるといいな

 

と思いました。

 

 

 

 

その一方

 

別の園では

 

愛溢れる

 

嬉しい経験もたくさんあります。

 

 

 

ヒエラルキーな構造がない組織も

 

もちろんあります。

 

 

そこでは、

 

子ども達はとても素直で

 

優しいです。

 

 

挨拶もできます。

 

にこにこ笑顔で

 

好奇心旺盛に挨拶にし傍にやってきて

 

自己紹介が始まります。

 

そして、

 

「自分をみて!」というような感じで

 

自己アピールしてきます。

 

 

すごく可愛いです。

 

 

隔てなく

 

お互い関わり合うことが出来ています。

 

 

 

親切にされているから

 

相手にも親切になれる。

 

 

自分の気持ちを十分受け止めてもらっているから

 

相手の気持ちも受け止めることができる。

 

 

自分の話を聞いてもらっているから

 

人の話も素直に聞くことができる。

 

 

自分を尊重してもらっているから

 

相手を尊敬できる。

 

 

 

子どもは

 

自分の周りにいる

 

身近な大人の姿を見て

 

鏡に映す出すように

 

その大人の姿をそのままそっくり

 

真似するのです。

 

 

 

モンテッソーリ教育の理念は、

 

大人と子どもの一方通行教育ではなく

 

子どもと教師共に往来しあう

 

相互関係の教育で成り立ちます。

 

 

 

平等の精神だからこそ

 

平和教育と言われております。

 

 

 

しかし、

 

モンテッソーリ教育を柱にしている組織でさえも

 

ヒエラルキー構造があり、

 

差別観が漂っている環境があります。

 

 

 

 

教育方針は、

 

あまり

 

関係がないと思います。

 

 

 

教育方針より

 

大人の人格、

 

生まれ育って養われてきた価値観、

 

理念が大きく影響するのでしょう。

 

 

 

 

教育現場に求める心地よい環境は

 

自己主張が出来る

 

差別観なく

 

多様性を受け入れられる

 

お互いを尊重し

 

思いやり

 

愛のオーラ溢れる

 

ひとりひとりの居場所

 

 

 

そんな環境を

 

構築して欲しいと願います。

 

 

 

皆お互い

 

尊敬し合い

 

認め合い、

 

助け合いながら

 

安心して過ごせる心地よい社会、

 

組織を築いていけたらいいですね。

 

 

外枠だけではなく

 

中身も伴った

 

本当の意味での

 

平等で平和な環境を作りたいな

 

 

 

そして、

 

こういう環境に身を置きたいな

 

と私は思います。

 

 

 

 

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