「2年で武道館のステージに立てなかったらグループ解散」というデビュー時の公約。

そして、そのタイムリミットが刻一刻と近付く中、7月の野音のコンサートで、運営から課せられた武道館公演実現に向けての条件。

それは9月18日までに、一万人の署名が集まれば12月18日に武道館公演を開催し、集まらなかったら12月18日の予定はキャンセルされ、年内にグループは解散するというもの。

メンバーもヲタも、開催が決定するまでは、ほとんど生きた心地がしなかったと思うが、結果、彼女達は2ヶ月で13872人の署名を集めて、今回の武道館公演が実現に至った。

そんな中、自分はわりと冷めた視点で事の成り行きを見つめていたような気がする。

もちろんすぐに署名には向かったが、仮に一万人の署名が集まらずにグループが解散したとしても、それはそれで筋が通っているように思えたし、またアイドル史的なインパクトを考えると、「武道館公演が実現出来ずに解散した」ほうが歴史に名を残すだろうとも考えた。(百年後にアイドル考古学者がいたとしたら、今年、初めて武道館公演を行ったE-girlsやスマイレージよりも、「武道館公演の署名が集まらずに公約を守って解散した」グループに、歴史的な探求心を抱くことは間違いないだろう)

何にしても悲願の武道館公演は決定した。あとはどれだけ人を会場に呼べるかだった。

ただでさえ忙しい師走のこの時期、さらに平日で開演時間が6時ともなれば動員に苦戦するのは必至であった。

公式発表で5500人。これだけ悪条件が揃う中、上出来の数字ではないだろうか。そしてこの数字に水増しはないと確信する。また彼女達の名誉のためにもいっておくが、自分はこの日のコンサート以上に、空席の目立つ武道館のライブなど、過去に何度も経験したことがある。

開演前、場内の廊下を歩いていると、いきなりPASSPOのメンバーとすれ違って焦った。さらにその5分後にはアプガともすれ違う。伝え聞いたところによると、チキパとさんみゅ~のメンバーも観にきていたらしい。

人見知りベイビーレイズが、それらのアイドルグループと親密な関係にあるとは思えないので、おそらくライバルグループが、「どんなものか見てやろうじゃないか」と視察にきたのだと思われる。

ほぼ定刻どおりにコンサートがスタートした。

レーザー光線が無数に交差する中、ベイビーレイズが登場すると、開演前までの場内のだらけた空気が一変する。そしてステージ上のメンバーからは、いつになくシリアスでストイックなエネルギーが伝わってきた。

予想通り今回のライブでは、バックの音を生バンドが演奏していたが、決して悪い感じはしない。もともとベビレの音源には打ち込みのサウンドはなく、すべて生の楽器の音のみで構成されているので、扱い方さえ間違えなければ、生バンドの起用がライブで映えることはわかっていた。

ステージの背後には、スクリーンが設置され、それが楽曲とシンクロし、曲によっては手の込んだ映像や歌詞が流れる仕組みになっている。

今回のライブを観るにあたって、自分がいちばん怖れていたことは、ベイビーレイズ側にとって武道館でコンサートを行うことだけが自己目的化され、肝心のライブの内容が雑になることだった。そんな自分の懸念は、生バンドの音とレーザー光線、さまざまな仕掛けが施されたステージと花道、そして一曲毎に計算されたスクリーンの映像を見て完全に払拭された。雑になるどころか、それは武道館というハコにふさわしいだけの中身が用意されていたのだ。

前述したように、この日のベイビーレイズには、どこかシリアスでストイックなテンションがみなぎり、武道館という特別な場所にいることを、噛み締めているように思えた。

あの何も考えていないような、りおトンですらストイックに見えたのだから、それだけ彼女達は今回、ストイックにこの公演と向き合っていたのである。

MCのときに、この二年間を「長かった」と振り返っていたメンバーがいたが、我々の知らないような苦労もきっと多かったのだろう。

今年の8月、ちょうど彼女達が全国ツアーをまわっている時期に、フジテレビの前でフリーライブを行ったことがあった。

その日、30分ほどのステージを終え、舞台の上から観客に挨拶をして、武道館の署名をお願いするベイビーレイズのメンバー達。

その時、どっからともなく羽音をたてたカナブンが飛んできてメンバーに襲いかかった。逃げ回るメンバー達。ほっこりした光景に爆笑する観客。

武道館のライブの最中、なぜかあのときの情景が頭の中をよぎった。

カナブンが飛んでくるような緊張感のないライブを観たときは、とても数ヶ月後に、武道館という大舞台に立っている姿はイメージ出来なかったが、いま目の前にいるのは、まぎれもなくベイビーレイズの5人のメンバーなのである。

