何かが上手くなる時って、楽しめていたり興味を持って取り組めている時なんだな、って最近つくづく実感します。
バスケは今でも観るのもプレーするのも好きなスポーツの一つ。時間さえあれば、外のバスケットコートに行ってシューティングするのは当たり前で、時間がある時は見知らぬ相手とチームを組んで5対5に混ざる事も、今となっては珍しくありません。自分で言うのもなんですが、間違いなくアメリカに来た去年と比べて上手くなっています。その成長を実感する瞬間は何にも代え難い喜びです。
英語はこの1年間を通してずっと勉強してきた事ですが、伸びている時はバスケ同様楽しめているときです。そんな状態で知らない単語に直面した時は「知らない単語がある。俺ってダメだな」とは思わず、「また新しい単語を見つけた。これで会話のバリエーションが増える」と考えている事が大半です。
そんな時は、多少の悪い事もいい解釈に持っていけるもの。世の中って、よくよく考えると上手く行かない事が大半。自分の経済状況は厳しい。背は平均的。もっと小さな頃に英語に触れる機会があったら。相手は時に思ってもいない事をする。上手くいかないと言うよりも、足りない事が多いといったとこでしょうか。
だけど、足りないからこそ補おうとすることが出来る。経済状況が良くなければ、節約のノウハウが養われる。背が足りなきゃ、技術を磨いて補う。今英語を学んでいるのは、感覚的ではなく一つ一つ納得しながら身につけている事。だから簡単には自分からは抜けていかない。相手の思ってもいない行動を垣間みた事は、相手の知らない一面を知った事とも言い換えられる。
結局、捉え方次第でいくらでもいい方向に持っていけるんですね。もし、何から何まで満たされていたとしたら、努力も何もしないでしょう。そしたら、磨いて輝く物も価値のないまま眠ったままになってしまいます。だったら、常に何か足りない物を見つけて補おうとしている方が、自分でも気づかない新たな可能性に気づけるかもしれない。未知の才能が花開くかもしれない。
そう考えると、何だかわくわくしてきませんか?何か足りないくらいが、実はちょうどいいのかもしれませんね。
こうして書いているのも、少し頑張りどころに差し掛かっているのに少し自分の勢いに物足りなさを感じていたからなんです。変に楽観的になっているというか。でも、足りていないのは頭では分かっている。でも手が動かない。本当に「納得」出来ていない証拠に他ならないです。そこで、自分が動けるように自分に発破をかける意味でこんな事書いてみました。半分は自分の為に書きましたが、これを読んだ皆さんが何かしら得る物があったら幸いです。
さて、もう少しだけ頑張ってみようかな。目の前にひたむきになれる事があるのは、それだけで実は幸せなんだし。