リコリスリコイル(2022)
※ネタバレあり。
【割れ窓理論と公平世界仮説】
「割れ窓理論」というものがある。窓が割れたまま放置されるほどに治安の悪さの意識が共有されると、またそこで新たな犯罪が起きることを誘発するという理論だ。
平たく言えば「ほかにも悪いことしてる奴いるのに捕まらない」→「じゃあ、自分がやっても大丈夫だろう」という理屈だ。
だから、犯罪が起きれば迅速に対応してきちんと処罰されたと世間に知らしめることが、治安を維持するための対応ということになる。人の心に根差す「公平世界仮設」=「悪人には然るべき罰が与えられ、善人は必ず報われる」という仮説を守ることで高水準の治安は維持される。しかし、それでも犯罪はゼロにはならない。
もし、対応を突き詰め「そもそも犯罪という概念を、人が想起することさえない世界」を作れるとしたら?
その様に発想したのが「DA」だ。「DA」は市井に潜む実行部隊「リコリス」を動員し犯罪への対応を徹底する。そして情報統制を行い犯罪の情報を中央集権的に完全に管理する。「リコリス」と「情報統制」の両輪により「起こった犯罪」は「最初から存在しなかった」こととなる。
かくして「犯罪など初めからない理想国家」という盤石なイメージが形成される。
【真島の告発】
国の治安を守るため「DA」の理念には一定の利がある。しかし、情報を独占する姿勢は一歩間違えれば独裁を生むリスクを伴う。だからこそ、その「DA」へのアンチテーゼとして真島の謀略が描かれる。
真島のテロリズムは正当化されるものではないが、彼が戦略を巡らせ「DA」の秘匿する「リコリス」の存在を社会に知らしめようとする行動は興味深い。普段人々が無自覚に享受する「平穏」。それが、どれほどの欺瞞と犠牲の上に成り立っているのかの告発が彼の狙いだ。
真島はそれに留まらず、民衆の心の奥に眠る「暴力性」をも告発しようとする。彼は街中に銃をばらまき不安を煽り、戦いに駆り立てる。
「犠牲や疑問から目を背けられる民衆は、人を傷つけることも出来る民衆だ」
これは、世間から裁かれるに留まらず、存在まで抹消された真島の復讐劇でもある。
【命を奪わない信念】
そんな真島と対比されるのは本作の主人公の一人、千束だ。
千束は「リコリス」所属のエージェントでありながら、組織と折り合えず閑職に飛ばされる。それでも彼女は市井に溶け込み、草の根で市民の生活に密着し平穏を守る。
真島のように、孤立した憎しみを社会に向けるわけではない。たきなのように、自らの立場を取り戻そうとするでもない。
今自分が置かれた境遇に向き合い、どのように人々の支えとなれるか。一瞬一瞬の日々の時間を守るため、千束は戦う。そして、守るために力を行使するからこそ、敵対する者の命も最大限尊重するというのが千束の信念だ。守るべきものと同じ目線で関わるというのは、独裁的な方法論で治安維持を目論む千束の姿勢は「DA」へのアンチテーゼとしても機能する。
「アラン機関」に救われたという出自に由来する「ノーブレス・オブリージュ」=「力を持つ者は、持たざる者に与える」の理論が根底にあるが、千束の目線はもっと身近なのだ。
「DA」は治安維持のため「公平世界仮説」を志向する。一方の千束は「アラン機関」との出会いという「幸運」に命を救われた過去を持つ。「人口の鼓動」は「偶然」与えられたもの。つまり千束という存在が「世界に対して公平ではない」。だからこそ「DA」と千束の立ち位置には齟齬が生まれるのだろう。
一方で、「アラン機関」の一員として千束を助けた吉松は、千束の想いと対立する。「ノーブレス・オブリージュ」の理論で千束の救命活動に理解を示しつつも、命を奪わないという彼女の信念を、彼女の才能を抑圧するものとして否定する。
吉松は、千束に自らの命を奪うように煽り、千束を兵器として育て上げようとする。しかし、千束はその思惑を否定する。千束は人工心臓で生きながらえている。自らの命が他者との繋がりで成立していると理解するからこそ「命を奪わない信念」を決して譲らないのだ。
【繊細な群像劇】
むしろ、吉松の謀略で一線を超えそうになったのは、たきなの方だった。千束の命を救うため、吉松の体内の「人工心臓」を求め吉松に銃口を向ける。
組織への不信という点では、たきなこそ一歩間違えれば真島のようになっていた可能性がある。そうならなかったのは上述してきた信念を持つ千束との出会いがあったからだ。
「自分でどうにもならないことで悩んでも仕方ない、受け入れて、全力」
偽善と欺瞞が跋扈し、その上でかろうじて平穏という均衡が保たれる世界。そんな世界で自己の指針を見失わないために必要なのは、目の前の現実を受け止める千束のような視点ではないか。
千束、たきな、真島、吉松・・・、様々な立ち位置の信念が交錯する。本作は、つかみどころのない現代社会の空気感を写し取る、繊細な群像劇なのだ。



