『裏天正記』マカオ編 第7話 第一幕:信仰の光と影(烈馬とルイス) | ゆうがのブログ

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マカオの朝は、湿り気を帯びた海風とともに始まった。烈馬は石畳を踏みしめながら、ルイスの後を歩いていた。

「この先に孤児院がある。少し、見てほしいんだ」とルイスは静かに言った。

そこには、異国の修道女たちが祈りとともに子らを育てる場があった。言葉も肌も違う子供たちが、ルイスを見ると一斉に駆け寄る。彼の頬に笑みが浮かぶ。

烈馬は、その光景を一歩離れた日陰から見つめていた。

「……教えが人を救うとは、思っていなかった」

「信仰は剣にもなるが、盾にもなる。人の手によって変わる。それを君に見てほしかった」

ルイスの言葉は、どこか按針の声と重なった。

その夜、草の仲間たちと茶を囲んだ席で、烈馬はふと語った。

「敵の教えに、癒しがあった。……俺は、迷っているのかもしれん」

霞がゆっくりと顔を上げた。

「按針さまも言っていました。『信仰とは、国の形をも変える力を持つが、それを担う者が清くなければ、民を誤らせる』と」

沈黙が落ちた。

やがて、烈馬は呟いた。

「ならば俺は……その“担う者”が誰かを、この目で見極めねばならぬ」

彼の目には、これまでにない揺らぎと、確かな光があった。

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🔍考察:信仰とは「敵」か「鏡」か?

この第一幕では、烈馬が「異国の信仰」を単なる侵略の道具ではなく、人を救う力として見始める心理的変化が描かれます。

烈馬は、忍びとしての教育の中で“異国信仰=毒”と刷り込まれてきました。しかし、実際にその教えが人を癒し、孤児たちを生かしている姿を見ることで、「信仰とは何か?」という根源的な問いに直面します。

ここで注目すべきは、信仰の「相対性」です。ルイスが言うように、信仰は絶対的なものではなく、それを担う人間によって剣にも盾にもなる。この言葉はまさに按針の思想と重なり、烈馬にとって大きな思想的転換点となります。

また、信仰は敵対すべき外来思想であると同時に、己の“鏡”でもあります。烈馬はこの出来事を通じて、自らの中にある「敵意」や「純粋さ」の両方と向き合わざるを得ません。


🌱今後への布石

この章は、烈馬が“異文化理解”への扉を開く物語的分岐点です。
この体験は、後に彼がマリアと出会い、そして“我が子を草の血脈として育てていく決意に至る大きな布石となります。
また、“草”という組織の在り方そのものが、「敵と味方の二項対立」から「文化の共存と融合」へと進化する未来への始まりでもあります。