※ネタバレあり。
【007としては・・・?】
素晴らしいアクション映画だ。
しかし007としては・・・?
というのが私の所感だ。
ダニエル・クレイグの007シリーズは職業と個人の関係を問うものだった。
MI6の職員として世界規模の謀略に立ち向かいつつも、マイペースを崩さず、個人の感情の赴くままに車を乗り回し、スーツを決める。本来窮屈なはずの業務の中で、自らのエゴを押し通しつつも、仕事はしっかりこなす。その多彩さに宿るヒロイズムこそ007、ジェームズ・ボンドの魅力だった。
本作では前作の流れを継ぎつつ、職務を引退したジェームズ・ボンドが描かれる。謎の襲撃者の影を追う中、旧友フェリックス・ライターの依頼を受けCIAに一時的に協力する形で活動。やがてかつての仇敵スペクターとその陰に潜む首領ブロフェルドに肉薄する。
途中でかつての仲間MI6のM、マネーペニー、Qと協力することになるものの、本作のジェームズ・ボンドはいわばフリーランス。職業モノとしての持ち味を失っているのだ。
別作品だが『チェンソーマン』を想起した。あちらは主人公のデンジが公安警察に所属することで物語の縦軸が構成されていた。しかし、第二部となると公安警察の立場を退く。職業モノで始まったシリーズが職業を失うと全く別の味わいになってしまう。
【アクション映画として】
職業モノとしての味を失った本作ではあったが、ひどい作品だったかというと、そんなことは無い。一本のアクション映画として素晴らしい出来だった。
『カジノ・ロワイヤル』(2006)的な泥臭い肉弾アクション、『スカイフォール』(2012)的な気品ある優雅なアクションの双方のエッセンスを取り入れたバランス感。
CG全盛の時代に合って、ロケーションを活かした美しい撮影、画作り。
「スペクター」残党の暗躍とブロフェルドの影、サフィンの新兵器を用いた謀略。ブロフェルドがすべての因縁を束ねる「君臨する悪」なら、能面をかぶり、表情を隠すサフィンは「先読みできない悪」。異なるヴィランを相手に入り組む対立構造とそこに宿るスリルに引き込まれる。
新キャラのノーミとパロマも良い。「007の称号」を巡り意地を張り合うボンドとノーミのやり取りはプロフェッショナルでも持ちうる人間味を感じさせる。一見頼りなさげに見えても、戦闘のスイッチが入る瞬間の豹変に惹きつけられる、パロマの活躍。
多彩な魅力あふれるが故、シリーズとしても長めの2時間半越えの上映時間が苦にならなかった。シリーズの伝統を継承し、「007シリーズ」だからこそ可能なカタルシスを演出した「独自性」という点では前作『スペクター』に軍配が上がるが、純粋な「アクション映画」としてなら本作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』を推したい。
【ジェームズ・ボンドの「最期」】
ただ、賛否を呼んだラストには私も戸惑った。
伝統的に、ジェームズ・ボンドは命を落とすということから縁遠いキャラクターであった。どのような国にいても、どのような状況であっても、泰然自若に、自分のペースを崩さない余裕にこそ、ボンドのヒロイズムの本質だった。だから、家族と世界を守るためという理由があれど、ボンドが命を落とすという展開には違和感がある。
特にダニエル・クレイグ演じる六代目ボンドは最もその性質が強いと言える。どれほどの窮地にあっても、多くの喪失を背負いつつも決して膝を折らなかった彼が命を落とすというのはイメージではない。
百歩譲って命を落とすという結末を受け入れるとしても、ダニエル・クレイグのイメージなら、物理的な強敵との極限の戦闘の末という方がまだ納得できた。
本作の最期は、苦しい戦いを乗り越えてきたダニエル・クレイグのボンドとしてはあまりに静寂で美しすぎる。ひょっとしたらこれまでの戦いとの対比を狙ったのかも知れないが、それにしても舵取りが急すぎて戸惑う。
【総括】
結末には戸惑うし、職業モノとしてのボンド映画としては違和感があるものの、ダニエル・クレイグ主演の超大作として彼のハードな持ち味はしっかりと活かされている。
上述したようにアクション映画としては一級品だ。ヒーロー映画が席巻する現状の映画界にあって本作のような現実の観光地を活かした、肉弾戦のアクション映画の存在は貴重だ。
今後、シリーズの伝統は誰に継がれるのか、どのような変革を成すのか。見届ける気持ちにさせられるだけの力は、この作品に確かに宿る。
シリーズとして「終わりの時」は、まだなのだ。


