気がついたら、今年はクラブニンテンドーがゴールドランクどまりだった。

毎年プラチナだったんだがなあ。

うーん、いつ以来だろう? ちょっと記憶にないな。

あと30ポイントぐらいだったみたいなので、なんか買ってしまえばよかったか(笑)


今年は任天堂のものに限らず、あまりゲームを買ってない印象。

この先、年末までは結構買う予定なんだけど……。



PS4や、XBOX次世代機のウワサがちらほら聞こえてきた。

さて、どうなるだろう?


据え置き機は、Vitaや3DS以上に、

「開発費用が高騰」するワリに、「期待できる売上」が変わらない、

という問題に直面するわけだが……。

この問題を解決する青写真がちゃんと書けるかどうか、が

両ハードへの試金石だろうなあ。

これがクリアできないことには、この先どうなっても成功はないだろう。



海外に打って出るなりして市場を広げるのも答えのひとつで、

この先インドなりに、より大きな、ちゃんとした市場を築くのも正しい答えだが……

アメリカや欧州の例をみるかぎり、そのあたりに受けるゲームを作っていて

日本のユーザーたちが大きくとれることはないんじゃないか、と思うし、

ワタシの理想とするゲームも、そのあたりにはなさそうなんだよなあ。


現世代の結果をみれば、次世代において

日本市場がますます軽視されるのはあきらかで、

それは非常にくやしい。

そうならないようなアイデアを提供できるハード……

そんなのがあるのが一番なんだけどね。


まあ、ムリな話か。


単純なスペックアップではマズイ、という認識をちゃんともっているかどうかと、

その問題にちゃんと取り組んでいるかどうかをどれだけ示せるか、がカギかな。







いろいろゲームを進行中。


○ Civilization 4


 いまさらながら、プレイ開始。

 実はCiv5をずっとプレイしていたのだが、Civ4の評判がやたらいいので、

 ちょっと見てみるか、という感じでプレイしてみることに。


 チュートリアルがまともに動かないのは恐れ入った(笑)

 ミスクリック一発で進行不能になるのはまだしも、

 何が原因かわからない進行不能も多数。


 やりながらおぼえろ、というスタイルは日本ではきびしすぎるわなあ。




○ 碧の軌跡


 プレイ中。


 悪くはないのだが……戦闘の面倒くささが増した感が強い。

 バーストなどの要素追加で、気分よく勝てるシーンも多いのだが……。


 毎度気になるのが、致命的な状態異常の多さ。

 装備で防ぐしかないのだが、初見で防ぎようのないシーンでうけることがあまりに多い。

 これ、以前の作品からそうなんだけど、問題だと思わないのかなあ。


 世界感的には、すでに5作目なのに、延々同じ様な場所で足踏みしている感じがすごい。

 まだプレイ中だからかもだが、

 三作目あたりから世界全体の謎とかは一切解き明かしがすすんでないんじゃなかろうか?


 あと、「設定上の強さ」面で主人公より格上のキャラが異常に多い気がするのだが、

 これは本当にいいのか(笑)

 いつまでたっても主人公は子供扱いされている気がするが……。

 もう2作目の中盤を越えたんだがなあ。



○ ダークソウル


 プレイ停滞中。


 まったく先にすすめなくなってしまった。

 まだぜんぜん序盤のようなんだが……。

 コツがつかめていないのか、そもそも難しすぎるのか。うーん。


 

 





うーむ。ダークソウル、ぜんぜんすすめなくなってしまった(笑)


何をやればいいかわかっているし、個々のシーンでみれば、

十分クリアできそうな難易度にみえるのだけど、

積み重ねるとどこかでミスをしてやられる。

そして、「ミスをしないようにプレイしつづける」には根気と時間が足りない……。


結果として、同じことの繰り返しになってしまっているので精神的にキツイな。

少しでも積み重ねのある風になっていれば違ったのかもしれないが……。


英雄伝説が予想外に早く届いたし、ここはひとつ様子をみるべきか?

「ダークソウル」プレイ続行中。


オンラインに正常につながるようになり、楽しさ倍増。

いまのところ体験できたのは、メッセージを残す+他人の死に様が見れる、って感じの

すれちがい的な要素だけなんだけど……


これ、無茶苦茶よくできてるわ。


話には聞いてたけど、実際にやってみると、

これらの要素がゲームの魅力をググっと増やしているのがよくわかる。




「共感」と「インタラクティブ性」。


この2つは、「ゲーム」ってメディアがもつ、とんでもなく強力な武器だ。

解説すると長くなるからはしょるけど、

ゲームが他メディアに比べてずっと優れているポイントがこの2つだ。



「ダークソウル」の2つの通信システムは、このポイントを強化し、

ゲーム全体を魅力的にしている重要な要素だ。


時間があるときにでも文章にしてみたいところ。



……ゲームはなかなか進展せず。

まったく難しいゲームだ……




「超クソゲー(3)」読了。で。



日本でゲーム批評が受け入れられない理由

http://sub.game-damashi.com/weblog/2011/09/27/1410/


>ゲーマーたちは口では「公平なレビューを!」と言いながらも、

>実は心の底ではそんなもの望んでいないのではないだろうか


なども読んでみまして。

とりあえず、「レビュー」と「公平さ」ってものについて、ちょっと語ってみたいな、と。


「ゲーム批評が公平であったか」って部分にはひとまずまあ目をつぶって、

「公平な意見」って、そんなに魅力があるかな? ってところを論じてみましょう。




そもそも、読者が「レビューに何を求めているもの」ってなんでしょうかね?


