ワクチン接種して、日常を取り戻す。

ワクチン接種して、健康被害。

そのどちらも両サイドから語られるストーリー。

おそらく、日常は取り戻せないし、ワクチンでそんなに人は死なない。

どこかの誰かが作った台本は、もっとどんでん返しがあるような気がする。

とりあえず、ワクチンは怖いし、コロナも怖い。

言葉は記号ではなくて、気持ちを込めれば魔法が使える。

愛情を込めた「おつかれさま」を聞いたら、疲れた心が癒やされるでしょう。
ずっと想い続けた人に告白したことが何度かある。

叶わない想いを抱き続けるのはつらい。

好きというのは幻想で、その夢の中に漂うのは蛇の生殺しのよう。

告白して、フラレた。

それから、徐々に夢から覚めていく。

はっきりしているのは、告白したことを後悔していないこと。
「どうしたの?」と自分自身に問いかけるのがマイブーム。

追い詰めるのではなく、優しく聞く。

それに答える自分もいる。

問うことは、答えること。

反射的に備わったシステムがある。

「どうしたの?」

……○○

「そうなんだ」

こういう脳内のやり取り、癒やされるのでやってみて

鏡を見ながら笑顔を作る。

すると、悲しい気持ちが渦巻いていても、形につられて、心も楽しい気持ちになる。

自己啓発などでそのような教えを読んだことがあると思う。

たしかに、一時的には脳波では悲しい感情がやわらいでいるのを確認できるが、その後、ネガティブな感情が蘇ってくるという。

つまり、心にウソをついてポジティブなフリをしても、抑圧したネガティブな感情は消えてはいないのだ。

感謝の祈りも同じだと思う。

ありがとう、とも思っていないのに、感謝をしても、ウソをついているのと同じなので、抑圧されたネガティブな感情は蘇ってくる。

それが成功するパターンは、ウソではなく、心の底から笑顔や感謝を演じた場合だ。

ネガティブを抑圧するのではなく、名優のように、本物の笑顔や感謝をする。

それになりきれるほど、心を無にして、感情をコントロールする。

スピリチュアルや自己啓発ではそこまで書かれていなかったな〜と思う。

イワシの頭も信心から、というように、ウソも心からそれになりきれば、本物になる。

『バンソーコ』

カミソリですりむいた唇に、娘がバンソーコを貼ってくれた。

ニコニコして、嬉しそうに貼ってくれた。

天使だな。



『覚えた言葉』

3歳娘が保育園で覚えた言葉

「ほら、食えよ」

ドスのきいた声に震えている




『おんぶ』

娘をおんぶしながら、洗濯などをしていると、娘が落ちそうになり、娘の手で首がしまるので、毎回、死にそうになっている

デジタルデトックスやめました。


3週間くらいネット無し生活。


妻に叱られて、simを折っただけなのがホントの話。


本を読んだり、マンカラというゲームをしたり、そんなに困らなかったけど、ネット界はどのように進んでいるか知りたくはあった。


つながっているっていいな、と思う。


ネットは、宝物のようなすごいインフラだ。


リアルでは、ほとんど友達がいないし、ネットでも交流がそんなにあるわけではないけど、ROMをしながら、つながっているつもり。

仕事で、失敗したことや教わったことを記録したノートがある。


それを久しぶりに見返してみたら、当時の大変さや頑張りを思い出して、心が痛くなり、また、よく頑張ってきたな、と思った。


大変な仕事なんか、普通はしたくない。


余裕で、平和で、毎日、楽しければ、それでいい。


でも、大変な日々を乗り越えた記憶を振り返ってみるとき、そこから時間がたつほど、それらが宝物のようなときになる。


楽なことばかりだと、そこまで思い出深くはないだろう。


私がM体質だからそう感じるのかもしれない。


どんな時間にも意味がある。


今のコロナ禍も、遠い未来から振り返ったとき、懐かしく思えるときに、なるだろう。
短歌を詠みます。


思うよう育てられるものならばワンクリックで済ませる育児


ワンクリックで済ませられるような育児。


そんなに簡単に行かないから、みんな苦労している。


服を脱いでくれない。服を着てくれない。ゲームをやめない。宿題をやらない。

思うようにならない。


そこで試されるのは、本物の愛。


苦労した分だけ、思い出も深い。


ワンクリックでは味わえない黄金時代なのかもしれない。