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先日、横浜BLITZで行われたアップアップガールズ(仮)の3rdライブから一週間が経った。

そしてこの一週間、いまだにあの日のライブの余韻から醒めない自分がいる。

具体的な感想に入る前に、年始に起きたちょっとした「事件」のことから触れようと思う。

残念ながらその場に居たわけではないので、正確な状況を伝えることは出来ないが、それは毎年恒例の正月のハロコンでの出来事。その日、数年ぶりにハロプロに「帰還」を果たしたアップアップガールズ(仮)の7人。

アプガのメンバーがハロコンに出演することじたいがそもそも驚きだが、もっと凄いのがそこでリーダーの仙石みなみがハロヲタで埋まる観客席に向かって放った言葉である。

「私たちはハロプロエッグを辞めさせられて二年間、アップアップガールズ(仮)として活動してきました。」

この言葉の意味を正確に理解するにはちょっとした説明を要するが、簡単にいうと彼女達は二年前に「ハロプロエッグの研修課程を修了した」という何だかよくわからない理由によってハロプロ本隊から干された。

以降、彼女達は遠回りをしながらもアップアップガールズ(仮)として活動し、今年のハロコンでゲスト枠というかオマケとして出演を果たす。しかもサンプラザで計14回行われる公演中、出演は一公演のみ一曲というかなりぞんざいな扱い。

そこで冒頭のセリフということになるわけだが、みーこの発したセリフは聞きようによっては、かなりシュートで挑発的な発言にもとれる。

実際にメンバーはハロコンに出演したことを「複雑な心境」とブログに綴っていたし、以前雑誌に掲載されたインタビューでは「ハロプロを見返したい」と語っていたこともあった。

とまあ、活字にすると何やら物々しいが、実際にこのときの映像を見るとステージ上では「辞めさせられた」発言の際に他のメンバーが吉本新喜劇ばりにズッコケたりして、会場の空気も挑発行為というよりも自虐ギャグと受け取ったふうにもとれる。

ただ、ハッキリしているのは彼女達にとってのハロコンは帰るべき場所ではなく、もう二度と出演するつもりはないといったニュアンスのことも公式なコメントとして発していた。

ではアプガのメンバーにとって帰るべき場所、「約束の地」はいったい何処にあるのか。

後述するが、それは横浜BLITZをおいて他ならない。

この日、会場の外では開演前にヲタ有志達によるサイリウムの配布が行われていた。

そこにはアンコールと同時に点灯させて開場を白のサイリウムで埋め尽くして御祝いをしましょうといった内容のメモ書きが一緒にそえられていた。そのときはそれがどういう意味で何の御祝いなのかよくわからなかったが、何にしてもライブが盛り上がるのなら協力を断る理由はどこにもない。

さらに別のヲタの人がポカリスエットのラベルを真似たステッカーを会場前で配っていた。(写真参考)

入場時に購入するドリンク(ペットボトル)に貼って下さいという意味だと思うが、それぞれがメンバーのイメージカラーになっていて、「UP UP DRINK ○○○○○ SWEAT」と書いてある。芸が細かいのは成分表示のところもメンバーのプロフィールを反映したような表示が記載されており、さらにはバーコードの数字が生年月日になっているという徹底っぷり。

アプガのファンは年齢層が高いが、現場を盛り上げるためにこういうアイディアを考え、それを自費で配布するあたりに、いかにもアイドルヲタ歴が長いベテランの余裕みたいなものを感じてしまう。

整理番号が早かったことが幸いし、上手の最前列をゲットした。少人数のイベントならともかく千人規模のライブ会場でメンバーをこんな間近で観れるチャンスはそう滅多にないだろう。

コンサートのオープニング、ステージの背後にスクリーンが降りてきてVTRが流れる。内容はハロプロエッグ時代から現在に至るまでの彼女達の軌跡である。

幼少期にモー娘。に憧れ、ハロプロエッグに加入し、研修生として修行を積む日々、そして研修課程を修了という事実上の戦力外通告…。

そんな彼女達がエッグ時代に立った最後のステージがここ横浜BLITZだった。

あれから2年半の月日が経過し、ハローの孤児だった彼女達はアップアップガールズ(仮)として、この場所へ戻ってきた。

おそらく当時からの彼女達を知る人達は万感の思いがあったに違いない。

基本的にコンサートの内容はいつも通りの展開で、ひたすら真正面から直球で攻めまくるだけ。ステージ上にセットらしいものが何一つ置いてないのは12月のライブと同じ。ただし前回の2ndライブのときのように闇雲に突っ走るだけではなく、途中、現在までの自分達の歩みを総括したような朗読劇が織り込まれたりもして、いくぶん感傷的な雰囲気にも包まれたりもする。

