メタルギアソリッドV ファントムペイン(MGSV)(MGS5)解説、考察、評価
METAL GEAR SOLID V THE PHANTOM PAIN(2015)
※ネタバレあり。
【公式による「アンチMGS作品」】

MGSシリーズは集大成たるMGS4で一先ずの完結を見ました。MGSがシリーズを通して語る「次世代へ語り伝える意義」のテーマはここに完結します。しかし、その後MGSPWという新作を経て、MGSVでシリーズは再びの完結を見ます。
完結へ至る過程において社内の騒動等の噂が取りざたされ、打ち切りの疑惑もありましたが、MGSVのラストシーンにおいてMSX2が登場し、初代MGへ繋がる演出がなされたことからも、MGSVがシリーズを真の意味で完結させる意図を持って作成された作品であることは明らかでしょう。
では、シリーズのテーマを肯定的に語り、集大成を描いたMGS4に対し、MGSVは「どのような意図を持った完結作」だったのか。私の主張は次の通りです。
MGSVはMGS4とは正反対に位置する「公式によるアンチMGS作品」。
「次世代へ語り伝える意義」というテーマに「疑問を投げかける」作品と言えるのではないでしょうか。
【「語り伝える意義」の限界】

「僕たちは伝えなければいけない、子供たちに」
「過ちを語り伝える、抗議する、そのために生きる」
上記は、MGS2におけるソリッド・スネークとオタコンの台詞です。「次世代へ語り伝える意義」というシリーズのテーマを象徴するセリフです。
MGS2の黒幕たる『愛国者達』はデジタル上で「コンテクストの生成」を行うことを目的として「民意の誘導」を図りますが、ソリッドは「他者を尊重する意志」と「語り伝える自由」を行使することで「自由意志の解放」を目論みます。
その様なソリッドの信念を肯定的に描くことがMGS2のテーマでしたが、MGSVはそのテーマに疑念を投げかけます。
「私は小さな村で生まれた」
「幼いころ外国の兵隊達が、私の村を奪った」
「大人から引き離され、彼らの言葉を埋め込まれた」
「言葉が変わると、私も変わった」
「性格、ものの考え、善と悪」
MGSVの悪役、スカルフェイスは自身の過去を上記の通り述懐します。
「扱う言語の特性により、当人の意志は無意識化である程度規定される」という「サピア・ウォーフ仮説」の引用ですが、これこそMGS2で肯定された「語り伝える意義」のアンチテーゼと言えます。
MGS2は、意志を規定する『愛国者達』と、相互に尊重し合い語り伝え合うコミュニケーションの可能性を論じるソリッドの信念を対立軸として展開しました。
しかし、スカルフェイスの存在はこの主張の欠陥を浮き彫りにします。『愛国者達』もソリッドも、どちらも英語という覇権言語を前提として論を展開されているということです。
ソリッドのように、他者を尊重する意図があったとしても、「語り伝えるという行動」それ自体に、「英語の価値観を伝播させる」という、いわば侵略的な意図が、構造的に内包されてしまう。
MGSシリーズのテーマである「次世代へ語り伝える意義」の限界、不完全性が、スカルフェイスの存在によって指摘された格好です。
【言葉は「文脈(コンテクスト)で」変質する】

「大人になるということは、自分で生き方を決めることだ」
MGSPWにおいて、ビッグボスがチコに向けて語る場面です。仲間の居場所を拷問の末に敵へ伝えてしまった罪悪感を抱えるチコに、償いのために前を向くように促す場面ですが、MGSV:GZのカセットテープ内に次のような場面があります。

「大人になるということは、自分で生き方を決めることだ」
先ほどと全く同じセリフですが、これは1975年キューバでスカルフェイスがチコに語る場面です。スカルフェイスはチコに自分の身を守るために、マザーベースの位置を喋るように促します。
子供たちに信じた正義を「言葉で」伝えようとしても、言葉は場面に応じた「文脈(コンテクスト)で」変質する。同じ言葉でも、「償いを促すもの」から「自己保身を促すもの」という正反対のものに簡単に変質する。
「言葉で伝えようとする限界」は、MGSVで繰り返し描写されます。
【アンチテーゼとしての「スカルフェイス」】

スカルフェイスは、作中においては、「スネークイーター作戦」のバックアッププランとして暗躍していたなど、ビッグボスの「裏側」の存在として描写されます。
しかし、シリーズ全体を俯瞰してみた時、スカルフェイスはMGSシリーズのテーマのアンチテーゼとしての役割を背負うように思えます。
集大成のMGS4を経た先、MGSVにおいてはスカルフェイスを通してMGSのテーマに疑念を投げかけ、プレイヤー自身にMGSのテーマとは何だったのかを再考させる逆説的な手法。
それこそが、MGSVがMGS4とは対極に位置する、「もう一つの完結編」たる理由なのだと思います。
【読み解く鍵は「FOB」に】

では、語り伝えることに限界があるなら、我々はどうすれば良いのか。本作を読み解く鍵は「FOB」にあると言えます。
本作MGSVはオンラインモードで「FOB」という機能が実装されます。一人一人のプレイヤーがオンライン上に前線基地を設立して、選択により「核武装」までもが可能となる。
「核武装」することで、ゲーム上で有利に立ち回れる半面、全プレイヤーが同時に核を廃棄することでしか見れないエンディングが存在する。
ゲーム上において平和が実現される「真の結末」を見るためには、プレイヤー同士がSNSなどで外部の繋がりを持ち、連帯して「同時に核を放棄する」必要があります。
しかし、このゲーム性には大きな欠陥があります。というのも、後の歴史において世界の脅威となるプレイヤー=ビッグボス(ヴェノム)が核を放棄すれば、サーガの歴史上、後の初代MGに繋がらなくなってしまうのです。
【「真のエンディング」とは歴史を覆すこと】

「真のエンディング」に到達することで、シリーズとしての歴史に矛盾が生じるという構造的な欠陥。しかし、この欠陥こそ製作スタッフにより意図されたものではないかと思います。
メタルギアサーガは、いわば制作陣からプレイヤーに「語り伝えられてきた歴史」です。MGSVが上述したように、スカルフェイスを軸に「語る伝える限界」を論じた以上、そのほころびから、メタルギアサーガの闘争に満ちた悲しい歴史を、プレイヤー自身によって覆すことが期待されていると言えます。
メタルギアサーガの「歴史をスネークの役割で保管」(S3)してヴェノムと共に戦場へ繰り出すことよりも、サーガの歴史を覆し、否定し、矛盾を生じさせてでも「平和な世界の実現」をヴェノムと共に一人一人のプレイヤーが願う事。

ラストシーンでヴェノムが鏡を割る場面は、「闘争を決定付けられたメタルギア世界の歴史への反逆」とも解釈できます。鏡=ゲームのモニター。鏡の破壊はゲームの世界、メタルギアサーガの歴史、アウターヘブンの闘争への道筋の否定です。
物語の円環を超えて、平和を願う自由。
制作者の伝える物語を超えて、プレイヤーが物語を紡ぐ自由。
その自由が、プレイヤー自身の意志によって実現されることこそ、本作が想定した「真のエンディング」なのではないかと思います。




