日比谷野外音楽堂は、自分のいちばん好きなコンサート会場だ。

都会のど真ん中にありながら、自然に囲まれたシチュエーションが素晴らしく、会場に行くだけで、気分が高まるような現場は、ここ以外に思い当たらない。

昭和の時代から、野音は「日本のロックの殿堂」のような風格が備わっており、今では、伝説と呼ばれるような、多くのロックミュージシャン達が、野音のステージには上がっている。
個人的な記憶を辿ると、夏の夕暮れ時に、この会場で観るRCサクセションのライブは格別だった。

ベイビーレイズの、野音でのコンサートが発表されたときに、最初に思ったのは、彼女達の楽曲は、間違いなく日比谷野外音楽堂の空間に映えるだろうなということである。

ベイビーレイズが、これまでにレコーディングしてきた楽曲の大半は、様式的には、完全にロックナンバーであり、音だけ聴いていたら、アイドルの楽曲とは思えないような、強面なサウンドも少なくない。

なるほど、現役のロックミュージシャンが曲を書き、さらには、その楽曲を提供したソングライターの所属するロックバンドが、レコーディングに参加しているのだから、「ロックの音」になるのは、当然の帰結といえる。


先月の下旬、池袋の東武百貨店屋上で行われたミニライブを、幸運にも最前列の中央で観ることが出来た。

それから数日後、今度は、渋谷のチケットぴあで、メンバーが一日店長を務め、野音のチケットを手売りで販売するというので、これは、もう行くしかないなと。

席の良し悪しなど、この際、どうでもよくて、野音のチケットを未購入だった自分にとっては、渡りに舟のイベントだった。

レジでチケットを購入すると、そのチケットをスタッフが、少し離れた場所にいるメンバーのところまで持っていき、こちらが指名したメンバーから、チケットを手渡しで受け取ることが出来るというのが、購入特典である。

