3月からスタートしたアップアップガールズ(仮)の「全国47都道府県ツアー2015」にようやく参戦した。

今回のツアーは、その名のとおり一年かけて、日本国内のすべての都道府県を回るというもの。ちなみに47都道府県ツアーというのは47回ライブを行うという意味ではなく、会場によっては昼と夜にライブが行われる場合もあるし、東京のように複数会場で公演を行うパターンもあるので、実質的には50本をゆうにこえるライブの本数になる。

その過酷さはまるでプロレスの地方興行を思わせるが、自分の知る限りこんなアホらしいことに挑戦しているアイドルなどアプガ以外にきいたことがない。

この日、吉祥寺CLUB SEATAで行われたライブは、今回のツアーの2ndレグの初日にあたり、グループが結成されて5年目の最初のライブでもあった(5月3日がアプガ結成4周年の記念日だったらしい)。

考えてみると、自分もこれまで3年近くアプガのライブを見続けているが、彼女達のやっていることは良くも悪くもデビュー以来ほとんど変わっておらず、わかりやすくいうとアプガのライブには、押したり引いたりという流れがなく、常に一定のテンション、一定のエネルギー、一定のパワーで進行していき、感覚的に言えば、そこにはただ「アプガの状態」というか「アプガの空間」だけが存在する。

文章に例えると、句読点や改行のいっさいない文章のようなもので、それをひたすら突き詰めていった結果が、昨年末に行われた2時間ノンストップの耐久ライブ「ハイスパート・キングダム」だった。

基礎体力とアドレナリンの分泌だけで2時間押しきったあのライブの凄さは、アプガ以外のどのアイドルにも真似の出来ない芸当で、今回のツアーの内容も基本的には「ハイスパート・キングダム」の延長線上にある。

途中のMCで、あやのんが「ファーストライブの頃の写真を見ると、今と身体つきがまったく違う」と自虐的に語っていたが、確かに最近のアプガメンバーの体型をみていると、それはまるで運動選手か格闘家のようである。ある意味、女を捨てなければアプガ稼業は務まらないともいえるが、そんな彼女達の職業が「アイドル」であるというパラドックスが面白い。

句読点や改行のないライブに、どんな曲を歌ったのかなどということは、あまり意味はないと思う。

しかし、今回のセットリストに自分のフェイバリットナンバーである「ストレラ!」が入っていたのは嬉しかった。

おそらく一年ぶりくらいにナマで聴いたような気がするが、アプガの油断ならない点は、どうでもいいようなオリジナル曲が大半を占める中、時としてこういう名曲が、さりげなくシングルのカップリングに収録されていたりするところである(ちなみに両A面という扱いにはなっているが「リスペクトーキョー」のカップリングに収録)。楽曲の素晴らしさは言うに及ばず、ソロパートの配分、ユニゾンで歌うところ、さらには振り付けとすべてが完璧であり、極言すればこの一曲だけで、日頃のアプガ曲、例えば「全力!Pump Up!!」あたりの10曲分に匹敵すると自分は思っている。

他にも今回のツアーで初めて披露された新曲などもあったが、正直、たいして印象には残らなかった。

コンサートの終盤はいつもどおりに、お馴染みの「チョッパー☆チョッパー」や「アッパーカット」で盛り上がり、そのワンパターンぶりは、ほとんど伝統芸能のようでもあったが、終演後の満足感でいえば、やはり前回の「ハイスパート・キングダム」に軍配が上がるだろうか。

ところで、最近、アプガと同じくらいにデビューした、よそのアイドルグループを見ていると、ここにきて勝ち組と負け組にくっきりと明暗が別れてきたように思える。

それは去年から今年にかけて一気にブレイクしたでんぱ組.incであったり、地道に、しかし確実に評価を上げつつあるひめキュンフルーツ缶であったり、まさかの内部崩壊で予断を許さない状況のドロシーであったりと様々だが、そうした中、今後、アプガはどうなっていくのだろう。

アプガのメンバーもそれなりに歳を重ねてきて、すでに半数以上が成人し、初期衝動だけでアイドル活動を行うような年齢ではなくなってきている。

彼女達はこれから先も、永遠の体育会系アイドルグループでいいのだろうか。
正直言って自分にはよくわからない。

ただ、古典芸能のように様式化しつつある最近のアプガのライブを見ていると、そこにマンネリズムという危うさを感じてしまうのも事実であり、それはこの日のステージを観ていてもそう思った。

