昨年の終わりは、ドライブがてら久しぶりに但馬の出石町へ![]()
![]()
有子山城と出石城の御城印の回収に向かいました
せっかくなので、登城もするか![]()
有子山城は、昔登城してるが、また登るかは悩むところ
と!言うのが、登城路のキツさ![]()
それなりに、大変な山城とかも訪れて来ましたが、有子山城は過去TOPクラスで疲れること![]()
訪れた時は、まだ若かったし体力&筋力があった
今はもう劣るし、出石に来る道中に小さな山城を一つ登ってきてて体力を少し使った
残り体力60%...![]()
でも!登っちゃう~
たぶん、これが最後だと思うしね![]()
山頂まで約1km。半分以上は急斜面を直登します
途中、心が折れそうになったけど![]()
頑張ります
気力40%体力20%![]()
途中の堀切り
堀切り見て、気力は少し回復![]()
北西の最初の腰曲輪
城域に入ります![]()
ここまで来れば、後はなだらか![]()
水の手(井戸曲輪)
北側に続く数段の腰曲輪![]()
この先には、堀切があるが、ここでUターンし、本丸へ![]()
第6曲輪。
第5曲輪。
第5曲輪から![]()
第4曲輪
第3曲輪の石垣。
第3曲輪を迂回し、千畳敷へ![]()
本丸と千畳敷の大堀切。
千畳敷。
千畳敷の東端。この下に腰曲輪と堀切がある。
千畳敷。
千畳敷の北側斜面。
千畳敷から見た本丸。間が堀切![]()
戻って本丸へ![]()
第3曲輪から![]()
第2曲輪。
本丸の石垣
竹田城みたいな派手な石垣は無いが、最高です
改修の規模を見ると、ここは、長く使う気は無かった感じだね![]()
有子山(ありこやま)城は、1574(天正2)年に但馬守護職の山名祐豊(やまなすけとよ)によって築かれました。
山名氏は、出石町宮内の此隅山(このすみやま)城を本拠地としていましたが、1569(永禄12)年に織田信長の家臣・羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に攻められ落城しました。その後、祐豊は一旦、堺へ出奔したのですが、信長の許しを得て帰国し、築城したのが有子山城です。
落城した此隅山城の名前が「子盗み」を連想させ縁起が悪いことから、もとは別の名前であった山に「有り子」と名付けたと伝えられています。
落城後は、羽柴秀長(豊臣秀長)が石垣の近世城郭に改修。前野長康、小出吉政、小出吉英が城主を務めました。
吉英の時代になると、各地の戦乱は沈静化に向かい世の中は安定し始めます。そうなると、険しい山城は領国経営上不便なため、山麓にあった居館を改修して出石城を築き本拠としたことから有子山城は廃城となりました。
本丸![]()
本丸から見た千畳敷![]()
そして~!有子山城と言えば
本丸から見る景色だね~![]()
これを見ると疲れが吹っ飛ぶ![]()







































