烈馬とマリアは、海沿いの小さな旅籠に身を寄せていた。
「……ここで一度、情報を整理しよう」
夕餉の後、烈馬が低く言った。二人は卓を挟み、薄明かりの下で向かい合う。
「ルイスは、このあたりの事情に詳しかった。裏の酒場や密商人の動きにも通じていた。彼なら何か知っているかもしれない」
マリアが顔を上げた。「そのルイスという男……本当に、ミゲルなの?」
「確証はない。だが、お前の目のあたりに……」
言いかけて烈馬は口を閉じた。
「なら、彼に聞いてみたいわ」
烈馬は頷いた。
だが、連絡役の話では、二週間前から姿を消しているとのことだった。
マリアの表情に陰りが差す。「また……私を置いていったのね」
烈馬は沈黙のまま、小さなブレイジア(香炉兼小型暖炉)の炭を足しながら考え込んだ。
しばしの沈黙のあと、烈馬が口を開いた。
「このままあてもなく探し続けても、徒労に終わる可能性が高い。いっそ、情報が向こうからやってくる場所を作るのはどうだ?」
マリアが眉を上げる。「……どういう意味?」
「例えば、お前の地元の料理を出す店を開くんだ。料理を出しながら、人の話を自然に聞け、情報は自然と集まってくるだろう」
マリアはその言葉を反芻し、ゆっくりと頷いた。「……なるほど。悪くないわね」
「俺は厨房には立たんが、仕入れや警備なら俺にもできる」
「構わないわ。あなたの料理の腕は、あまり期待できなさそうね」
「ははっ、料理は君にまかせるよ」
ふたりの間に、小さく笑いがこぼれた。
その笑みは、一枚の壁の向こうにあった感情を、わずかに照らしたようだった。
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🔍考察:言葉の壁、心の壁、その先に
この章「壁越しの対話」は、烈馬とマリアが“他者”としての距離から、“伴侶”としての協力関係へと一歩近づく転機を描いています。
烈馬はこれまで、「情報は奪うもの、感情は排するもの」として育ち、生きてきました。だが今回、自ら提案した“場をつくる”という発想は、彼にとってこれまでの任務の枠を越えた新しい行動原理の始まりです。マリアがそれを自然に受け入れることで、彼女の中にも烈馬への信頼が静かに芽生え始めていることがわかります。
また、軽妙なやりとりに象徴されるように、互いの違いを理解し、認め合いながら少しずつ築かれていく関係性が、“心の壁”を溶かしていく過程として描かれています。
この章は、単なる捜索の策ではなく、「草としての合理と使命」から「人としての情と共感」への移行を象徴する、大きな一歩といえるでしょう。
次回、第十一話では、いよいよ二人の“料理屋”が開店し、様々な人々との出会いが烈馬にさらなる変化をもたらしていくことになります。
