※ネタバレあり。

【伏線を「あったことにする」】

本作を語るにあたり、まず制作背景を整理する。

本作は企業間の権利問題で長らく使用できなかった「スペクター」と関連登場人物の権利が戻り、数十年ぶりにジェームズ・ボンドとの戦いが描かれる作品だ。

だから、直近のダニエル・クレイグ3作にはスペクター、及び首領エルンスト・スタヴロ・ブロフェルドの伏線は一切ない。「スペクター」のスの字もない。しかし、「スペクター」は世界の犯罪、破壊活動を背後で操る秘密結社。ゆえに本作一作のみで全三作の背後に「スペクター」が存在していたという伏線が「あったことにする」力技が繰り出される。

『カジノ・ロワイヤル』『慰めの報酬』の事件の背後の存在として示唆されていた秘密結社「クァンタム」。それが「スペクター」の存在を隠すためのダミーネームであるとされ、「クァンタム」のエージェントでもあったミスター・ホワイトは、実は「スペクター」の幹部であったことになる。

『カジノ・ロワイヤル』のル・シッフル、『慰めの報酬』のドミニク・グリーン、『スカイフォール』のシルヴァ。ボンドと激しい戦いを繰り広げた歴代ヴィランも全て「スペクター」の関係者でありボンド個人を苦しめるため「スペクター」の首領ブロフェルドが差し向けたとされる。

つまり本作は存在しなかった伏線を「あったことにする」のだ。

権利問題が解決し、急遽「スペクター」を使えることとなったが故の、映画史に残る即興のテコ入れ。相当な力技で違和感がぬぐえないし、その上、説明のために尺を圧迫するものだからアクション映画としてのテンポ間もいまいちだ。

【古典的な秘密結社】

では、悪い映画だったのかというとそんなことは無い。映画にもリアリティが求められる時代に。ここまでコテコテの秘密結社の悪役をぶち上げるというのは、正直盛り上がる。

 

何せ、秘密結社の幹部が集結し机を囲み会議をしているのだ、そして中心に座す首領は逆光で顔が陰で隠れる。コテコテな演出である。集まれば余計目立つはずだが、時代錯誤のスタイルを貫く堂々たる秘密結社ぷりだ。惚れ惚れする。

 

映画における秘密結社愛好家の諸氏は必見だ。『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の「ヒドラ」が現代的な秘密結社の完成形なら、本作の「スペクター」は古典的な秘密結社の完成形である。

更に背後にいるのが主人公の義兄であり、世界規模のマクロ視点の戦いだったものが兄弟間の因縁というミクロ視点に収斂していくのは理屈抜きに熱い。ダニエル・クレイグ演じるボンドとクリストフ・ヴァルツ演じるブロフェルドの火花散らす演技を前すれば、テンポの難や設定の強引さなど些事だ。ボンドもブロフェルドを敵視しつつも、皮肉の応酬でむきになるなど、素の顔を覗かせる新たな一面が描かれる。

存在感あるキャラクター同士の古典的であり王道の対立軸が、豪華な俳優陣と煌びやかな撮影で彩られる。現代的な脚本の創意工夫、予想外の結末等は本作には無いが、ここまで直球の因縁を描く作風がかえって新鮮だ。(ボンドとブロフェルドの幼少期の回想などあればより分かりやすかったが。)

【ブロフェルドの執念】

特に、上述した脚本の強引さ、いびつさがブロフェルドを独特の存在感を持つヴィランとしている。

かつて、両親を事故で失った少年ボンドを引き取り育てたのはブロフェルドの両親だった。それゆえブロフェルドは、「自分が受けるはずだった親の愛を横取りした存在」としてボンドを見なす。いわば義兄弟の確執にMI6とスペクターが巻き込まれる格好だが、ブロフェルドからボンドへの執着は凄まじい。

マドレーヌ・スワンの前で無遠慮にヴェスパー・リンドの存在を口にするし、廃墟と化したMI6旧本部の壁の殉職者名簿に「ジェームズ・ボンド」と書き込んでみたり、先の道にはシルヴァ、ル・シッフル、ヴェスパー、Mの写真を並べてボンドの動揺を煽る。(ボンドを煽るためだけに、いったいどれほどの手間をかけたのだろう・・・)