時間にして約三時間、自分達の代表曲はもちろんのこと、この日、初めて披露された新曲を含めて、ほとんどすべての持ち歌を披露したのではないだろうか。

メンバーにとっては勿論だが、ヲタにとっても、それは本当に特別な時間だったと思う。

個人的には林愛夏の知的なボーカルを、この会場で聴けたことは非常に意義深かった。彼女の歌声はもはや日本のアイドル界の誇る至宝である。

そしてアンコールのとき、やはりきたか重大発表。それも予想通りのグループ改名。

「ベイビーレイズ JAPAN」というグループ名がスクリーンに映し出されたときに、場内から漏れた失笑…つまり、この反応がすべてだと思う。

ベイビーレイズというグループは、いつも肝心なところで滑るのだが、結成以来の夢の舞台であった武道館公演の最後に滑るというのも、実に彼女達らしいと思った。
「What is this shit?(このクソは何だ?)」

グリール・マーカスという音楽評論家が、40年以上前にボブ・ディランの新作(「セルフ・ポートレイト」)を、酷評した際の一文を思わず引用してしまったが、いくら相手がベイビーレイズといえども、今回ばかりは罵声のひとつでも浴びせたくなる。

新曲「虎虎タイガー!!」を聴いて、自分と同じ気持ちを抱いた虎ガー(ベビレヲタ)は、決して少なくないはずだ。

阪神タイガースの応援歌のようなタイトル、意味不明な歌詞の内容、でんぱ組.incをまるっきり模倣したような曲のノリ。ついでにいうなら衣装もダサい…。そして何よりもこの曲の致命的な敗因は、ベイビーレイズの最大の長所である歌唱力が楽曲にまったく生かされていないところだ。

ふつう、どんな駄曲であっても、リリースイベントが始まって一ヶ月も経過すれば、多少は慣れ親しみ、それなりに愛着がわいてくるものだが、この曲に関しては、まったくといっていいくらいそういう感情がわかない。つまり、それだけスケールの大きな駄曲ということなのだろうか。

長くアイドルを見続けていると、演者にとっては万事オーライでも、観客にとっては不幸を感じてしまうことが多々ある。今回のリリースイベントで、この曲を歌うベイビーレイズのメンバーと、観客との関係がまさしくそれだった。

「虎虎タイガー!!」のような焦点の定まらない楽曲を歌われると、観る側としては前述した理由により、どうしても首を傾けざるをえない。しかし、そんなこちらの気持ちはどこ吹く風とばかりにメンバーは楽しげに歌っている。その無防備さというか鈍感さには、ある種の感動を覚えるが、武道館公演を前にして、勝負に出た楽曲が、こういう駄曲であるところにベイビーレイズが宿命的に「持っていない」ことを痛感してしまう。


さて、今回のリリースイベント、10月の終わりから毎週のように都内の現場に顔を出したが、そんな中、改めて強く思ったのは、やはりベイビーレイズのメンバーというのは、とてつもなくカワイイなということだった。

今さら何を言ってるんだという気もするが、とくにそれをストレートに感じたのは、11月24日に渋谷のタワーレコードで行われた6ショットチェキ会である。

その日、自分は日比谷公園の「ガールズ音楽祭」で、午前中からゲップが出るくらい多数の地下アイドルのステージを観ていた。(ついでにいうと前日も一日中ここにいた) それを途中で中抜けして、渋谷までベビレとのチェキを撮りにいったのだが、ベビレメンと至近距離で接近すると、さっきまで日比谷で見ていたアイドル達は何だったのだろうという疑問が当然のごとく浮上してくる。

身体の各パーツが細胞レベルで違っているのは勿論のこと、アイドルとしての佇まい、オーラ、輝き、凄みがベビレと日比谷公園のアイドルとでは、まったく違っていた。

それを「格」の違いという言葉に置き換えてもいいのかもしれないが、簡単にいえば、これがメジャーなアイドルと地下アイドルとの差なのだろう。

イベントそのものの内容に関しては、最終週にサンシャイン噴水広場で観た二回のライブが、個人的にはいちばん楽しめた。基本的には接触よりも、ライブの内容を重視しているヲタクなので。

サンシャインの一回目のステージのオープニングに歌われたのは「暦の上ではディセンバー」である。当然、二回目のステージでもこの曲は歌われたのだが、ここで注目したいのが、メンバー最年少の、りおトンこと渡邊璃生である。

