デッドプール&ウルヴァリン(2024)

 

※ネタバレなし

 

【ヒーローと「中年の危機」】

「中年の危機」と呼ばれる映画ジャンルをご存じでしょうか。

がむしゃらに仕事に取り組む青年期を終え、仕事に慣れて生活が安定し始めたころ合いに、果たして自分の人生がこれで良かったのかと焦燥感にかられるという、人間のライフステージの中間地に普遍的に訪れる難題への直面を描くものです。

この種の映画は、主人公がそのような葛藤を、新しい出会いや、新天地への小旅行等を通して新たな知見を得ることで打破する流れが描かれます。

デッドプールシリーズ第三作の本作は、まさにそのような映画。

「デッドプール2」において妻ヴァネッサやXフォースの仲間を救い、人生の大きな目的を果たしたデッドプール=ウェイドは次の目的を見失ってしまいます。焦燥感からヴァネッサとすれ違ってしまう。そんなウェイドはある日、並行世界を管理する組織TVAに誘拐される。彼はMCU=アベンジャーズの存在する世界へと足を踏み入れる・・・

【マーベル世界の「小旅行」】

20世紀FOXがディズニーに買収されたことにより、遂にアベンジャーズ世界とのクロスオーバーが可能となった本作。しかし、シリーズ第三作というタイミングという「いまさら」なタイミングでの合流では「取ってつけた」印象になりかねない。

本作はそのような問題を「メタ視点」という方法論で打破します。デッドプールはMCUの外の世界からの来訪者。お客様視点と位置付けることでMCUから浮いた視点を、必然的なものと意味づけしてドラマに活用します。

「中年の危機」に直面したデッドプールの転換点となる「小旅行」。それが彼のMCU=アベンジャーズ世界の冒険という構造です。

アベンジャーズ世界の歴史に「当事者」として参加するのではなく、エンドゲームを経て、完成されたアベンジャーズ世界を「観光客」として巡るような温度感が、本作のデッドプールです。

デッドプールはウルヴァリンを始め、様々なマーベルヒーローと共演します。そこで彼が受け取るメッセージはとても力強いものでした。

 

「閉ざされた運命に直面しても、前を向くことで道は開ける。」

歴史から忘却され、次元のはざまに閉じ込められた並行世界のウルヴァリン達。彼らヒーローの奮闘と、それの示すメッセージは力強いもの。そのメッセージはデッドプールを超えて、観客である我々をも励ますかのようです。

このような臨場感も、スタジオの買収という現実の出来事を「メタ視点」で映画に落とし込むという挑戦的な演出があるからこそです。

コメディにもシリアスにも全力で取り組んできたデッドプールのキャラクター性があるからこそ、本作はただの「楽屋落ち」には終わりません。

【高い視聴ハードルだからこそ・・・】

ただ本作、完全に楽しむハードルはとても高い。MCU作品に限らず20世紀FOX制作のマーベル作品の知識も必要となるレベル。

ただ誤解してほしくないのは、それはあくまで「完全に」楽しむためのハードルであるということ。

予備知識なしで見ても本作は「普通に」楽しめる。

知らないヒーローが出てきても、それをファンボーイの様に目を輝かせて語るデッドプールの姿を見れば、演出の意図は伝わります。

自分が知らないキャラでも、友人が「推し」として目を輝かせて語るのを見ると、自然と知らないはずのそのキャラに好感をいだいてしまう。そんな経験はありませんか?

本作を視聴してから、登場ヒーローの過去作を追うそんな楽しみ方もありでしょう。

「視聴ハードルが高いからこそ、唯一無二の個性を獲得した」こと。それが本作の強みと言えます。

心の奥の痛みを、ユーモアでごまかすデッドプール。
心の奥の痛みを、ぶっきらぼうな態度でひた隠しにするウルヴァリン。


実は似た者通しの二人の極上のバディムービーです。