市場の片隅、潮風が吹き抜ける石畳の脇に、小さな屋台が立った。
木製の簡素な台に、異国の布が掛けられ、その上には香ばしい香草と湯気を立てる鉄鍋。異国の人々が行き交う中、そこだけが不思議と温かな空気を漂わせていた。
屋号は「カモンエスの台所」。詩人の名を借りたそれは、マリアの希望で名付けられた。
「詩も料理も、人の心に残るものだから」
マリアはそう言って微笑み、鍋をかき混ぜる。烈馬は手慣れた手つきで荷を運び、周囲の警戒を怠らない。
ふたりは、客の前では他人を装う。だが、熱湯に手をかけるタイミング、皿を差し出す角度、目の端で交わす合図に、通じ合う気配があった。
「これは……ポルトガルの煮込みか?」「このスープ、どこか懐かしい味がする」
宣教師、商人、船乗り。彼らが次第にこの屋台に集まり、マリアの手料理に舌鼓を打った。
情報もまた、香りに誘われるように自然と集まり始めた。
ある者はミゲルの名を聞いたと言い、ある者は似た背格好の男を見たと語った。だが、それらはどれも確かなものではなかった。
夜、屋台をたたみ終えると、マリアは静かに火を落とす。
「今日も……違ったわね」
「だが、少しずつ近づいている。気を抜くな」
烈馬の言葉に、マリアは小さく頷いた。
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🔍考察:異文化の交差点に立つふたり
この章「小さな屋台、初めての場所」は、物語の中でもっとも“静かで豊かな戦い”が描かれます。
烈馬とマリアは、任務でも恋でもなく、“生活”という日々の中で、互いを知っていきます。その舞台が、この屋台です。
料理とは、言葉を越えて文化や想いを伝える手段。その意味で、マリアがこの場を通じて街と、そして異国の人々と繋がっていく描写は、信仰や出自の違いを越えた“共感”の力を象徴しています。
一方、烈馬はその裏で守り、動き、監視する。“草”としての役割を忘れず、しかしマリアを「共に生きる相手」として見る自分にも気づき始めています。
客の前では他人、しかし背中で呼吸を揃えるふたりの姿は、まさに“異文化の交差点に咲いた静かな絆”の象徴です。
この屋台は、烈馬の生き方に変化をもたらす場であり、後に「命を繋ぐ」決断に至る重要な伏線でもあります。
