世界が崩れそうなとき、永遠のものはなんだろうと思う。愛もしょせんは執着なんだ。自分すら消えていくんだ。最後に残るものを捨てていき、そこに想いが残るなら、それが美しいものに仕上げていく一生。





わりとバカにされたり、嘲笑されることが多いが、愚直にコツコツやるのは得意なので、派手なことはできないが、地道なことはできる。


築いてきたものが徐々に現れてきて、そこで差がつく。


自分をすごいとは思わないが、バカにされても、自分を信じる強さなら負けない。



時間は収納。

詰め込み過ぎると、狭くなる。

収納に余裕をもてば、広く使える。

空白のぼーっとした時間が、余裕。

話は変わるけど、UFOの目撃情報が減っているそうだ。

その理由……人々が空を見上げる時間が減ったから。

暇さえあれば、スマホを見ている。

面白い。

それと引き換えに失われたのが、空を見上げる時間もそうだけど、ぼーっとする時間。

収納で言えば、ものがギチギチにある状態。

空白が減って、忙しくて、なんとなく見失っているものがあるような気がする。

ぼーっとする時間を作ってみよう。

楽しい記憶をあれこれ思い出して見よう。

楽しい未来をあれこれ想像してみよう。

スマホの画面は、人を縛りつける。

空の広さ、時間の豊かさ、忘れていませんか?





コロナワクチンについて、個人的な感想です。

ワクチンをなぜ、打つのか?

感染予防有効率95%

有害事象も報告されていて、リスクはある。

しかし、コロナにかかり、重症化したり、後遺症が残ることを考えれば、リスクよりベネフィット(恩恵)が上回るから接種したほうがいい。

医師はそう説明するだろう。

私が疑問に思うのは、コロナの今までの経緯。

コロナは突然、発生し、またたく間に世界中へ広まった。

そして、異常な早さでワクチンが作られた。

コロナで自由が制限された。

経済活動は停滞し、プライベートは自粛。

コロナの恐怖や自由への渇望につけこむように勧められるワクチン。

コロナがもし、生物兵器なら、そして、すべてが仕組まれているなら、ワクチンを打たせるために、コロナ騒動があったのではないか。

それは陰謀論と言われる。

ワクチンは、スパイクタンパク質を生成させる。

スパイクタンパク質は、コロナウイルスの抗原になるもので、それがウイルス攻撃の元だ。

それに対する抗体をつくることで、感染を予防する。

しかし、スパイクタンパク質の問題は、ADE(抗体依存性増強)という抗体の過剰反応を起こす可能性があること。

今まで風邪のワクチンが作られなかったのは、ADEが発生することが原因。

ADEがあることは医師なら誰でも知っているが、そのリスクより、ベネフィットという。

それだけコロナを恐れている。

しかし、そもそもコロナはそれほど怖い病気なのか?

ほとんどは軽症で済む。

重症化したり、死亡するのは、基礎疾患がある高齢者だ。

欧米などでは多数の死者が出たが、日本に関しては感染者81.7万人のうち死者14885人。つまり、死亡率1.82%

この数字をどう見るか。

日本のワクチン接種は、

累計接種回数5856万7099回

2回接種は、2183万9249回

日本でこれだけの回数接種され、ワクチンが有害だという明確な統計はない。

ワクチンの中長期的な影響があるとしても、コロナの後遺症を含めた中長期的な影響のほうが危険と医師は言う。

ワクチンは、安全なのか、リスクよりベネフィットが上回るのか。

今年の冬以降、ADEが多発して、多くの人が亡くなる可能性はないのか。

リスクとベネフィットのどちらを選ぶか、判断が命運を分ける。

(*)数字は、2021年7月10日現在

セミは地中で7年過ごし、地上に出て鳴いて鳴いて天寿を全うする。

なぜ生きるかなんて考えない。

生きるだけ生きたら死ぬ。全力で。

夢、希望、成功、幸せ。

目指すものを胸に秘め、生きるだけ生きて死ぬ。

生きることは、息するだけじゃない。行動すること。



なにがきみのしあわせ

なにをしてよろこぶ

わからないままおわる

そんなのはいやだ

わすれないでゆめを

こぼさないでなみだ

だから、きみはとぶんだどこまでも

……アンパンマンのテーマソング。

ここには、人生で必要なことが詰まっている。

何が幸せで、何をして喜ぶ。

それがわからないまま終わるなんて嫌だ。

夢とか成功は、自分が選んだ幸せであり、喜ぶこと。

人が決めたのではなく、時代の雰囲気で決めたのではなく、自分自身が、心から望むことをする。

それが、幸せであり、成功。

どんなに現実が理不尽でも、夢を忘れない。

泣きたくなるときも、涙をこぼさず、どこまでも飛んでいく。

あきらめたときが試合終了だと安西先生は言った。

あきらめない限り、試合は継続する。

最期の一息をつく、そのときまで、夢をあきらめないで生きる。

自分が、やりたいこと、好きなこと、それがどうしてもやりたい。

夢ってそういうもの。

果てしない夢に向かって、どこまでも飛んでいく。

その途中に、幸せの宝箱が転がっている。




たぶん、正しくて必要なことは、面倒臭い。

間違っていて、要らないことは、みんな好き。

地獄の門は広く開いていて、天国の門は狭いようなものだ。

人に天国への門を強いることはできない。

地獄へ行きたいなら、どうぞ。それを否定できない。

天国への面倒臭い道は、自分が選び、自力で達成する。










水族館へ行ってきました。

日常が少しずつ戻ってきた感じがします。

コロナは、正しく怖れるように。

暑いときの涼風にどれだけ救われるか。

苦しいときの笑いにどれだけ救われるか。

あなたに救われている人がきっといる。




悲しいことがあるとき、このまま死んでいくことを考える。


すると、もう終わりなのに、悲しい気持ちを抱えたままでいいのかと思う。


そんな小さいことにこだわったままでいいのか。


小さなことは流して、もっと大きな器になるように。


新しい悲しみも呑み込めるように。


心は空や海のように大きくなれる。