裏天正記 幕末編|第2幕第7話 「言葉にされた戦──名古屋で語られた“名のない侵略”」 | ゆうがのブログ

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世の中辛いよね。なんで辛いのかその理由がわかれは少しは、楽になるかも。そんなブログです。
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伊賀を出てから、道は再びひらけた。

 山の静けさを抜けると、人の声と荷の音が戻ってくる。
 澪は街道の流れに身を置きながら、伊賀で交わした言葉を反芻していた。

 ——再来する戦。

 確証はない。
 だが、似ているという感覚は、消えなかった。

 名古屋の町は、思った以上に賑わっていた。
 城下を中心に、人と物が絶え間なく動いている。
 大坂ほどの規模ではないが、東西をつなぐ要衝としての熱を帯びていた。

 澪は、町の一角にある小さな書肆(しょし)を訪ねた。
 伊賀の棟梁から、名だけは聞いていた。

 ——この町に、外を見ている者がいる。

 戸を開けると、紙と墨の匂いが満ちていた。
 壁一面に積まれた書。
 どれも、容易に手に入るものではない。

「お探しの本は」

 声をかけてきた男は、武士の装いだった。
 だが、刀よりも筆が似合う佇まいをしている。

「書ではありません」

 澪は答えた。

「話を、聞きに来ました」

 男は一瞬、澪を見つめた。
 その視線は、測るようでいて、拒まない。

「……奥へ」

 通された先で、男は名乗った。

「渡辺と申します」

 その名に、澪は静かに息を整えた。

 渡辺崋山。
 海防を論じ、外の事情を知る者。
 だが、表で大きく語ることを許されていない人物。

 澪は、これまでの旅を語った。
 長崎での噂。
 大坂のアヘン窟。
 彦根で起きた錯乱。
 伊賀で立てた仮説。

 崋山は、途中で遮らなかった。
 ただ、何度か筆を止め、視線を上げた。

「……なるほど」

 澪の話が終わると、崋山はゆっくりと言った。

「あなたは、医師の目で見ている」

 澪は頷いた。

「ええ。
 けれど、それだけでは足りない気がして」

 崋山は、小さく笑った。

「足りないのは、あなただけではありません」

 そして、言葉を選ぶように続ける。

「敵は、刀を持って来るとは限らぬ。
 むしろ、刀を持たぬ方が厄介だ」

 澪の胸に、伊賀での言葉が重なる。

「信仰も、薬も……」

 澪が口にすると、崋山は頷いた。

「ええ。
 本来は人を救うものです。
 だが、それを操る者がいれば、
 救いは支配に変わる」

 崋山は、机の上の紙を指で押さえた。

「外の国々は、すでにそれを学んでいます。
 力で奪うより、
 内側から崩す方が早い、と」

 澪は、静かに問う。

「それは……戦なのですか」

 崋山は、すぐには答えなかった。
 窓の外、人の行き交う音を聞いてから、言う。

「戦です。
 ただし、名のない戦です」

 ——名のない戦。

 その言葉は、澪の中で、はっきりと形を持った。

 伊賀での仮説。
 彦根で見た乱れ。
 大坂で見た依存。

 すべてが、一つの線になる。

「あなたの仮説は、危うい」

 崋山は続けた。

「正しいかもしれない。
 だが、口にすれば、狙われる」

 澪は、その言葉の意味を理解していた。
 それでも、目を逸らさない。

「……それでも、見なかったことにはできません」

 崋山は、澪をまっすぐに見た。

「でしょうな」

 それだけだった。

 別れ際、崋山は一枚の紙を渡した。
 そこには、港と街道、薬種の流れが簡潔に記されている。

「これは、私の考えです。
 確証はありません」

 澪は、深く頭を下げた。

 書肆を出ると、夕暮れが町を包んでいた。
 人々は、いつも通りに歩いている。

 だが澪の目には、違って見えた。

 これは、すでに始まっている戦だ。
 名もなく、旗もなく、
 人々が気づかぬうちに進む戦。

 楓は、澪の一歩後ろを歩いている。
 いつもと変わらぬ距離。

「……楓」

 澪が、初めて名を呼んだ。

「はい」

「この話は、重いですね」

 楓は少し考え、短く答えた。

「……重い話ほど、
 静かに進みます」

 澪は頷いた。

 名古屋で、言葉になった戦は、
 次の地で、さらに形を持つだろう。

 江戸へ。

 名を持たぬ戦の、中心へ。


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第2幕・第7話「言葉にされた戦」考察

第7話は、第2幕において
澪の仮説が「個人や組織の感覚」から「思想と言語」へと昇格する回である。

これまで澪は、

  • 医師として「症状」を見てきた

  • 旅人として「広がり」を感じてきた

  • 伊賀で「過去との類似」に気づいた

しかし、それらはまだ
心の中にある理解に留まっていた。

名古屋で出会う 渡辺崋山 は、
その理解を「言葉」に変える存在である。

崋山は、澪と同じく外を見ているが、
澪とは違い、

  • 書く者

  • 考えを社会に置こうとする者

である。

彼が語る

「敵は、刀を持って来るとは限らぬ」

という言葉は、
澪が体感してきた出来事を
戦争の概念として定義する行為だ。

ここで重要なのは、
この戦いが「名を持たない」点である。

  • 宣戦布告はない

  • 軍勢も旗もない

  • だが、人の心・身体・暮らしが破壊されていく

崋山が言う

「名のない戦」

とは、
戦争でありながら、戦争として認識されない侵略を意味している。

これは伊賀で語られた

  • 信仰による侵略

  • 内側からの崩壊

という過去の戦いと完全に重なる。

第7話によって、

  • 澪の仮説は「歴史的再来説」として裏付けられ

  • それが思想家の言葉によって共有可能な形になる

同時に、この回は
「語ることの危険」も明確にする。

崋山は澪に警告する。

  • 正しいかもしれない

  • だが、口にすれば狙われる

つまり、

真実は、守るべきだが、
公にすれば必ず敵を呼ぶ

という現実である。

これは、のちに

  • 井伊直弼が背負う決断

  • マヌエルが担う影の連絡

  • 草が表に出られない理由

へとつながる重要な前提になる。

また本話では、
楓という存在が初めて“言葉”を持つ。

「重い話ほど、静かに進みます」

この一言は、
第2幕全体を貫くテーマの要約でもある。

第7話は、

  • 感覚だった異変が

  • 歴史と思想に結びつき

  • 「戦」として明確に意識される

という、思考の決定点を描いた回である。