公園で、子供を遊ばせた。
小さな体を一生懸命、動かして、笑う様子がかわいかった。
かわいいって、なんだろう?
小さくて、キラキラしていて、無邪気で。
大人が一生懸命、遊んでいても
でかいし、脅威を感じるし、知恵も悪知恵もある。
子供は、かわいい。
でも、今は、子供は、面倒くさい、うるさい、子供のために犠牲になりたくない。
理路整然とした都市の文化に、子供は、あわないのだろう。
幸せは、清濁併せ呑む、だと思う。
きつい仕事に耐えるから、給料がもらえる。
きつい勉強に耐えるから、合格できる。
子育てをがんばったから、卒園式で泣ける。
清いところだけすくい取ることはできず、濁ったところを越えていくから、幸せがある。
子供なんかいらない、という人もいれば、子供が欲しいという人もいる。
条件ありきの婚活。
失敗したくない結婚。
濁ったところを受け取らず、清いところだけをすくい取りたい願望。
濁ったところを拒否しているわけじゃない。
でも、できれば、いい条件で結婚して、幸せになりたい。
人間万事塞翁が馬で、何が吉とでて、何が凶になるかわからない。
例えばの話で、高機能自閉症の子供が生まれたら、人生不幸なのか?
子供に、四苦八苦して、泣きながら、子供と共に成長する。
そんな人生は、イヤなのか。
障害のある子供は、重くて、抱えきれない。
濁りを捨てているんだ〜、濁りに幸せがあるんだ〜、などと言っても、通用しない。
みんな誰でもわかっている。
がんばりたくなくても、がんばっている。
濁りなんか捨てていない。
みんな濁りと共に生きている。
子供のかわいい、は闇を抜けての光であった。
ただ、かわいいだけなら、キティちゃんである。