更新を全くしていなかったにも関わらず、足を運んで頂いた方には心より御礼申し上げます。
前回の更新以降、TOEFLとずっと向き合っていた為に日本語で文章を書く機会がめっきり減ってしまいました。先日、目標点数に何とか到達したため、また日本語で文章を書く事を少しずつ増やすようにしています。
また更新を再開していこうと思いますのでお付き合い頂ければ幸いです。
では、本題に移ります。タイトルにあります通り、2020年の東京五輪開催について私が思う事を書いていこうと思います。
開催決定の吉報を耳にした時は、素直に喜びました。スポーツに携わる者として、胸を熱くさせずにはいられませんでした。
同時に、現在日本を取り巻く大きな問題が気になったのも事実です。特に、最終プレゼンテーションでも質問されていたように、原発の問題はやはり懸念せざるを得ませんでした。これから世界各国の人を迎えるにあたって、これは避けては通れない問題である事は言うまでもないでしょう。
この決定を境に、様々な意見がインターネット上で飛び交い始めました。現在、アメリカにいる身ですので、実際の様子を肌で感じる事が出来ません。その為、主な情報源はインターネット上のニュースか日本にいる人から直接メール等で交換した内容になってしまいますが、それだけでも色んな意見を目にしました。
「被災地の復興がままならないのに、五輪をやっていいものだろうか」
実際にこのようなニュアンスの意見は多く見られます。客観的にそう思うのは当然だと思います。未だに被災地の状況を目で見てはいませんが、知り得る限りではまだまだ復興も本格化していな様子だと認識しています。
そんな中、ある意見が私の強い印象を与えました。
「五輪を通してスポーツの価値を高める」
その意見を目にして以来、この言葉の意味をずっと考えていました。
私も、スポーツに関わる人間のひとりです。そして、現在はスポーツが盛んなアメリカに身を置いています。アメリカで生活して約2年半。日本とアメリカのスポーツの価値の違いを身をもって感じています。
アメリカのスポーツは「スポーツを楽しむ」要素が多く含まれており、対して日本のスポーツは「スポーツを通して学ぶ、成長する」といった要素が多く含まれているように感じています。
これらは、あくまで「違う」というだけで、優劣をつけるという意味ではありません。どちらにも良さがあり考えなければいけない点があります。また、お互いの良さを上手く汲み取って応用する事も時には必要であるとも思います。
ですが、新しい要素を加えるにしても、日本のスポーツ、運動文化を基に最も適している環境を作る事が重要だと思います。
次回は、この点についてもう少し深く考えていこうと思います。
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