ここは、もちろん安定の傳谷指名でいくことにした。

あざとく、数日前の池袋のときと同じくラモーンズのTシャツを着ていき、彼女の反応を見た。

すると「こないだ、いちばん前で観ていましたよね」とでんちゃん。

\(//▽//)\

「めちゃくちゃ、顔が小さいよね」と言うと、素で照れた表情をしていて、あれには、本気で萌えたww


テンションは最大に高まり、野音の当日を迎える。

当日は、朝から空模様がおかしく、東京の上空にはどんよりとした雨雲がかかっていた。

それでも、みんなの祈りが通じたのか、天気が大きく崩れることもなく、本番を迎えることが出来て、本当によかったと思う。

また、この日は、観客動員も心配されたが、ほぼ満員の観衆で客席は埋め尽くされ、開演を待つ場内の雰囲気もすごくよかった。

雨が降らなかったことと、客席が埋まっている安堵感に浸っていると、場内がどよめいたので、何かと思ったら、PA前の関係者席に9nineのメンバーが参上する。

SKEの松井玲奈は、仕事でこれなかったようだが、会場の入り口には、彼女から贈られてきた花が飾ってあった。

彼女のベビレ好きは、ハンパではなく、雑誌でヤンキースの田中将大投手と対談した際にも、マー君相手にベビレの話をするという、ヲタっぷりを発揮したこともある。

ほぼ、定刻どおりにコンサートが始まった。

一曲目は「恋はパニック」である。ベビレの楽曲の中でも、かなりロック濃度の高い曲だ。

そして、その音は、自分が考えていた以上に、日比谷野外音楽堂の「ロックな空気」と共鳴していた。

三曲目の「暦の上ではディセンバー」で、メンバーが、花道のセンターステージに参上する。

野音で花道とか、初めて見たが、センターステージでメンバーが踊っている様は、視覚的に非常に絵になっていた。これは後に映像でみたらきっとカッコイイだろうと思う。

コンサートが始まってから、しばらくすると、雨雲は完全に消え去り、雲の切れ目からは青空がのぞいていた。

そして、耳をすますと日比谷公園からは、セミの鳴き声が聞こえてきて、いかにも夏の野音らしい雰囲気になってくる。

ベイビーレイズの音楽が、自然と調和し、やがて野音の景色に溶け込んでいく。

やはり、この会場は素晴らしいと思った。

その後も、代表曲と新曲を織り混ぜながらコンサートは進行し、本編が終了する頃には、あたりは完全に暗くなり、幻想的な雰囲気に包まれていく。

アンコールの「JUMP」を歌い終えたあと、予想通りの展開になった。

この日、多くの観客が注目していたのは、はたして彼女達の日本武道館公演が発表されるのか、否かということだったと思う。

御存知のように、ベイビーレイズは、デビューしたときに、2年以内に武道館公演を実現出来なかったら、解散するという無茶な公約を掲げている。

武道館公演が実現するにせよ、解散するにせよ、タイミング的に発表をするとしたら、この日のステージ以外に考えられなかった。

そして、予想通りに告知は行われた。

12月18日。日本武道館。

ただし、公演を行うにあたって、9月20日までに一万人分の署名を集めるというのが、運営からメンバーに課せられた条件であり、一万人の署名が集まらなかった場合は、12月18日の公演はキャンセル、そしてグループは解散するということらしい。

一万人分の署名という、ハードルが高いのか、低いのかは、よくわからない。

しかし、そんなことよりも、問題なのは、武道館が実現したとしても、はたしてどのくらいの観客を動員することが出来るのかだと思う。

普通に考えて、この日の3~4倍の人数の動員が求められるわけで、現実問題、今のベイビーレイズの力では不可能に近い。

しかし、これまた不思議なことに、アイドルの武道館公演というのは、どういうわけか人が集まり、ガラコンの予想が外れ、成功に終わることが多い。

思い出してほしい。今年、武道館で行われたでんぱ組.incも、スマイレージも、公演が発表されたときは、絶対に客席は埋まらないと言われていたではないか。

武道館に向けての決意を語り、最後に披露されたナンバーは「タイガーソウル」。

ベイビーレイズの歌唱力の高さを実感できる、エモーショナルな曲だ。

観客との別れを惜しむように、メンバーが野音のステージから去っていく。

客電が点灯しても、鳴りやまない拍手と、再度のアンコールを求める声。

大歓声に押されて、メンバーが再びステージに出てきた。

野音の魔力が、彼女達にWアンコールを決意させたのだろうか。

この日、二度目の「ベイビーレイズ」が歌われたことに、このWアンコールが「ブック」にないことを意味していた。

本当に素晴らしいライブだったと思う。

そして、ベイビーレイズほど、野音のステージが似合うアイドルはいないと確信したライブだった。

さて、本日もタワーレコードまで、彼女達に会いに行ってこよう。
サンプラザの前に到着すると、おびただしい数の原色の(仮)Tシャツ軍団が、開演時間を今か今かと待ちわびていた。

今日、ここにいる人たち全員が、アプガのライブを観るためだけに、この場所に集まってきたのだと実感し、一瞬、胸が熱くなる。

思えば、自分が初めてアップアップガールズ(仮)を観た会場も、ここ中野サンプラザだった。

二年前のちょうど今頃、YGAのコンサートにゲストとして招かれた彼女達は、多数のアイドルグループが出演する中、トップバッターとしてステージに登場し、その肉体的ともいえるライブパフォーマンスで観客を圧倒し、アプガ凄し!を印象づけた。

あの日、アプガ目当てにサンプラザを訪れた観客の数は、おそらく、この日の10分の1以下だった思うが、そんな他ヲタが占拠するアウェイな場内で、がむしゃらに観客と格闘する彼女達の姿は、今でもしっかりと脳裏に焼き付いている。

アイドルの聖地=中野サンプラザで、彼女達との運命的な出会いを果たした自分は、その夏のTIF2012をアプガ中心に観てまわり、以降、今日に至るまで、出来る限り、アプガの現場に足を運んできた。

どんなライブ会場であっても、彼女達は常に全力でパフォーマンスを行い、その鍛え上げた肉体と、妥協を許さない強靭な精神力で、観客と対峙してきた。

だから、アップアップガールズ(仮)は、異常なまでに「男性的」なアイドルグループだといえる。

そんな彼女達にとって、グループ結成以来の悲願が、中野サンプラザでワンマンコンサートを行うことだった。

ハロプロエッグ時代に先輩達のバックダンサーとして上がった、中野サンプラザのステージに、アップアップガールズ(仮)として帰還を果たすというストーリーは、この日のコンサートを、より劇的なものへと昇華させた。