夏には日比谷野外音楽堂という、彼女達にとって最大規模のライブも控えているがどうなることだろう。
ポール・マッカートニーのコンサートを観るのは、初来日(1990年)以来なので実に25年ぶりということになる。

もちろんその四半世紀のあいだにも、ポールは何度か日本に来てはいるのだが、何故か自分がライブ会場に足を運ぶことはなかった。

実は、去年の5月、国立競技場でのフィナーレ・ライブに行く予定だったのだが、御承知のようにポールの急病によってコンサートは中止になってしまった。

75年、80年、90年と幾度となく公演中止、もしくは延期という前科を持つポールだが、外タレ史上最初で最後の国立競技場でのライブが直前で中止とかほとんど呪われているとしか思えなかった。

ひょっとしたら世の中には、今まで買った日本国内でのポールのライブがすべて公演中止になって、一度も観たことのない不幸なファンとかいるのだろうか。

というわけで今回の公演は、去年の国立競技場での代替え公演的な意味合いがあったと思うのだが、いずれにして自分にとっては本当に久しぶりのポール・マッカートニーのライブである。

いろんなところで書かれているように、今回のツアーでは過去最多ともいえるビートルズ・ナンバーが披露され、セットリストの半分以上がビートルズの曲で占められていた。

満員の東京ドーム、そしてビートルズのメンバーによってビートルズの楽曲が歌われているという、当たり前のようだが、あまりにも贅沢な時間。それらの楽曲を生で聴いていると、これだけ良質な作品を何十年も前に量産しているポール・マッカートニーというミュージシャンは改めて偉大だということを実感してしまう。

不思議なのはレコードではジョンがボーカルを務める「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」や、ジョージの代表作である「サムシング」などが、ポールによって何事もなく歌われていたことだ。

このレベルのミュージシャンになると、レコードで誰が歌っていたとか、そんなことはどうでもいいことなのだろうか。

そして今更ながら確認したのは、ポールの歌の上手さである。

「メモリー・オールモスト・フル」や「NEW」といった近年の作品を聴いていても、加齢による衰えをまったく感じさせなかったが、それはライブにおいても同様で、ビートルズ時代の楽曲も、ウイングス時代の楽曲も、ほぼ当時のままのキーで堂々と歌いきるのだからさすがとしかいいようがない。

そしてアンコールのラスト、つまりコンサートの最後に歌われたのは「ゴールデン・スランバー」から「キャリー・ザット・ウエイト」「ジ・エンド」へと続く、アルバム「アビー・ロード」のエンディングを飾るメドレーだった。

あえて断言するなら、音楽家ポール・マッカートニーの全作品の中でも最高の作品が、このメドレーだと思っている。

自分が90年に初めて観たポールのコンサートでも、このメドレーは最後に歌われていたが、コンサートのラストにこれほどふさわしいエンディングがあるだろうか。

その当時のポールのコンサート・スタッフが、リハーサルで、初めてこのメドレーを生で聴いて涙を流していたという逸話を聞いたことがあるが、この日、25年ぶりに生で聴いた自分もちょっとヤバかった。

去り際に「See you next time」と観客に再会を約束したポールだったが、はたして「次」はあるのだろうか。

こちらの希望としては、新国立競技場のこけら落としを是非ポールにやってもらいたいと願うのだが、2020年、そのときポールは77歳か…。ウーン…。
かねてからの噂どおり、今回のディランの新作はカバー曲集、それもロックンロール誕生以前の時代に歌われていたようなポピュラー・ソングのスタンダード集って…いったい御大は何を考えているのやら。

一般的に考えて、ボブ・ディランというミュージシャンは自作曲ばかりを歌っているイメージがあると思う。しかし意外なことに、ディランはデビューから現在に至るまで、かなり積極的に他人の曲も歌ってきた。

