時はその次の朝にもつれ込んだ。

 日曜日を図書館と悪魔につぶされた俺もまた、「学習」という鎖につながれる「学生」という立場がゆえに登校しなければいけないのだが、そんな通学にも常識の持ち込みは禁止された。

 そもそも、きちんとした常識のある人間なら手首に革製のベルトを取り付け、そこから1mはありそうな鎖を引きずるようなことはない。

 もっともそんな人もいるだろうが、幾千歩譲ったところでそれが常識の範囲内に収まることはないだろう。

「本当は首と首同士で着用するのが一番なのですが、ここは配慮させていただいて瑛太さんだけでも手首にしてもらったのですよ?」

 もっと違うベクトルの配慮が欲しかったというのは贅沢だろうか?

 今、俺の手首からのびる鎖は若干のたわみを持ち、アレイシアの首まで繋がっていた。

 端から見れば奇怪+マニアックな趣味を持った二人ということで通報されるレベルだ。

 首に鎖をかけているのが、異形ながら美少女だということも輪をかけてヤバイ。

 朝の通学時間帯をあえてはずしたものの、やっぱり住宅街と言うだけあって、早起きのサラリーマンやら、箒をパタパタ動かしているおばさんの姿もちらほら見える。

「大丈夫ですよ、私とこの鎖は不可視コーティングされていますから。」

 そしてやるなと言っているにも関わらず、この悪魔は心を読みやがる。

 やっぱり今から無理やりにでも日常を返してもらうことも考えないといけない、命の危機?知ったことか。

「…それにしても、瑛太さんはなぜそこまで『普通の生活』を望むんです?」

「おかしいか?」

 「また心読みやがった」と口から飛び出る前に無難な言葉の方が先に出た、相手は悪魔だ、怒らせてしまっては最後どうなるかわかったもんじゃない。

 まあどっちにしろ誰だって平穏が一番に決まっている

「うーん、確かに平穏を望む人は多いです、私だってだてに悪魔をしている訳じゃありませんからね、いろいろな人を見てきてそれくらい分かっているんです、しかし…」

 鎖をチャラつかせながら悪魔は続ける

「人間というのは二元化できるようなものじゃないんです、平穏に身を置きながらも、自分に被害を与えない程度の争乱を求める人も少なくありません、そうでなければ野次馬は生まれませんし、私たちだって…」


 最後の方をアレイシアがぶつぶつ言うせいであまり聞こえにくかったけれど、まぁ一般の世界に帰る俺には関係のない話だろう。

「あ!ところで瑛太さんはなんでそんなに普通が好きなんですか?ほら、昔何かがあったとか。」

「んー?…あれ…?」

 俺は一瞬本気で悩んでしまった

 そういえばなんでだろう、確かに俺は他人と違う感覚はあった

 ハプニングを嫌う俺の性格は集団の中では結構目立つのだろう、一時は「つまらないやつ」なんていうレッテルを貼られたほどだ

 きっと何か大きな理由があるはずなんだ

 けれどもアレイシアの質問に言葉が詰まる

 幼なじみの影響か?いや、じゃあ…?

 そんな考え事をしていたからだろう。

 俺は背後から近づく狂気の臭いに全く気が付かなかった。

 分かったのは突如襲い掛かった脇腹に走る鋭い痛みと、背後から何者かが体当たりするようにぶつかってきたこと、そしてアレイシアの悲鳴だった。

「…なた達は、本当に事態を分かっているのですか?我々とて鈍感なわけじゃないのですよ?そもそも私たちがこの事件を知ったのも他者の情報があったからです。」

「ふん、おこがましいわ。貴様らは我々を出し抜いたと思い込んでいるようだがな、我々の計画はもっと奥深くまで綿密に計算されている、貴様たちごときにどうにかできるものではない。」

「…魔族がギアの製造を再開したのでしょう?」

「それだけではない、我々はすでに新しいエネルギー源の研究も始めているのだ。」

「それこそおこがましい…あなた達も含めた私たちは皆、創り物でしかないということを自覚なさい。」

 俺は…?