彼女のダンスの未熟さ…というか、省エネダンスは、もはや伝説の領域に到達しているが、それにも増して、この日の「暦」での彼女のダンスは凄かった。

感覚的にいえば、隣で踊っている高見の半分以外の運動量とスピードで、見るも無残のヘロヘロでユルユルといったところ。

この曲がリリースされてから、すでに1年以上が経ち、これまでに幾度となく人前で披露され、彼女達にとっては唯一のヒット曲である以上、今回のようなオープンスペースでは歌わざるをえない大人の事情もある。

案外、りおトンの真意はこうだったのではないだろうか。

私はもういつもいつも「暦の上ではディセンバー」ばかり歌うつもりはない。しかし、それをアナタ達に言ってもどうせわからないだろう。それなら私がどれだけこの曲に飽き飽きしているか態度で示してやろうじゃんか。

こうして歌われたのが、この日の「暦の上ではディセンバー」であり、いつにも増してヘロヘロだったりおトンのダンスである。

なるほど、こうして考えると、りおトンのショッぱいパフォーマンスにも合点がいく。やはり人間、態度で示されるとわかるものだ。それどころか共感さえ抱く。ここまで飽きていたのか、りおトン、わかったよ。もう歌わなくてもいいよとマジで思ってしまう。

この日のパフォーマンスに限らず、ヘロヘロでヨレヨレの、りおトンのダンスというのは、それはそれで愛しくもあり、他の4人との対比の中で、実に不思議な存在感を示す。ベイビーレイズのファンだったら、きっとこの感覚わかってくれるだろう。

さあ、運命の武道館まであと一週間。

ピンク・フロイド、20年ぶりの新作。そして、ギタリストのデイヴ・ギルモアは、これがピンク・フロイドにとって最後のアルバムであることを公言している。


60年代、70年代に一世を風靡した英米のロックミュージシャンは、21世紀に自分達が音楽活動を行っていることを、はたして予測していたであろうか。

本来は「若者の音楽」であったはずのロックも、クラシックやジャズと同じように、それなりの歴史を重ね、今では「70代のロックミュージシャン」という、30年前だったら、ほとんど冗談にしかならなかったようなことが、現実になってしまった。

それら老いたロッカー達が歌う「若者の音楽」は、ひとつ間違えるとギャグになりかねないギリギリのラインに存在し、正直、自分は年老いたロックミュージシャンの歌うロックに対して、どう距離感をつかんだらいいのかわからなくなるときがある。

現在、73歳のボブ・ディランが歌う「フォーエバー・ヤング」、同じく70歳のミック・ジャガーの歌う「サティスファクション」、65歳のブルース・スプリングスティーンの歌う「明日なき暴走」、一体、それは何なのだろうか。

ピンク・フロイドが、これまでに創りあげてきたサウンドは、ディランやストーンズのようなものとは、いささか趣が異なるが、今回の新作を聴いてみて、これはこれで「老いたロック」の正しい在り方のように思えてくる。

大仰で、何かともったいぶっていて、そして深読みすればどこまでも深読み出来てしまう音。基本的には昔と何も変わっていない。

まるで、若い奴は無理して聴かなくてもいいと言っているような音楽だ。これぞ「老いたロック」の正しい姿か。

そして、これらの音は、20年前にリリースされた「対(TSUI)」のレコーディングセッションから、未使用のパーツのみを集めてつくられたということだが、数年前に他界したリック・ライトのキーボードの音も、全編に渡って聴くことが出来る。

ある意味、この作品はリック・ライトの遺作ともいえるが、それにしてもテクノロジーの進化というのは、おそろしいもので、音だけ聴いていると、とてもこれが20年以上も前に録音されたものだとは思えない。

そして、何よりもアルバム全体を包み込む、まさにピンク・フロイドとしか言い様のない、音の質感、肌触りが素晴らしい。

つまり、これがすべてであって、たとえ、今のピンク・フロイドが名前だけのものであったとしても、「THE ENDLESS RIVER」は、ここに収録された音楽が、ピンク・フロイドであることを証明している。

また、ピンク・フロイドほど、日本語の邦題の似合うバンドもいなかった。

今回も、これまでの伝統を継承するかのように「永遠(TOWA)」という仰々しい邦題がつけられているのが、嬉しい。

それにしても、まさかピンク・フロイドのニューアルバムを、2014年に聴くことになるとは思わなかったな。