普通、こういう芝居がかった演出を行うとライブのテンションに水を差すような展開に陥りがちだが、涙あり笑いありの朗読劇は意外なことにそれはそれで悪くはなかった。

しかし演出らしい演出はほとんどこの場面だけで、あとは普段どおりの、良くいえば元気いっぱい一直線な…悪くいえば全てが同じ曲に聴こえてくるワンパターンなライブだった。

また最前列という至近距離でアプガメンバーをジッと観ていてすごく感じたのは、以前に比べるとメンバー全員、体つきがずいぶんと逞しくなったなということ。

腕まわりもそうだが、それ以上にあの足まわりは他のアイドルグループではちょっとお目にかかれない太さではないかと。

ひとつには今のアイドルが全員細すぎるというのもあるが、アプガのメンバーのそれは大袈裟にいうとバレーボールや女子プロレスの選手を彷彿とさせる。

連日のようにあれだけタフなステージをこなし、日々、肉体を酷使していれば、ああいう身体が出来上がっていくのも当然といえば当然なのだろう。しかしそのアイドル離れした肉体は日々の鍛練から生み出された成長の証しなのだと、ここはひとつ良いふうに解釈したい。

そして、この日のコンサートの最大の見せ場は、やはりアンコールの瞬間にあった。

会場を埋め尽くした白いサイリウムの眩さは、まるで夜空に広がる流星群のようであり、その白い光に照らされながら新曲「NEXT STAGE」を歌うメンバーの瞳は確かに潤んでいた。

その後のMCで初めて知ったのだが、彼女達がエッグのメンバーとして、この場所で最後のライブを行ったときも、やはり、この日と同じようにサイリウムの灯りによってフロアが真っ白に照されたのだそうな。

繰り返すが、この日のライブには、そういったハロプロエッグ時代から今日まで決してメインストリームを歩んできたとは言いがたい彼女達のストーリーが一貫したテーマとして存在していた。

言い換えるとそれはモー娘。にも℃-uteにもスマイレージにもなることが出来なかった負け組アイドルの敗者復活戦の物語だともいえる。

アンコール終了後、メンバーが舞台から立ち去ったあとに再度、VTRが流され、その映像の最後は「アプガ第二章へ」というテロップによって締められていた。

それは、過去への決別を意味するのと同時に強力なメッセージ性と余韻を感じさせるものだった。ハロプロ云々、エッグ云々という過去への執着はもうこのへんで終わりにしていいだろう。

ハロプロの呪縛が解けたとき、本当の意味で彼女達は第二章へと進んでいくのだと思う。
昨年の10月以降、つまり徳永愛がCHANCEに加入して以降、赤坂のCHANCE STUDIOへと通うのが習慣と化してしまった。

年が明けてから本公演のスイートベイシルでのライブにも当然参戦したが、それ以上にCHANCE STUDIOでのパフォーマンスのほうが楽しくて、最近では週一かそれ以上のペースで通っているような気がする。

何度か通っているうちにさすがに慣れたが、最初にこのCHANCE STUDIOという会場に足を踏み入れたときはかなり異様な現場だと引いてしまった。

以前にどこかのインディープロレス団体が自分達の道場を開放し、観客を入れてプロレスの興行を行っていたことがあったが、普段リハーサルやレッスンを行っている練習スタジオに客席を設けてライブを行うというのは考え方としては「道場プロレス」とまったく同じ発想である。

そして、このライブの収益をそのままスタジオの家賃や運営費にあてがうというのは、考えようによっては非常に合理的な経営スタイルだといえよう。

またヲタ側の視点から見るとメンバーが普段、汗を流している道場もとい練習スタジオに足を踏み入れるというのは、まるで舞台裏を覗いているような気分がして、それだけでもワクワクしてしまう。

同時にここで行われているライブは演者と観客が互いの秘密を共有するかのような特異な空間を生み出し、まるで赤坂のビルの地下で秘密の儀式を行っているかのような怪しげな刺激に満ちている。