前三作で、ボンドが自分の暗躍に気付かなかったことがそこまで気に食わなかったのか、本作では一転して激しすぎる自己主張を展開する。

やり方が陰湿だし、なによりしつこい。小物のように見える一方で、やり口が徹底されているものだから大物にも見える。つかみどころのない、なんとも味わい深いヴィランだ。(ブロフェルドの個人の問題に振り回される「スペクター」職員はどのような想いだろう・・・)

【「伝統」こそ力】

そして、その陰湿なやり口を涼しい顔でやり過ごすボンドが逆説的に頼もしく見える。基本的にブロフェルドの煽りには(表面上は)乗らないし、スペクターが繰り出す脅威には「007シリーズ」の伝統的な戦い方で抗っていく。銃器搭載のアストンマーチン。更には火炎放射器に脱出用ボタン。時計型爆弾。そして飛行機で雪山を滑走・・・。

現代で見るとふざけているような古典的戦闘スタイルで敵を圧倒していく様は痛快だ。シリーズの伝統を「復活」させた『スカイフォール』を引き継ぎ、本作では伝統を「活用」してスペクターという脅威を圧倒する。伝統を「カタルシス」へ結びつける方法論を開拓したことが本作の意味であり独自色だ。

(一番ふざけているのは、時計型爆弾一つで簡単に拘束が外れたり、アサルトライフル一つ適当に撃つだけで脱走ができるスペクター本部のひどい警備体制だが。しかも最後はボンドが特に何もしてないのに勝手に爆発している・・・)

そしてラストはボンドとマドレーヌの古典的なハッピーエンド。『女王陛下の007』のラストの構図をオマージュしつつも、正反対の結末としたことは意図的だろう。映画にもリアリティと痛みが求められる現代にあって、ここまでコテコテのハッピーエンドの演出は印象的だ。

しかし、007にはそれが許される。50年以上に渡る伝統の重みに宿る説得力は、シリーズ最大の脅威「スペクター」を前にして、なお力強い。

 

【「父性」と裁き】

上述したように、本作は前作『スカイフォール』とは異なりテンポや構成に難がある。だから「シリーズの伝統」に注目したり、ツッコミながら見る方が楽しめるが、それでもテーマを通した作劇の痕跡は見て取れる。

ラスト、ボンドがブロフェルドの命を奪わなかったのにも理由がある。ブロフェルドは本来自分が親より与えられるはずだった「父性」を奪ったものとしてボンドに憎悪を向けていた。対してボンドは敢えてブロフェルドの命を奪わず、法の裁きを与える。「法で裁く」とは「罰して反省を促すこと」、つまりある種の「父性」的な行いとも言える。つまり本作の決着はボンドからブロフェルドへの意趣返しなのだ。

また、直後に駆け付けたMは「2001年特別措置条約」を持ち出しブロフェルドの身柄を拘束する。「2001年特別措置条約」とは9.11の後、イギリスで制定された対テロ条約。

本作の「スペクター」は各地でテロを行いつつ、MI6内部に潜伏させた工作員Cによりテロの脅威を実態以上に煽るマッチポンプを行うことで世界規模の監視体制「ナイン・アイズ計画」への移行を促し、そのシステムをかすめ取ることで「スペクター」の支配する独裁体制の確立を目論む。ボンドたちとの協力でその陰謀を阻んだMが、最後に現行法である「2001年特別措置条約」でブロフェルドを拘束することで、「脅威」を煽ることで翻弄するスペクターの目的に終止符を打つという構図だ。

「肥大化する実態を掴みにくい恐怖」を「法の執行」で裁く。これがラストにMとボンドが見せたエージェントとしての矜持だ。

『カジノ・ロワイヤル』『慰めの報酬』で感情に翻弄される若きエージェントであったボンドは『スカイフォール』で個人と組織の関係性のジレンマを体験し『スペクター』でエージェントとしての役目を全うする。だからこそ、本作のラストでボンドはエージェントを引退する。『ノー・タイム・トゥ・ダイ』という続編もあるが、そちらは個人としてのボンドの描写に重点が置かれる。

エージェントとしてのボンドの総決算こそ、本作なのだ。