 確か脇腹を何かで刺されたところまでは覚えている。

 当然それが現実であったことを示すようにTシャツには多量の血がこべりついている、まだ刺されてからそれほど時間がたってないのか、血はゼリー状にプルプルぬるぬるして気持ちが悪い。

 腹の痛みはとうに引いていて、五感もちゃんと復帰していたが、目からは何の情報も流れてこない。

 失明したかと焦って少し動いてみると、すぐにそこが日光を完全に遮蔽した巨大な密室であることに気が付いた。

 この近くでこんな空間があるとすればそれは一つしかない、およそ高速道路のわきに昔からある廃倉庫群の中の一つだろう。

 その予想に重ねるようにどこか錆び臭い廃墟のようなにおいが鼻孔を満たした。

「アレ…イシ」

 何とかして、自分を守ってくれると言った悪魔の名前を呼ぼうと痛む肺を無理やり動かして言葉を吐き出す。

「瑛太さん!」

「ほう?もう時間稼ぎタイムは終了かな?私としても下級悪魔と話す機会というのは滅多にないからな、まあまあ楽しめたが。」

 俺の耳に飛び込んできたのはさっきからこの倉庫内で響いていた二つの声、聞きなれた悪魔の声と野太いどこか荘厳なしゃべり方をする男の声だ。

 とにかく状況を把握しようと目を見開き、あたりの光すべてに反応しようと全神経を持っていく、するとぼんやりとだが目が闇になれ始め、あたりの状態が目の当りとなった。

 乾いた破裂音とともにその部屋に硝煙のつんとする臭いが充満した。

 俺に向けられたその黒い穴から飛び出た「ソレ」を俺の目はスローモーションで再生し、それが額にぶつかるまでのわずかな時間が永久にも感じた。

 しかしそれを避ける術はない。

 それは幻覚にすぎないのだから、漫画か何かのように避けることなどかなわないのだ。

 これが17年間生きてきて手に入れた俺の宝「常識」だ。 そうして無慈悲にも凶弾は俺をとらえて離さないのだ…


「おめでとーございますっ!!」


 クラッカーの乾いた破裂音とともに俺の額に異物が刺さった。

 その痛みに思わずのけぞるとバランスを失った体はそのままもれなく万有引力の法則にひっかかり、仰向けに倒れ、悶絶した。


「な…なんじゃこりゃーー!!っていうか人に向かってクラッカーぶち込むな!!これパラシュート飛び出すやつ!?俺の額にアメリカ兵がランディングしてるじゃねえか!!」


 俺はクラッカーの糸を引っ張った間抜け面の悪魔に怒号を飛ばす。


「いやですね、これロシア兵ですよ?」


「んなことどうでもいいし!」


 あの突然の悪魔来訪から早くも1時間がたっていた。

 時刻は夕方7時、クラッカーなんかで騒いでいたら階下の両親かお隣さんが怒鳴り込んできそうだがまだどうにか救われている、お隣さんも両親も出勤中だから怒鳴り込んでくる候補なんてない。

 場所は変わって外部の非常識を完全にシャットアウト可能な常識の城だった(過去形だが)我が家の二階、俺の部屋。

 降臨よりずっと背後霊のように俺の後ろを付きまとっているこの悪魔は今、俺の前でクラッカーを構えふわふわと浮いていた。


「では…サービスの説明を…。」


「いや、もう何べんも聞いた。」

「全然納得してないじゃないですか。」


 そうやって膨れ面をした憎々しい悪魔は何度もしまっては出したせいでシワシワのアンチョコをポケットから取り出すと揚々と読み上げ始めた、まさか俺が納得した表情をするまでやめない気か?


「ええ…ごほん…今回はおめでとうございます、あなたは『悪魔の救命サービス』に見事当選しました、この契約は『人生におけるピンチから一回のみ救命』するというサービス内容になっております、ちなみに被執行権の放棄はできませんのでご了承ください。」


 いかにも胡散臭い文句をたれると、再びエンジェルスマイルに戻り「うらやましいです」なんて雰囲気を出している。

 どうやらもう信じるしかなさそうな気がする。

 いつものペースならばここでハンマーやらバットを持ち出して「悪魔なら死なないよな」なんて言いながら殴打するんだろうけれど、そうすることでこの「非常識」な存在をより確固たるものとしてしまった場合、相当後悔するだろう、という結論に達し工具箱はいまだ物置の中だ。

 というのもその女はそこまで俺を不安にさせるほど確固たる「非常識」なオーラをバンバン出しているからだ、たとえば浮遊してたり、どこからともなくクラッカーを用意したり、くねくねと尻尾を動かしたり。

 とりあえずそうと決まればやることはただ一つ「この非常識な存在が俺の生活に何かしらのパニックを起こす前に帰す」ことだけだ。


「えぇと…アレイシア…さんだっけ?」


「はい!」


はじめて名前を呼んでもらえたのがそこまでうれしいか、しかしその顔面から聖なるパワー的な何かを放出するのはやめてほしい。


「一つ聞きたいんだけど、『人生におけるピンチから一回のみ救命』…だったよな。」


「そうですが?」


顔からペカペカ光線を出しながら小首をかしげるさまは下手すれば一撃で腰砕けになるような清純さが込められている。


「一回って…もう終わってるんじゃねえ?だったらもうここにいる必要ないだろ。」


もしかしてそれを言えば泣くかもしれない、それほど純朴なオーラを出す悪魔はそれでもケロッとしていたから逆に拍子抜けした。


「いえーそうじゃないんですよ。」


悪魔は人差し指を立てる。


「実はですね、瑛太さん。あなた、まだ生命の危機の途中なんです。」


へ?


