ポール・マッカートニーのコンサートを観るのは、初来日(1990年)以来なので実に25年ぶりということになる。

もちろんその四半世紀のあいだにも、ポールは何度か日本に来てはいるのだが、何故か自分がライブ会場に足を運ぶことはなかった。

実は、去年の5月、国立競技場でのフィナーレ・ライブに行く予定だったのだが、御承知のようにポールの急病によってコンサートは中止になってしまった。

75年、80年、90年と幾度となく公演中止、もしくは延期という前科を持つポールだが、外タレ史上最初で最後の国立競技場でのライブが直前で中止とかほとんど呪われているとしか思えなかった。

ひょっとしたら世の中には、今まで買った日本国内でのポールのライブがすべて公演中止になって、一度も観たことのない不幸なファンとかいるのだろうか。

というわけで今回の公演は、去年の国立競技場での代替え公演的な意味合いがあったと思うのだが、いずれにして自分にとっては本当に久しぶりのポール・マッカートニーのライブである。

いろんなところで書かれているように、今回のツアーでは過去最多ともいえるビートルズ・ナンバーが披露され、セットリストの半分以上がビートルズの曲で占められていた。

満員の東京ドーム、そしてビートルズのメンバーによってビートルズの楽曲が歌われているという、当たり前のようだが、あまりにも贅沢な時間。それらの楽曲を生で聴いていると、これだけ良質な作品を何十年も前に量産しているポール・マッカートニーというミュージシャンは改めて偉大だということを実感してしまう。

不思議なのはレコードではジョンがボーカルを務める「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」や、ジョージの代表作である「サムシング」などが、ポールによって何事もなく歌われていたことだ。

このレベルのミュージシャンになると、レコードで誰が歌っていたとか、そんなことはどうでもいいことなのだろうか。

そして今更ながら確認したのは、ポールの歌の上手さである。

「メモリー・オールモスト・フル」や「NEW」といった近年の作品を聴いていても、加齢による衰えをまったく感じさせなかったが、それはライブにおいても同様で、ビートルズ時代の楽曲も、ウイングス時代の楽曲も、ほぼ当時のままのキーで堂々と歌いきるのだからさすがとしかいいようがない。

そしてアンコールのラスト、つまりコンサートの最後に歌われたのは「ゴールデン・スランバー」から「キャリー・ザット・ウエイト」「ジ・エンド」へと続く、アルバム「アビー・ロード」のエンディングを飾るメドレーだった。

あえて断言するなら、音楽家ポール・マッカートニーの全作品の中でも最高の作品が、このメドレーだと思っている。

自分が90年に初めて観たポールのコンサートでも、このメドレーは最後に歌われていたが、コンサートのラストにこれほどふさわしいエンディングがあるだろうか。

その当時のポールのコンサート・スタッフが、リハーサルで、初めてこのメドレーを生で聴いて涙を流していたという逸話を聞いたことがあるが、この日、25年ぶりに生で聴いた自分もちょっとヤバかった。

去り際に「See you next time」と観客に再会を約束したポールだったが、はたして「次」はあるのだろうか。

こちらの希望としては、新国立競技場のこけら落としを是非ポールにやってもらいたいと願うのだが、2020年、そのときポールは77歳か…。ウーン…。