ある資料によると、ディランがこれまでにライブやレコーディング等で歌ってきた人様の曲は500曲以上にも及ぶらしいが、どうもよくわからないのがその選曲の基準である。

つまりそこには音楽的な必然性や脈絡をほとんど感じさせず、ハタから見ていると単にそのときの気分で歌いたい曲を歌っているようにしか思えない。

例えば、現在も進行中の「ネヴァー・エンディング・ツアー」では、これまでに以下のような曲が歌われてきた。

「ハートブレイク・ホテル(エルヴィス・プレスリー)」
「ウィリン(リトル・フィート)」
「冬の散歩道(サイモン&ガーファンクル)」
「ダンシング・イン・ザ・ダーク(ブルース・スプリングスティーン)」
「ブラウン・シュガー(ローリング・ストーンズ)」
「ブラック・マディ・リヴァー(グレイトフル・デッド)」
「幼な子モーセ(カーター・ファミリー)」
「オールド・マン(ニール・ヤング)」
「マイ・ヘッズ・イン・ミシシッピ(ZZトップ)」
「ヘイ・ジョー(ジミ・ヘンドリックス)」
「ビッグ・リバー(ジョニー・キャッシュ)」
「シーズ・アバウト・ア・ムーヴァー(サー・ダグラス・クインテット)」
「アイ・キャント・ビー・サティスファイト(マディ・ウォータース)」

これはほんの一例に過ぎないが、この節操のなさはどうだろう。にしたって普通「冬の散歩道」や「ブラウン・シュガー」を歌うだろうか?

繰り返すが、そこには「自分が歌いたい」という以外の音楽的な目的はなく、その結果、ディランの歌うカバー曲は、ほとんど無法地帯と化している。(その最たるものが、5年前にリリースされたクリスマス・アルバム「クリスマス・イン・ザ・ハート」ではないだろうか)

そこで今回の新作である。ようするにディランが、今、歌いたい曲は大昔のスタンダード・ナンバーということなのだろう。

全10曲で収録時間がわずか35分というのが、アナログ時代を彷彿とさせる。

日本盤のライナーノーツを読むと、ここに収録された楽曲は、すべてフランク・シナトラが過去にレパートリーにしていたものらしい。

つまりこのアルバムは、ディランによるシナトラへのトリビュート・アルバム的な側面を持っているともいえるが、きっと「SHADOWS IN THE NIGHT」というアルバム・タイトルも、シナトラの「STRANGERS IN THE NIGHT(夜のストレンジャー)」にインスパイアされたものなのだろう。

ディランとシナトラというと、シナトラの80歳の誕生日を祝うトリビュート・コンサートにディランが出演したのを、以前、テレビで見た記憶があるが、今年2015年はシナトラの生誕100周年にあたるらしいので、あの放送はもう20年も前のことになるのか。

そのときのコンサートで、ほとんどの出演者が月並みな挨拶に終始する中、無言でステージ登場し、歌い終えたあとに一言だけ「Happy Birthday Frank」とだけ言って去っていったディランが、やたらカッコよく見えたのを覚えている。

これもライナーノーツの受け売りだが、ディランとシナトラの二人がが親しく交流していたことはほとんど知られていなかったが、ディランはシナトラの大ファンであり、折りにつけ、シナトラからよくアドバイスを受けていたらしい。

今回、ディランによって歌われた楽曲を、シナトラのバージョンと聴き比べをしてみようと思い、自分が持っている10余枚のシナトラのCDをすべてチェックしてみたのだが、見事なまでに今回「シャドウズ・イン・ザ・ナイト」で歌われているナンバーは、一曲も収録されていなかった。

この時代のポビュラーミュージックに、それほど詳しいわけではないが、このアルバムは、聴きこめば聴き込むほど心に染みる「歌心」に溢れている。

どうせやるならとことんまでというのが、ディランという男なのだろう。今回の作品では、近年のやさぐれたボーカルを封印し、のびのびとしたクリアな歌声を披露している。

アルバム全体の雰囲気は、それこそ50年代にリリースされたシナトラの傑作バラード・アルバム「IN THE WEE SMALL HOURS」や「FRANK SINATRA SINGS FOR ONLY THE LONELY」あたりを彷彿させ、陰影美のある儚いラブ・ソングを歌っているのだが、夜な夜な聴いていると思わず聴き入ってしまう。

昨年の来日公演を観たときにも感じたが、正装してスタンドマイクの前で歌うディランの姿は、ロックスターというよりもジャズ・シンガーのようであり、このアルバムもジャンルとしてはジャズ・ボーカルということになるのだろう。

こういう作品が、一般的なロック・ファンに受けるとはとても思えないし、また多くのディラン・ファンも困惑しているに違いないだろうが、個人的にはこういうディランも悪くないと思う。

いろんな意味でディランの作品には驚かされることが多いが、ブートレッグ・シリーズを含め、はたして次に登場する新作の内容はいかなるものだろうか。