クリスマスイヴの夜にヲタ活とかww

それもわざわざカップルで賑わう渋谷に行くとか、これはもう一種のマゾヒズムのようなものだろうか。

asfi、初のワンマンライブである。同日、同時刻に新宿ロフトには名古屋からしず風and絆がきていて、そちらも魅力があったがここは一年の集大成という意味もこめてasfiを選択する。

ライブのタイトルが「リア充をぶっとばせ」というのも何やら怨念めいていて笑えるが、言い換えるとこの日、この会場に集まった人達がいかにリア充に縁がないのかを証明しているかのようでもある。

オレですか?

自慢じゃないけど去年のクリスマスイヴも中野の小劇場でヲタ活をしていましたが何か?

その今からちょうど一年前に行われたライブにもasfiが出演していたのだが、その日、別のグループで出演していた朱音が一年後にasfiの中心メンバーになっているなどとはその時は考えてもみなかった。

終演後の物販で朱音と話したときに彼女が「今日、ここにいる人で一年前の中野にいた人は10人いないと思う」って言ってたけど、確かに去年の今頃は朱音個人のヲタは勿論のこと、asfiのヲタにしたってヘタをすると総勢で10人くらいしかいなかったと思う。

それが一年経ってワンマンで100人以上の客を動員するようになったのだから成長率でいったら1000%以上ということになる。

そしてasfiのマネージャーも言っていたようにクリスマスイヴという特別な日に、他の現場を蹴ってasfiのライブに足を運んだ人間がこれだけいたということが大変意義深かったと思う。これは運営サイドからすれば「してやったり」の手応えを感じたことだろう。(クリスマスイヴだというのにアイドル現場にしか行くところがないというヲタの非リアっぷりという問題はひとまず横に置いておく)

さて、この日のasfiのライブでは実にたくさんのカバー曲が取り上げられた。

自分達の持ち歌だけで二時間近いライブを行うことは現実的に不可能なわけで、カバー曲を歌うのは当然の帰結ともいえるが、興味深いのはそれらのカバー曲の大半がハロプロ系の楽曲で占められていたことである。

結論を急げば、この日のライブはasfiにとって初めてのワンマンであったのと同時にハロプロのトリビュートとしての機能もはたしていた。

お馴染み℃-uteの「まっさらブルージーンズ」をはじめ、メドレーで歌われたBerryz工房の「スッペシャルジェネレーション」、モー娘。「みかん」、Buono「初恋サイダー」など。さらにはメンバーのソロコーナーでもゴマキや松浦の曲が取り上げられていた。

そのどれもがハロプロの楽曲をasfi流に肉体化したアイドル魂に満ち溢れた素晴らしいものだったと思う。

これはほとんどのアイドルグループにいえることだが、デビュー当時は自分達のレパートリーに限りがあるために、主にカバー曲を(例外もあるが大体において他のアイドルの楽曲)取り上げることが多い。

しかし一定のキャリアを積み上げ自分達のオリジナル曲が増えていくと、ほぼ絶対的にデビュー当時に歌っていたようなカバー曲は歌わなくなる。

その理由を突き詰めて考えてみると「オリジナル曲を歌う=一流」、「他人の曲を歌う=二流」といった日本の音楽文化に根付いてしまったオリジナル至上主義みたいな偏見が根底にはあるような気がする。

話しは少し横道に逸れるが最近、欧米の主要都市で行われたローリングストーンズのグループ結成50周年記念コンサートでは、自分達の代表曲以外にもストーンズというバンドに大きな影響を与えたチャック・ベリーやマディウォータースといったミュージシャンの曲がストーンズ自身によって演奏されていた。

同じくデビューから半世紀が経過し、今ではアメリカの音楽史上でもっとも重要なシンガーの一人ともいえるボブ・ディランは先日、本国で行われたライブのオープニングにシカゴブルースのスタンダードである「スウィート・ホーム・シカゴ」を披露した。

またブルース・スプリングスティーンの最新のツアーでは「サマータイムブルース」や「ツイストアンドシャウト」といったロッククラシックスが連日、日替わりで歌われている。

つまり何を言いたいのかというと海外の大物ミュージシャンですら自分達が影響を受けたロックやブルースのカバーをいまだ日常的に取り上げているというのに、日本のアイドルごときが経験を少し積んだくらいで他人様の曲を「卒業」するというのは如何なものだろうかと。

欧米のビッグネームがベテランになっても、若い頃に自分達に影響を与えたミュージシャンの楽曲をいまだ歌い続けるというのには、勿論、リスペクトという気持ちが背景にあるのだろうが、それ以上にこの歌を次の世代に伝承していこうというミュージシャンとしての業(ごう)のようなものを感じてしまう。

日本のアイドルにそこまで高い志を求める気はないが、この日のasfiのライブを観ていて感じたのはアイドル自身によるアイドルのカバーというのものは、時としてオリジナル曲を披露することよりも、遥かに魅力的に映るということだった。