2023.10.3.
旅の二日目 この旅、本命の1日です
6:00起床して
朝温泉
8:30
ホテルからすぐ近くの「天寧寺」へ そう!ここには、近藤勇のお墓があるのです
念願の近藤勇のお墓参り~(この日は、念願の~!が沢山出ます(笑)。)
天寧寺の裏山(墓地)を暫く上ると🚶(想像したより距離があった)
近藤勇のお墓。(近藤勇の墓は数か所あり)ここは、土方歳三が、松平容保公に頼み建立されたお墓で、土方が持参した近藤の遺髪や遺品が埋葬されていると伝わっています。
また、三条河原で晒された近藤の首を誰かが持ち帰り、ここに埋葬したとも伝わっています。
隣には、土方歳三の慰霊碑。
天寧寺から見た鶴ヶ城天守🏯
そして、飯盛山へ 観光客が増える前に到着です
白虎隊のお墓参りへ。
カラー版をGET デザインは磐梯山かな?
せっかくなので、動く坂道を体験 楽ちん
そして、念願の白虎隊のお墓参りに来れました
小学生の時、ドラマ白虎隊を見て感動して以来来たかった所です
白虎士中二番隊19人の墓。(自決した16人と戸ノ口原で戦死した3人を含む)
白虎隊は16~17歳の隊で、ちょうどウチの息子と同じ年です 自ら命を絶つって!心中はどんなだったでしょうか
計り知れません!
コチラは、自決した時、唯一生き残っていた飯沼貞吉(貞雄)のお墓。
本人は生き残った事を後悔したでしょうが、この人が生き残っていたお陰で後世に白虎隊の事が伝わったのです。(前回投稿した二本松少年隊とは、ここが大きく違うとこですね)
白虎隊自刃の地。
士中二番隊の17人がここで自決したのです
飯盛山から見た鶴ヶ城 18-135mm
の望遠では、これが限界
白虎隊たちは、ここから鶴ヶ城を見て城が燃えてると勘違い(諸説あり)したのだけど(実際は城下町が燃えていただけ)肉眼では、米粒ほどにしか見えない!判別は無理だったでしょう
白虎隊のお参りを済ませ飯盛山を下ります🚶今度は徒歩で。
途中の土産屋。
ここで、白虎隊の御朱印を買えます(10月限定)
白虎隊を祀る飯盛山宇賀神社
そして!さざえ堂へ
よく、旅系の番組で見るやつです
いざ!🚶上りと下りは一方通行
頂上部。次は下ります🚶
ホントに面白い造りですね
この水路を抜けてきたの
感慨深い飯盛山でした
と、麓の饅頭屋で小休止
それから、お土産屋を巡ってピンズをかき集めました
赤べこのキーホルダーと白虎隊の?人形
それから、ちょっと御朱印関連で(蚕養国神社)へ
そして(妙国寺)
こちらは、自刃していた白虎隊たちの亡骸を一時埋葬していたお寺です。
白虎士中二番隊が自決した時は、まだ戦中で新政府軍からお墓を創ることを許されませんでした!
また会津藩降伏後の少しの間、松平容保公が謹慎させられていた場所でもあります。
会津の礎を築いた戦国武将「蒲生氏郷」のお墓へ
こちらは遺髪墓となっています。(本墓は、京都の大徳寺黄梅院にある。)
そして、昼時になったので、チェックしていたお店へ
輪箱飯の割烹・会津料理の「田季野」へ🚶
お昼から、割烹なんて、ちょっと贅沢
輪箱飯(わっぱめし)の鮭親子を注文しました
馬刺しを食べそこなった
お腹もいっぱいになり出発
次は七日町へ移動
会津東軍墓地へ🚶
阿弥陀寺にある会津東軍墓地。
鶴ヶ城に在った「御三階」と言う建物で移築されました。
ここには、あの新選組三番隊組長の斎藤一のお墓があります
新選組好きとしては無視できないメンバーの一人です
それから、記念館を拝見しました
(前編)で投稿した内容ですが、東山温泉に療養している間、土方が泊まっていた清水屋旅館が在った場所。
そして、大本命の鶴ヶ城🏯へ
と!その前にお土産に決めていた『会津葵』の「かすてあん」を買いに立ち寄りました
コレが買った「かすてあん」昔ながら?のカステラ生地に、こし餡とフルーツ餡が入ってる二種類を爆買いしました
また食べたい
鶴ヶ城へ。(もちろん写真が多いので別記事で投稿します)(今回巡った所は、それぞれの記事を投稿します
)
天気も良くて、良い写真が撮れました
赤べこと天守
天守からの景色
城から見た飯盛山。赤丸の所が、白虎隊が自決した場所。
堅固な石垣! 敢えて人影を入れて撮影 大きさが、何となく分かるかな?
新島八重さんの銅像もありました 何年か前の大河ドラマ「八重の桜」で綾瀬はるかさんが演じていましたね
鶴ヶ城も広いね~ 🍦コーヒーミルクソフトで休憩
工事用も、赤べこ可愛い
2日目の予定してた目的地を見て終わりました
まだ時間はありましたが、既に16時も過ぎて寺社巡りは、もう厳しいので!
時間があれば、行ってみたかった所へ
所要時間が分からないので、目的地の予定に入れていなかったけど、日暮れまでに時間の余裕があったので「会津藩主松平家墓所」へ🚶 目的は、やはり松平容保公のお墓参り。
冠木門を潜ると、暫く石段の参道を上ります
どこまで上るのか!?と思った頃に墓所に到着
新選組の生みの親ともなった松平容保公のお墓参りに来れました
松平容保公の墳墓。
近くの会津武家屋敷は、時間的に余裕がなく断念
それから、少し走り 「如来堂」と呼ばれるお堂の在る所へ
新政府軍300~500人と、斎藤一が率いる新選組の生き残り13人と他数人と合わせて20人ほどの小隊が激突 もちろん!壊滅しましたが、斎藤一と数名は脱出しました
当時、神指城の跡があり、おそらく会津軍が前哨基地としていたと思われる。如来堂があるここも土塁が残っていて守備するには良い場所でした。西から進軍してくる新政府軍を迎え撃つ為の防衛陣地でしたが、新選組らが居た時で、しかも!兵が手薄な時に南から進軍してきた新政府軍の別隊に急襲され壊滅してしまいました。
(詳細は、また載せようと思います)
二日目は、てんこ盛りで満喫しました~
ホテルに戻る前に会津若松駅に寄り道
この教えが良いですね~
ホテル着 二日目の夜を迎えました
三日目へ続く。