ワタシの場合、「レビューに期待するもの」って、

こんな感じなんですよ。


(1)買おうと思っている(買うかどうか迷ってる)ゲームが、期待どおりの出来か判定する機能

  (よし、買おう! or ちょっと見送るか……)


(2)自分が面白かったゲームの「面白さ」を解説してくれる機能 

  (そうそう、あれすごかったよな!)


(3)自分がつまらなかったゲームの「ダメな部分」を解説してくれる機能

  (そうなんだよなー。あのメーカーはここがわかってねーんだよ……)


(4)知らなかったゲームを発掘してくれる機能

  (おお、こんなゲームがあったのか!)

  (あ、このゲーム、こんなすごいところがあったんだ)

  (うあー。こんなダメゲーが……自分で作るときは気をつけよう)


(5)面白い紹介をしてくれるレビュアーさんのゲーム紹介記事

  (この人の見方おもしれー。次はどんなゲームを語るんだろう?)

  (おお、面白い見方だ。こんな見方があったのかー)



他、ありますかね? うーん。考えればもうちょっとありそうなんですけど。

まあ、いいか。こんなもんで。

他はちょっといじれば、上の分類にいれられるんじゃないかとおもうんで。



さて、この中で、「公平さ」が求められるのって……どれですかね?


(1)は間違いなくそうかな、と思うんですよ。

でも、(2)-(5)は違うんじゃないかな?

(2)と(3)は、その主旨から、「自分と意見のベクトルが近いレビュー」であることが前提。

(4)は、発掘って意味があるんだから、多少もちあげてたって文句はない。

ひいきでもいいから、見所を教えてほしい感じ。

(5)は、その人なりの意見がでてりゃ、それでいい。



いやいや、もちろん、「極端な不公平さ」はどれでも困りますけどね。

(2)-(5)は、多少バイアスがかかってたところで、「どうってことない」ように思うんですよね。


たとえば、クソゲー紹介。

多少公平性を欠く書き方だったとして、そのレビューがつまんない、

ってことにはならないんじゃないですか?

クソゲーオブザイヤーのレビュー文は、やっぱりときどき、

公平性には欠ける文章も混じりますが、面白いじゃないですか。


ファンサイトが、「どーみても欠点に目をつぶったレビュー」を掲げたとしても、

それが愛に満ち溢れた深い考察だったら、それはそれでいいんじゃないか、

って思うわけですよ。


ゲームの分析・解析だって、理屈や事実にあってることは必要だけど、

レビュアーがあるメーカーのソフトだけ取り上げてからって、

別に、それはそれで。内容が深さ浅さは問題ですが。


懐ゲーの紹介記事が、当時のメーカーへの愛に満ち溢れたものだったからといって、

紹介内容が間違ってなけりゃ、別にかまわんでしょう。



で、こういう観点でみてみますと……。

「公平さ」って、そんなに必要なもんですかね?



いや、「公平であるほうがよりよい」のは間違いないですよ。

でも、雑誌としてのウリにするほど、強い魅力なのかなあ、それ、と。


「ゲーム批評」って雑誌は、「意見の公平さ」をウリに押し出してたと思うんですが……

実は、それが生きるのって、あんまりないんですよね。


(1)の場合は生きるけど、これは購入の可否判定にするんだから、

速報性も公平性と同じぐらい求められてしまう。

で、「ゲーム批評」は、その性質上、「速報性」は致命的にない。

(2)-(5)は、主旨の都合上、

「たとえ公平であったとしても、そのレビュー・記事にとってそんなにプラスにはならない」。



「ゲーム批評」を買うぐらいのゲームファンが、あそこでレビューされるまで、

気になるゲームを買わずにいる」って、あんまりないし。

そうすると、「公平かどうか」はさておき、それぐらい時間がたってるなら、

「深い考察」「興味深い考察」をしていることのほうがよっぽど重要だし……と。



キツイ言い方をするなら、「ゲーム評価」は、

「ウリが生きる時期に商品を客のところに届けられてなかった」じゃないの? と思うわけなんですよ。

もちろん、真っ当なゲーム論評誌としていくなら、

面白い記事がかけてれば(2)-(5)だけでも人気は出るかもですが……。

いや、もちろん、その問題を解決するのが難しかったのもわかるんですが……。



そもそも、ゲーム企業の広告を断ってまで押し出していた、「公平な記事」って、

実は、読者のニーズ的にも、重要性的にも、そんなに高くないんじゃないのか、と。



自分とあわない意見を見たとき、つい「公平じゃない意見だ!」といってしまいがちになるけど、

それは単に意見があわなかったものを批判する声、ってだけで、

本当に求めてるのは公平な声じゃないんじゃないか……ってのは、上のリンク先と同意見なんですが。



本当に他の誌上が、極端に不公平な意見で占められていて、

それを打破することが求められていた……っていうなら、ウリにもなったんだと思いますがね。


別に、ファミ通の記事が公平さに満ち溢れている、とは思わないわけですが、

それが致命的なほど極端に不公平ではなかった、ってことなんじゃないかなあ、と。




……あ、レビュアーが「なるべく公平であろうとする」ことは、すげー大事だと思いますよ。


「レビュー」にとって「公平さ」は大事。


ただし、「レビューが公平である」ことだけでは、雑誌のウリとしては不足していた、ってだけで。


「国際社会で正義を叫んでも無駄」ってのに近い。

でも、人としていいこと悪いことを意識するのが大事なのと同じ。


ワタシ自身も、「ネット上の、公平じゃない記事」に腹たてることなんかも多いですが、

だからといって、その記事に集客性も注目度もあるのもまた事実。