観に来ている観客もどこか謎めいていて職業不詳、年齢不詳で、おそらく30代から40代くらいだと思うが、公演中に声をあげて盛り上がるわけでもなく、せいぜい手拍子を打つか、あるいはメンバーの動きをジッと見つめ観察しているといった感じ…ってまあ慣れれば別にどうってことないが傍目で見ていると結構、異様な光景に映るかもしれない。

ここに来ている人達は、ある意味アイドルヲタの極左といった風にもとれるが、いずれにしてもまともな人間は誰一人としていないような気がするww

しかし異様さという意味においては、もう一方の演者サイドも決して負けてはいない。

スタジオ内に照明らしいものはなく、室内の電気が消えた瞬間にライブが始まるといった展開に初めて観たときは力が抜けたが、しかし、それよりもいちばん信じられなかったのが一曲ごとに出演メンバーが脇のPA卓を操作して曲(オケ)を流すことだった。ほとんどカラオケボックスか路上ライブのようだが、室内で本番中にこんなことをするグループなど過去に一度も見たことがない。

ひとつ間違えるとそれはまるで中学か高校の学園祭を彷彿させるが、その素人臭い手作り感とCHANCEがそこで繰り広げるプロフェッショナルなパフォーマンスとのアンバランスさがどこか可笑しい。

いずれにしても、初めてここにきたときは何もかもが有り得ないことばかりで(それはこの現場のキテレツな環境ということだけではなく、いま中川と徳永が一緒に歌っているといったことも含めて「有り得ない」という意味)唖然としたが、何度も通っているうちにだんだんとここで行われていることにも慣れ親み、しまいには居心地がよくなってくるのだから不思議なものである。

2月14日、結局この日もCHANCE STUDIOへと出向く。

考えてみると去年のクリスマス(12/25)も自分の誕生日もCHANCE STUDIOに行っていたので、これに今回バレンインデーが加わったことによりめでたく三冠を達成したことになるwww 実に安定した非リアっぷりだ(?)。

本来、毎週木曜日は研修生4人による公演が行われているのだが、この日はバレンインデーということで研修生を含めたCHANCEメンバー総勢10人によるライブが行われた。(2人欠席)

入り口で小さな包みが配られ、その中にはバレンタインデーにちなみメンバー手作りの菓子が入っている。その菓子には①から⑩までの番号がついていて、誰がどの菓子を作ったのかはその時点ではふせられており、ライブの途中にどの菓子がナンバーワンで、どの菓子がワーストワンなのかが、この日の観客の投票によって決められた。

当然、すべてを食する時間などあるわけがないので、ほぼ見た目だけで勝負は決したのだが、結果1位の栄誉には中島理恵の作品が輝き、不名誉なワーストワンには文夏の菓子が選ばれた。確かに文夏の作った菓子は見た目がよくなかったが、順位のことはさておき、自分なんかから見ると手作りの菓子が作れるというだけで十分に尊敬に値する。

ライブの内容は前半はいつもの研修生公演だったが、この日の最大の見せ場は中盤から旧人(このグループでは新人メンバーに対して古参メンバーはこう呼ばれている)が登場し、メンバー全員によって歌われた「バレンタイン・キッス」だろう。

CHANCEというグループの性格を考えたら同じバレンタインでも、スタンダードの「マイ・ファニー・バレンタイン」あたりがくると読んでいたのだが「バレンタイン・キッス」というあまりにもベタな展開に一瞬狼狽しつつも、サビのところの決めポーズも国生さゆりのオリジナルとまったく同じであり、夕ニャン世代としてはそれだけでも十分に盛り上がってしまう。

前述したお菓子対決を含めて、いつも以上にこの日は満足度の高いライブだったと思う。

ラストナンバー「侍スピリッツ」の余韻に浸りながらの帰路ではバレンインデーにヲタ活という敗北感はひとつも感じなかった。
クリスマスイヴの夜にヲタ活とかww

それもわざわざカップルで賑わう渋谷に行くとか、これはもう一種のマゾヒズムのようなものだろうか。

asfi、初のワンマンライブである。同日、同時刻に新宿ロフトには名古屋からしず風and絆がきていて、そちらも魅力があったがここは一年の集大成という意味もこめてasfiを選択する。

ライブのタイトルが「リア充をぶっとばせ」というのも何やら怨念めいていて笑えるが、言い換えるとこの日、この会場に集まった人達がいかにリア充に縁がないのかを証明しているかのようでもある。

オレですか?