予想外な言葉が飛び出て、おもわず腰の抜けたような声が出た。


「つまりですね、今は私が何とかしてるから大丈夫なんですけど…なにか瑛太さんは『意図的』かつ『継続的』に『何者か』に命を狙われているようなのですよ。」


ほーらきた、これは夢だ夢に決まってる、そうだいっそのことシュワル●ネッガーとか出てこい、そうすりゃあ相当シュールな夢に仕上がる、どうせ見るんだったら夢の中くらい非常識な方がちょうどいいんだよ。


「夢じゃないですよ」


心でも読んだのか、そう言うと相変わらず笑顔光線満載で悪魔は俺の頬を思い切りひっぱたいた、その勢いにパァンと乾いたいい音がする、勢い余って首が恐ろしい勢いでグルンと回った。


「いたい…とかいうレベルじゃなくて感覚ないんだけど…」


「けれど効きましたよね?」


そうして悪魔はまた少し高度を上げると、頭を天井にくっつけた。


「とにかく、危険度はいまだ把握しきれませんが最悪の場合、私はともかく瑛太さんを守れなくなるかもしれません、ですからちょっと向こうの世界の方からなにか道具取ってきますよ、一晩くらいかかるかもしれませんが…その間は私のシールドがもつと思います。」


そこまで一気にまくしたてると悪魔は梁を突っ切って首、胸、腰、そして足首の順に天井裏へと消えて行ってしまった。一人残された俺はしばらくして呟いた。


「そういえば…悪魔と契約した奴ってだいたい魂抜かれてるよな…」


俺はもしかして早まった…いや、遅まったのかもしれない…。

それに気づいたのはまさに奇跡と言ってもいいかもしれない、あんな死に方では気付ける人もわずかだと思う。

俺が確認したのは急速に膨張する夕日を浴びて地面に映る影だった

 不審に思った俺はばねのように頭を跳ね上げさせると、上空から落下してくる物体が目に付いた。

鉄骨

当然そんなものが落下してくれば人なんてひとたまりもない、マシュマロが落ちてくるのとはわけが違う。

 俺は突然のことに思わずまぶたをしっかと閉じてしまう。

 死んだ。

 そう感じたはずだった。

 けれどもいくら待っても落下してきた鉄骨の衝撃は訪れない。

 それに替わり聞こえた、どこか不快な高音と呟き声に気付き、俺はゆっくりとまぶたを開く。

「ふう、間に合ったあ…あぁ、ゲートにお腹がつっかえるなんて…かっこわるぅ…あとでサラちゃんに笑われそう…」

 そんなセリフが、舞い上がる土ぼこりの向こう側から聞こえた。

 俺はただ呆然と目を見開く、突然襲った死の恐怖に足が砕け座り込んでしまっていた。

 そんな俺の目と鼻の先にはダークスーツに身を包んだ女性の体がある。

 正確には体勢からして風に揺れるスカートの端しか見えないこれはこれで扇情的だけれども無論そんなことより鉄骨の行方を目が追おうと動く。

 しかし確認できたのは夕焼けに染まる町に突如現れたその女だけだった

「天使…なのか?」

 傷ひとつない体を見渡して俺は思わず呟いてしまう。

「あぁーごめんなさい…そのお…」

 子細に観察してすぐに申し訳なさそうに眉をひそめる女性の異常に気がついた。

 もちろんこんな前後に見晴らしのいい障害物のない一本道でどうして俺に気取られずにここまで接近できたのだろう?というのもある。

 しかしそれとは別物の違和感だ。

 ダークスーツとネクタイを完備し少し大きめのバストも特に異常というほどもない

 これはよし

 長く肘の辺りまで伸ばした黒くきらめく髪もまあ現実ありえないことじゃあないけれど…

「あ、申し遅れました。私、第四階級悪魔をやっています、アレイシア=ダークスといいます。」

 こめかみの辺りから伸びる黒羊角とコウモリのような翼、特徴的な銛状の尻尾を備えたそのひとは

  悪魔だった。