天正九年初夏——
丹波・亀山城の空は、抜けるように澄んでいた。
明智光秀は、戦支度のまま城門をくぐった。
近江での一揆鎮圧を終え、ほぼ無傷での帰陣。だが、どこか胸の奥に釈然としない重さが残っていた。
「殿、お帰りなされませ」
家臣の出迎えに軽く頷くと、光秀は馬を預け、まっすぐ城下町へと向かった。
広場の方角から、湯気と共に人のざわめきが立ち上っている。
——この時期に炊き出しか? 妙だな。
異変を察した光秀は足を速め、町人たちの間を抜けるようにして広場へ出た。
そこにいたのは、数十人の貧しい農民たち。そして——
「……煕子?」
湯気立つ鍋の前に立っていたのは、他ならぬ光秀の妻・煕子だった。
薄い法衣のような白布を肩にかけ、異国風の男たちと並んで米を配っている。
「あなた……おかえりなさい」
煕子の笑顔は変わらなかった。
だがその後ろに控える男——異国の服装をまとい、ロザリオのようなものを首から下げた宣教師の存在が、光秀の眉間に影を落とす。
「これは……どういうことだ?」
「飢えている方々が多いのです。この方たちが支援を申し出てくださって……わたくし、助けたくて……」
宣教師が一歩進み出る。まだたどたどしいが、明確な意思を持った日本語で語りかけてきた。
「ミツヒデ・ドノ。我々はただ、神の慈しみを広めたいだけです」
光秀は無言で鍋の中を覗き込んだ。
米粥と共に、見慣れぬ香草が混じっていた。どこか異国の香りがする。
「……神の慈しみか。だが、この地には“この地なり”の慈しみがある」
そう言い残し、光秀は踵を返した。
その背中に、煕子の視線が静かに降り注いでいた。
やさしさか、それとも迷いか——光秀には、判別がつかなかった。
【考察】なぜ明智光秀は信長を討ったのか?——『裏天正記』第1章より
こんにちは。「裏天正記」第1章、読んでいただきありがとうございます。
今回のエピソードでは、明智光秀がなぜ織田信長を討とうと決意したのか、その“きっかけ”となる部分をフィクションの形で描きました。
この章で描かれたのは、本能寺の変の「一年前」。
光秀の妻・煕子が宣教師の影響を受け、領民に炊き出しを行い始めるという出来事から物語が始まります。
■ なぜ炊き出しが“異変の兆し”なのか?
一見すると、貧しい人々への炊き出しは「善行」に見えます。
しかし、それが異文化による支配の入り口だったとしたらどうでしょうか?
歴史的に見ても、宣教師たちは単に布教するだけでなく、貧困層への支援を通じて信頼を得ていく戦略を用いていました。
これは当時の日本にとっては、“価値観の侵略”でもありました。
つまり、光秀の目に映ったのは「妻の善意」ではなく、
その背後にある異国の思想が家族に入り込んでいる現実だったのです。
それでは、また次のお話でお会いしましょう!
