第五章 市ヶ谷(2)
【 三光坂 】②
三ヶ根山頂
A級戦犯7人の遺骨が眠る場所
高級住宅街の中に伸びる、古びた長い塀。
好んで通っているわけでもないのにこれだけ繰り返し何度も行き来させられるというのは、これまでのいきさつからすると、また何か新たなお告げなんだろうとは感じていましたが…。
ふとしたきっかけでそれが服部時計店(現在のセイコーホールディングス)の創業者・服部金太郎の私邸、ハットリハウスであることを知ります。
実はこの場所こそが、東京裁判の検事10人が滞在した場所であり、東京裁判の判決書を翻訳した場所だったわけです。
まあ、そういう展開なんですよ。
さらにハットリハウスから坂を下っていくと、そこは目黒通り。タワーマンションの脇に出ます。このタワーマンションがあった場所がかつてのノムラハウス。
東京裁判で検察側に全面協力して偽証を行ったと言われる田中隆吉が、裁判中匿われていたとされる場所なんです。
加えて同時期、用賀を訪れることも多くなりました。東條邸跡地の前を何度通ったことか…。
世田谷で彼や武尅隊に関連する場所を毎日行き来している上に、ミンスクに向かう直前にこの場所を通っていることを繋ぎ合わせて考えると、それは東京裁判をもう一度解きほぐして考えよ、東京裁判を切り口にして平和を考えよ、という東條からのメッセージに違いないと思ったんですね。
むろん彼の意思でもあると思うけれど。
そんなわけで、東京裁判という難解なお題に、あえて触れてみようと思うわけです。
専門的な研究にはと到底太刀打ちできるはずもありませんから、僕はそうしたところから一歩下がって、東京裁判が今の時代に何を語りかけるのか、今の世界情勢にどう役立てるか、言い換えるとどうやって平和へのメッセージに転換するか、という観点で東京裁判を語っていきたいと思います...