自慢じゃないけど去年のクリスマスイヴも中野の小劇場でヲタ活をしていましたが何か?

その今からちょうど一年前に行われたライブにもasfiが出演していたのだが、その日、別のグループで出演していた朱音が一年後にasfiの中心メンバーになっているなどとはその時は考えてもみなかった。

終演後の物販で朱音と話したときに彼女が「今日、ここにいる人で一年前の中野にいた人は10人いないと思う」って言ってたけど、確かに去年の今頃は朱音個人のヲタは勿論のこと、asfiのヲタにしたってヘタをすると総勢で10人くらいしかいなかったと思う。

それが一年経ってワンマンで100人以上の客を動員するようになったのだから成長率でいったら1000%以上ということになる。

そしてasfiのマネージャーも言っていたようにクリスマスイヴという特別な日に、他の現場を蹴ってasfiのライブに足を運んだ人間がこれだけいたということが大変意義深かったと思う。これは運営サイドからすれば「してやったり」の手応えを感じたことだろう。(クリスマスイヴだというのにアイドル現場にしか行くところがないというヲタの非リアっぷりという問題はひとまず横に置いておく)

さて、この日のasfiのライブでは実にたくさんのカバー曲が取り上げられた。

自分達の持ち歌だけで二時間近いライブを行うことは現実的に不可能なわけで、カバー曲を歌うのは当然の帰結ともいえるが、興味深いのはそれらのカバー曲の大半がハロプロ系の楽曲で占められていたことである。

結論を急げば、この日のライブはasfiにとって初めてのワンマンであったのと同時にハロプロのトリビュートとしての機能もはたしていた。

お馴染み℃-uteの「まっさらブルージーンズ」をはじめ、メドレーで歌われたBerryz工房の「スッペシャルジェネレーション」、モー娘。「みかん」、Buono「初恋サイダー」など。さらにはメンバーのソロコーナーでもゴマキや松浦の曲が取り上げられていた。

そのどれもがハロプロの楽曲をasfi流に肉体化したアイドル魂に満ち溢れた素晴らしいものだったと思う。

これはほとんどのアイドルグループにいえることだが、デビュー当時は自分達のレパートリーに限りがあるために、主にカバー曲を(例外もあるが大体において他のアイドルの楽曲)取り上げることが多い。

しかし一定のキャリアを積み上げ自分達のオリジナル曲が増えていくと、ほぼ絶対的にデビュー当時に歌っていたようなカバー曲は歌わなくなる。

その理由を突き詰めて考えてみると「オリジナル曲を歌う=一流」、「他人の曲を歌う=二流」といった日本の音楽文化に根付いてしまったオリジナル至上主義みたいな偏見が根底にはあるような気がする。

話しは少し横道に逸れるが最近、欧米の主要都市で行われたローリングストーンズのグループ結成50周年記念コンサートでは、自分達の代表曲以外にもストーンズというバンドに大きな影響を与えたチャック・ベリーやマディウォータースといったミュージシャンの曲がストーンズ自身によって演奏されていた。

同じくデビューから半世紀が経過し、今ではアメリカの音楽史上でもっとも重要なシンガーの一人ともいえるボブ・ディランは先日、本国で行われたライブのオープニングにシカゴブルースのスタンダードである「スウィート・ホーム・シカゴ」を披露した。

またブルース・スプリングスティーンの最新のツアーでは「サマータイムブルース」や「ツイストアンドシャウト」といったロッククラシックスが連日、日替わりで歌われている。

つまり何を言いたいのかというと海外の大物ミュージシャンですら自分達が影響を受けたロックやブルースのカバーをいまだ日常的に取り上げているというのに、日本のアイドルごときが経験を少し積んだくらいで他人様の曲を「卒業」するというのは如何なものだろうかと。

欧米のビッグネームがベテランになっても、若い頃に自分達に影響を与えたミュージシャンの楽曲をいまだ歌い続けるというのには、勿論、リスペクトという気持ちが背景にあるのだろうが、それ以上にこの歌を次の世代に伝承していこうというミュージシャンとしての業(ごう)のようなものを感じてしまう。

日本のアイドルにそこまで高い志を求める気はないが、この日のasfiのライブを観ていて感じたのはアイドル自身によるアイドルのカバーというのものは、時としてオリジナル曲を披露することよりも、遥かに魅力的に映るということだった。