ただし、サンプラザのステージだからといって、コンサートの内容そのものに、大きな変化があったわけではない。

いつもと同じように、等身大のアップアップガールズ(仮)の7人が、そこにはいた。

今までのライブとの、大きな違いといえば、アプガのライブ史上初めて、ステージの上にセットらしいものが組まれたことと、照明にレーザー光線が使用されたことだろうか。

悲願のサンプラザ公演が成就したことよりも、ライブの演出にようやく人並みに、カネをかけてもらえるようになったことに涙が出てくるww

事実、彼女達はグループ結成から今日まで、お金を使って売りに出されたようなことは一度もなく、アップフロントの末端に身を置きながら、常にギリギリの状況の中で、アイドル活動を行ってきた。

音楽番組に出演出来るわけでも、雑誌のグラビアを飾れるわけでもない彼女達が、アイドルとして生き延びていく手段、それは自らの身体を虐め、ひたすらライブに打ち込んでいく以外になかった。

日本全国のライブハウス、各都市のインストアイベント、さらにロックフェスの会場から、プロレスのリングの上まで、来る日も来る日もライブを重ねていき、彼女達にとっての「ライブ」とは、単に歌や踊りを披露する場ではなく、自分達の存在理由を証明する場所でもあった。

サンプラザに集まった満員の観客は、もちろんアプガのファンであるが、もっと正確にいうと、それは「アプガのライブ」のファンだともいえる。

個別握手会やチェキもないのに、よくアプガのヲタなんてやってられるよな、という意見を聞くことがあるが、接触商法に侵され、もはや風俗産業と大差のなくなった、現在のアイドルシーンにおいて「単なる握手会」であるアプガの接触に、物足りなさを感じる人がいても不思議ではない。

しかし、アプガヲタの嗜好というのは、あくまでもライブが最優先事項であり、握手だの、認知だの、接触だのといったことに、必死になる接触厨は少ない。(もちろん、中には例外の人もいるだろうけど)

アップアップガールズ(仮)は、ライブの動員数とCDの売上げ枚数に、もっとも乖離のないアイドルグループだと言われており、実際に彼女達のシングルというのは、せいぜい3000~4000枚くらいしか売れていない。ハッキリ言って、これは地下アイドル並か、それ以下の数字である。しかし、一方では今回のように、中野サンプラザをソールドアウトにするだけの動員力があり、これは彼女達が接触による水増し売上げに頼らずに、ライブで多くの観客を獲得してきたことの証左だといえる。

場内のボルテージが、ピークに達したのは、途中、メンバーが通路に下りてきて、観客席の後方まで参上したときだった。

AKB襲撃事件の余波が残る中、ある意味、空気を読まない怖いもの知らずなパフォーマンスだと思ったが、もちろん観客は紳士的に対応し、彼女達を盛り上げていく。その光景は、今までのライブで築き上げた信頼関係を映し出しているようにも見えた。

そしてコンサートは、やがて訪れる「爆発炎上」に向けて、加速化していく。

「ジャンパー!」「ENJOY ENJO(Y)!!」「アップアップタイフーン」「チョッパー☆チョッパー」といった曲は、その爆発炎上に向けての導火線のようなものであり、最終的にそれは「アッパーカット」という火薬庫に引火し、大爆発を引き起こす。

もう、この頃になると、メンバーも観客もヘトヘトになり、何かステージ上には「アッパーカット」の残り火が、焼け跡の上でめらめらと燃えているようにも見える。そして、この疲労感と巨大なカタルシスがアプガのライブの醍醐味なのだろう。

コンサートの終盤、11月に今度はZepp DiverCityでワンマンコンサートが行われることが発表された。

キャパは、さらに大きくなるが、今度はアプガのお家芸である、オールスタンディングのライブだし、これは期待できそうだ。

またアプガvsロックバンドだとか、富士山の山頂でライブ?とかいう謎の告知もされていたが、いったい何が行われるのだろうか。

何にしてもアプガの暑い夏は、もうすぐ開幕する。そして、いま気分は最高に高揚している。
自分と同年代の人間で、アイドルは80年代、90年代こそが最高で、今のアイドルなんかつまらない、という輩がよくいる。

そういう人達にとっての、心の支えは、おニャン子CLUBであったり、乙女塾であったり、東京パフォーマンスドールであったりするわけだが、ハッキリ言うと、オレはそういう懐古主義者が、あまり好きではない。

なぜなら、自分が考えるにアイドルというジャンルの本質は、常に「現在(いま)」に在り、「現在(いま)」という時間軸の中に存在しているからこそ、彼女達は輝いているのだと思っているからだ。

