篠ノ丸城跡へ
一度は訪れてみたかった
この山城の最大の特徴が、畝状竪堀群です![]()
中腹までは、車で上がれて楽ちん
🅿スペース有
そこから、主郭までたった10分ほどの登山となります![]()
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生憎の天気で諦めようかと思ったが!せっかく来たので登城![]()
思ったより整備されてて歩きやすかった
(もち!登山靴で、です。)
南曲輪の腰曲輪に到着![]()
眼下には、攻めてきた秀吉が、落城させたのち篠ノ丸城を攻めるための本陣とした聖山城が見える![]()
主郭に到着
外周は武者走りがある
振り向くと南曲輪![]()
本丸の虎口。左右は横堀と土塁で囲っている![]()
本丸跡。
赤松一族の西播磨守護代宇野氏は、宍粟郡広瀬(山崎町中心部)に居館を置いた。その背後の山上に築かれた城が篠ノ丸城である。『赤松家播備作城記(あかまつけばんびさくじょうのき)』は、南北朝期に赤松貞範の長男顕則が初めて当城を築いたとする。
城は、北西から延びる山塊の東端(篠山・標高324m)に長方形の主郭(東西40m、南北50m)を置く。主郭は南西側に土塁と堀を備え、現状では南側の土塁中央が開口し「出入口」となっている。
主郭西側の尾根上には、南北両側を通路に取り囲まれた方形郭が連なり、尾根西端を三重の堀切で遮断している。主郭から北側へも尾根上に二列の方形郭を段々に連ね、その東西両側に通路を設けている。
当城の最大の特徴は、北端の出入り口から西端三重堀切の間の緩やかな北側斜面が、畝状竪堀群で覆い尽くされていることである。竪堀群の上には横堀、土塁、通路が対応して城の北西面の守りを固めており、他に類例を見ない仕様となっている。このような竪堀群は本城の長水城には見られない一方で、篠ノ丸城では長水城のような石垣の使用は確認されていない。
戦国期には宇野政頼の嫡男満景が城主となったが、天正2年(1574)、父子の不和から政頼は満景を廃嫡し殺害したと伝わる。その後、家臣の内海左兵衛が城代となったが、天正8年(1580)羽柴秀吉の攻撃により長水城と共に落城した。
主郭東側の帯曲輪。奥が南曲輪。
先ずは、北曲輪へ
北曲輪は、棚田の様な腰曲輪が無数に並んでいる![]()
北虎口跡。
北側から西へ(北曲輪から主郭、西曲輪の切岸下)続く横堀と土塁跡。
そして、見所の畝状竪堀群
これも北側から西側に無数に掘られている![]()
畝状竪堀群![]()
前回、投稿した瀬加山城にも十数箇所あったが、ここまで竪堀が並んだ山城は初めて見た![]()
一つ一つは、現在は浅く消えかかってるけど、必見です![]()
そして、曲輪に戻り次は西曲輪へ![]()
西曲輪と本丸の中間辺りにある横堀![]()
西曲輪。
西曲輪から
靄って見えず![]()
西曲輪端の腰曲輪。
その先は、三重の堀切で断ち切られています![]()
































