※ネタバレあり。

 
【スピンオフの難しさ】

誰もが知るアウトロー、ハン・ソロの若き日を映画化。
 
本来脇役の人気キャラを主役に置く際に問題となるのはチューニングだ。脇役なら受け入れられるアウトローも主役、つまりは視点人物となる以上、より幅広い観客に受け入れられるキャラとして個性をある程度削ぎ落す必要に迫られる。作劇の必然性とは言え、それをやれば、元々のキャラクターの持ち味は弱まる。
 
様々な方法がありうる中、本作が選んだのは純愛路線。生き別れた恋人キーラへの再会を目標に、手段を選ばずに混迷の時代を駆け抜ける、若きハン・ソロの冒険活劇。根っこの動機が純愛だからこそ、幅広い客層にリーチすることができる。
 
一方で「結果として」アウトロー的手段に手を染めるという描写を描くことで、純情な本作の若きハン・ソロ像を踏襲しつつ、「スカイウォーカーサーガ」本流のアウトロー的なハン・ソロ像にも矛盾なく繋がる。本作のハン・ソロの若さを、本流に至るための通過点として定義する方法論は鮮やかだ。

【スピンオフ故の魅力】

その様にして本作の中心に据えられたハン・ソロとキーラのロマンスだが、実に引き込まれる。彼らの互いを想う気持ちに偽りはないが、離れていた時間が互いの方法論の違いを生み、それが避けようのない別離へ繋がる結末は切ない。ハン・ソロの勢いあるスリリングな描写と相まって過ぎ去る青春の瑞々しさを感じさせられる。
 
序盤の逃亡シークエンスから、将来に楽観的なハン・ソロと、悲観的なキーラのスタンスの違いが会話の中で示されているなど、描写の一貫性の細やかな筆致も本作の強みだ。序盤と終盤で「扉を隔てる」ハン・ソロとキーラの描写が対比される演出も巧い。

障壁となる社会の闇の描写も、背景として彼の活劇を盛り上げるアクセントとなる。これが「スカイウォーカーサーガ」ならセイバーで戦えば何とかなるのでは?となるが、本作のハン・ソロは常人であるが故、集団の圧力や陰謀の脅威が鮮明に響いてくる。
 
最終的に対立するとはいえ、ハン・ソロとベケットの共通項も胸を打つ。どちらも人生にまつわる、しがらみから自由を求め可能な限りの手を尽くす。それ故の切ない対立。

ライトサイド、ダークサイド。その様な立場で割り切れない、人間味溢れるグレーゾーンの葛藤が本作通して描かれる。誰もが悩み、その時々の選択を積み重ねる。

アナキンの悲劇、ルークのもたらした勝利、レイの自己実現といった本流それぞれの結末とも異なる、切ない本作のエンディングはスピンオフだからこそだ。裏切りの連鎖のドラマで、唯一嘘がないのはチューバッカとの友情。スピンオフとして「何を重視するか」を熟知した采配は見事。
 
【見どころは多彩】

新たな主演はオールデン・エアエンライク。かつてハン・ソロを演じたハリソン・フォードとは交代。しかしアイコニックなキャラを新たな俳優が自らの解釈で演じるというのは舞台演劇的で面白い。(最近は同じキャストが継続して同じキャラを演じることが多くなり、中にはCGで若返りまで行う事例もある。)
 
思えばスターウォーズシリーズは元来、舞台演劇的面白みに溢れたシリーズかもしれない。豪華なセット、華やかな衣装、こだわりの小道具。スピンオフでありながら本流の魅力も再確認させてくれる作品だった。
 
本作のオープニングは本流シリーズのように宇宙に瞬く星々ではなく、手元の暗闇にハン・ソロが灯す火花から始まる。銀河の行く末を問う物語ではなく、本作が極めて個人的な戦いであることが最初から示される。

本作はハン・ソロが求める自由の重みが描かれる。その描写があるからこそ、後に続くEP4以降で描かれる宇宙の広がりの意味合いが増すのだ。

そして逃亡用の車を駆る導入部から時を経て、エンディングではミレニアム・ファルコンの勇姿が映える。オープニングとエンディングの鮮烈な対比を経てハン・ソロの本作の変遷が強調される構成も巧妙だ

不満点を述べるならドラマの出来は良いものの、アクションの華やかさに欠ける点。フォースを使えないハン・ソロにセイバーアクションは難しくとも、崩落する建造物から脱出するなどシュチュエーションの工夫次第で常人の主人公でもスペクタクルの演出は可能なはず。
 
とはいえ、登場人物の裏の意図が次々明かされ目まぐるしく転換するクライマックスの展開は、「裏切りの連鎖」のサスペンスとして巧妙。メインの登場人物ほぼ全員が何かしらの嘘をつきつつも破綻のない脚本に唸る。見応えのある作品であることは間違いない。

「裏切りの連鎖」の果て、最後のキーラからハン・ソロへの裏切りが、相手を想うが故のものであるのも切ない。そして、成就しない恋だとしても無意味ではない。キーラのための戦いを経験したからこそ、今のハン・ソロがある。

信頼する者達さえ巻き込む「裏切りの連鎖」、闇に巣食う「組織の圧力」が招くキーラとの別れ。本作を経てハン・ソロが「誰も信じず」「組織に囚われない」アウトローとなっていく流れには強い説得力がある。

ベケットとの別れ、キーラとの別れ。切ない展開の続くビターな仕上がりの本作だが、悲しみを経るごとに力強く仕上がっていくハン・ソロの勇姿にどんどん引き込まれる映画だ。

本流の「スカイウォーカーサーガ」が光と闇の二元論的で強力な世界観を確立するからこそ、本作や『ローグ・ワン』、『マンダロリアン』といったグレーゾーンに踏み込むスピンオフの輝きが増すように思う。

【ダース・モールについて】

本作のクライマックス、ダース・モールの登場はファンに混乱を与えた。ダース・モールはEP1でオビワンとの激闘の末、命を落としたと思われた人物。対して、本作はEP3の後の時系列。

結論から言うと、ダース・モールは実はEP1で存命しており、その顛末はスターウォーズのアニメシリーズで語られていた。映画シリーズで語られなかった内容を前振りなしに盛り込むことで賛否を呼んだ一幕だが、この場面の意図はファンサービスではないと思う。

クライマックス、キーラはハン・ソロと共にクリムゾン・ドーンから逃亡するという選択肢を得る。しかし、クリムゾン・ドーンは裏切りを決して許さない。希望を信じるには、既にキーラは多くの絶望を目の当たりにしすぎていた。その絶望を象徴するのがダース・モールの存在だ。

フォースを持たない者たちの駆け引きと戦いで紡がれた本作のラストに登場するダース・モールは、他作品への登場とは異なり極めて絶望的な意味合いを持つ。その脅威からハン・ソロの命を守るためキーラはハン・ソロの痕跡を抹消しつつ今回の一件の幕引きを図らなければならない。だからハン・ソロと共には行けない。

つまりキーラの選択の根拠を示すため超常的脅威を描くという作劇上の都合があり、その役目を担ったのがダース・モールというわけだ。単なるファンサービスの登場ではないが、その顛末が複雑なキャラクターであるが故、視聴者の混乱を招いてしまった点もあるといえる。とはいえ短い登場ながら、フォースを扱う存在感は圧倒的であった。