『裏天正記』第1章 第3話 :縛られぬ絆 | ゆうがのブログ

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世の中辛いよね。なんで辛いのかその理由がわかれは少しは、楽になるかも。そんなブログです。
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丹波・亀山城から三里ほど離れた山荘には、静かな時間が流れていた。
木立に囲まれたその場所は、煕子と娘の玉が“保養”の名目で滞在している別邸だった。

「ここは静かで落ち着きますね」
煕子は縁側で湯を啜りながら、笑みをこぼした。

「あなたの体には、少し休息が必要なのです」
そう言って腰を下ろしたのは、例の宣教師——フランシスコ・デル・カサだった。

娘の玉が、屋内でラテン語の祈りを復唱している声が風に乗って届く。

「この子は賢い。きっと主の道に導かれましょう」
デル・カサはやわらかく微笑んだ。

煕子はうなずきながら、ふと尋ねた。
「そういえば……あなた方の教会は、なぜこれほど丁寧に私たちを支えてくださるのですか?」

デル・カサの笑みが、わずかに揺れた。

「それは、あなた方が“選ばれし魂”だからです」
「そして、光秀殿がどちらの道を選ばれるか、それを“静かに待つ”ためでもあります」

煕子の手が止まる。
だが、彼女は言葉を返さない。

その頃、城に戻った光秀は家臣の一人から密かに耳打ちを受けていた。

「奥方様とお嬢様は、教団の“ファミリア・デイ”として記録されました」
「彼らにとって、それは“神の家族”……つまり、保護と拘束を意味します」

光秀の眉間が深く沈む。
それは、戦場とは異なる種類の脅威だった。

見えぬ鎖が、家族を包み始めている。
その鎖を断ち切るには、刀では届かぬ“選択”が必要だと、光秀は初めて気づいたのだった。

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【考察】“保護”の名を借りた支配——宣教師が光秀に仕掛けた静かな檻


■ こんにちは。「裏天正記」第1章の第3話をご覧いただきありがとうございます。

今回は、光秀の家族が宣教師団の“精神的な庇護下”に置かれるという、
非常に重要な転換点となるパートを描きました。


■ 「保養」「教育」「保護」——支配の美しい言葉たち

このパートでのキーワードは「言葉の裏の意味」です。

  • 保養所 → 監視拠点

  • 教育 → 教義の刷り込み

  • 保護 → 信仰による拘束

フランシスコ・デル・カサはあからさまな暴力ではなく、
“善意と敬意の仮面を被ったコントロール”を仕掛けてきます。

実際の宣教師活動でも、こうした「精神的属国化」は布教と並ぶもう一つの柱でした。


■ 「ファミリア・デイ」とは?

作中に出てくる「ファミリア・デイ(Familia Dei)」とは、ラテン語で「神の家族」。
実在のキリスト教用語であり、教団内で保護すべき信徒や寄進者をこう呼ぶことがあります。

この概念を逆手に取り、物語では
「“神の家族”とされた者は、組織の支配下に入る」という仕組みに脚色しています。

つまり、光秀の家族はすでに信仰によって“囲われている”。
この時点で、すでに「光秀を動かす人質」として機能し始めているのです。


■ 主人公の「選択の自由」が狭められる瞬間

この章のラストで、光秀ははっきりと「刀では解決できない状況」に直面します。

信長の命令か、家族の命運か。
主君への忠誠か、家族への守りか。

ここにこそ、光秀の“裏切り”ではない“苦悩の決断”が生まれる土壌があります。


■ 次回に向けて

第4話では、宣教師団がついに光秀に“選択”を迫ります。
同時に、徳川家康が裏で何を見ていたのか、暗躍の兆しが現れ始めます。

史実の裏に潜む、“もしも”の陰影。
どうぞ次回もお楽しみに。