同時代に起きていることは、過小に評価されるか、ほとんど無視され、過去に行われたことは、神格化され、過大に評価されるというのは、世の常だと思うが、はたして80年代、90年代のアイドルというのは、今のアイドルと比較して、そんなに素晴らしいものだったのだろうか。

今、考えると、そんなにいいものではなかったと思う。

もちろん、中には優れたものもあったが、ライブのパフォーマンスにしても、楽曲のクオリティにしても、現在とでは、比較にならないくらい稚拙なものが多かったように思う。

アイドルというジャンルは、この10年、15年の間に、目まぐるしいスピードで、発展し、進化していった。

そんな「アイドル進化論」を唱える自分の立場からすると、今のアイドルを理解出来ないような、感性の鈍いオッサンに、過去のアイドルの偉大さを、語ってほしくないという気持ちがある。

今回のイベントの主旨は、80年代、90年代のアイドル達が、久しぶりにファンの前に立ち、当時の歌を披露するので、みんなでそれを囲って、盛り上がろうといったもの。

当然、場内には40代以上の高齢者が集まり、オッサン臭く盛り上がる。

前述したような、80年代、90年代のアイドル原理主義者にとっては、たまらないイベントだったに違いない。

出演者の、過去の所属グループは、セイントフォー、風間三姉妹、MELODY、そして東京パフォーマンスドールと、大阪パフォーマンスドールである。

とは言っても、浅香唯や篠原涼子が出てきたわけではなく、世間的には、ほとんど無名に近いアイドル達がそこにはいた。

当然、自分はパフォーマンスドールのメンバーに対する興味から、このイベントを観に行ったわけだが、勿論、他の出演者のことも覚えているし、MELODYにいたっては、当時、ライブを観たこともある。

進行上、この日の出演者が、すべて同じ時代に活動していたような括りになっていたが、正確にはセイントフォーと風間三姉妹は、昭和のアイドルで、パフォーマンスドールとMELODYは、平成に入ってからのアイドルグループである。従って、それらの間には、時代的な隔たりが存在する。

また、当時は、今のようにアイドルグループ同士の対バンや、交流といったものが、ほとんどなかったので、おそらく、この日の出演者達も、現役の頃は、互いに接点はなかったのではないかと思う。

一部のトークショーが終わり、二部のライブは、木原さとみ、川村知砂、八木田麻衣のTPDメンバー3人による「ブキウギ・ダンシング・シューズ」で始まった。

当時の音で、当時の振り付けが、そのまま再現されているのだが、どこかおかしいように見える。

その印象は、2曲目の「ジャスト・ライク・マジック」が始まっても、OPDの武内由紀子を交えての「キスは少年を浪費する」が、披露されても、さほど変わらない。

まるで、すきま風のようなものが、背後に吹いている感覚。やはり、それは、今の彼女達の現役感の欠落に、すべて起因するものではないだろうか。

2008年に行われたOPDの復活ライブが、何故、あれだけ素晴らしかったのかというと、それは、あの日のライブに向けて、入念なリハーサルを何日間も行い、当時と寸分違わぬパフォーマンスを披露したメンバーの本気度に、我々が心をうたれたからだ。

赤坂で行われている、CHANDOLLの公演に、自分が何度も通う理由は、TPDの楽曲が歌われていることもあるが、それ以上に、中川雅子と徳永愛のパフォーマンスに、現役アイドルとしての価値を見いだしているからである。

パフォーマンスドールの楽曲を、単に歌うだけではなく、そこに「命」や「魂」を吹き込むには、メンバー自身が、本気でパフォーマンスドールのライブとは何なのかを考え、それと向き合う覚悟と決意が必要なのだと思う。

ライブ前日に、川村知砂が名古屋から上京し、全員でいちど練習をした程度で、どうして、それがパフォーマンスドールのステージになろうか。この日の彼女達のライブは、まるでプロ野球のオフシーズンに行われるマスターズリーグのようだった。

だからといって、現役を退いて、これだけ年数の経った彼女達に、かつてのような歌とダンスを要求するというのも、無茶な相談であり、これはこれで致し方ないことだろう。

こうして、何年かに一度でもメンバーが集まり、元気な姿を見せてくれるだけでも、我々は十分に幸せなのだと思う。

いろいろな意味で、90年代は遠くなったことを実感した亀戸の夜だった。