METAL GEAR SOLID(MGS)(1998)
※ネタバレあり。
【ゲームのような戦争】
SOLIDシリーズの記念碑的1作目。本作と密接な関わりを持つもの、それは「湾岸戦争」(1991年)だ。
リキッド・スネークは「湾岸戦争」参戦したアメリカ兵に秘密裏に「ソルジャー遺伝子」が注入されていたと語る。ビッグボスの二人の息子、ソリッドとリキッドの対立で紡がれる「シャドーモセス島事件」の前哨戦として「湾岸戦争」が位置付けられる構図だ。
「湾岸戦争」は、「ゲームのような戦争」と位置付けられた。ベトナム戦争後、数十年の後にアメリカ軍が向き合う最初の大規模な戦闘が「湾岸戦争」であり、この戦いで初の実践投入となる「近代兵器」が数多くあった。
ネットワークによる高度な制御、レーザー兵器の実践投入。デジタルのテクノロジーが実践で人に向けられる状況はこれまでの戦争とは異なるものと評され、その結果が「ゲームのような戦争」という表現というわけだ。
【表情のない兵士】
本作の「シャドーモセス島事件」も、その流れを継承しより先鋭化した「デジタル戦争」が描かれる。ソリッド・スネークに伝えられる情報は高度に階層化され最小限のものとされた。作戦指揮を表向き任されたロイ・キャンベルもすべての情報にアクセスできるわけではなかった。
人質に猛威を振るったのは「遺伝子で対象を識別するウイルス」。ソリッドを内より監視するのは「ナノマシン」どちらも目に見えぬ「バイオテクノロジー」の産物だ。
そして、ソリッドの最終破壊目標である「メタルギアREX」は「レールガン」という不可視の磁場を用いた兵器。
ソリッドは「目に見えぬ理屈の支配するゲーム的な戦い」を強いられる。
高度な管理下に置いて一人一人の兵士はコマのように「数値」として扱われる。だからこそ本作においてキャラクター達はグラフィック上、「表情」の読めない表現がなされる。
【武器の名】
一方のソリッドと対峙するフォックスハウンドの面々は旧来の武器の名をコードネームとして冠する。「目に見える武器、目に見える脅威」。彼らの存在は「デジタル化された戦争」に抗うかのようだ。
だからこそフォックスハウンドを束ねる最後の敵リキッドは徒手空拳でソリッドを迎え撃つ。
利用される立場であっても、自分の意志で戦ってきたと宣言するグレイ・フォックス彼もまたソリッド、リキッドと思いは同じだった。手法が異なれど自らの拳で、自らの意地を貫こうとする。
【不可視のコード】
「ひょっとしたら、あなたにはファンタジーの方が良かったかしら?」
これはMGS2のとあるキャラクターの台詞だが、本作を語るにあたり不可欠だ。
MGSシリーズは「ファンタジー」、いわゆるRPGとは違う。RPGのように「力」「速さ」「運」といった「ステータス」を見ることができない。自身に与えられた役割さえも明確ではない。MGS1に限らずMGSシリーズは伝統的に「自らの『役割』が分からない」。作戦を指揮するはずの者の言が二転三転するからだ。
自らの「ステータス」配分も分からない。与えられたはずの「役割」も明確ではない。これは現実を生きる我々そのものだ。われわれ人間は「遺伝子」という見えざる因子に規定される。本作でも言われるように20世紀初頭「ヒトゲノム解析」が完了したとはいえ、少なくとも日常に「遺伝子」の内実を知る術はない。しかし、現実に「遺伝子」は確実に我々の人生に影響するし、それにより我々の「役割」も規定されていく。
見えないが、影響を与えてくる「遺伝子」にどのように向き合うか。ソリッドとリキッドの方法論の対比が本作の根幹だ。見えないものを補うのは「想像力」によりなされるが、リキッドは父を、そして世界を憎むことでそれを成そうとした。対してソリッドはキャンベル、メリル、オタコン、グレイ・フォックスとの関わりを大事にし、「相互理解」により「遺伝子」の呪縛を克服しようとする。
「俺は、戦うために造られた。俺は銃そのものだ」
これは『ピースウォーカー』におけるビッグボスの台詞だ。
リキッドはフォックスハウンドのメンバーを従えるが、上述したように彼らもまた、武器の名を冠する。武器そのものとなることで先の見えない社会に抗うかのように。
ソリッドは戦いの終わり「デイビッド」という本名を名乗る。名乗ることは社会への参画の表明だ。ステルスで闇に潜んできた存在が日の光に身をさらす。
遺伝子の規定する見えざる運命にどのように抗うか「憎悪」か「理解」か。「名を棄てること」か「名を名乗ること」か。
二人の対比は鮮明だ。彼らの生き様から何を「継承」するか。戦争さえも「自動化」される現代だが、こればかりは「デジタル」には委ねられない。




