第五章 市ヶ谷(2)
【 三光坂 】③
巣鴨プリズン跡地・豊島区・東池袋公園
戦犯慰霊碑
実際東京裁判をめぐる議論については以前からモヤモヤしていたところがあるんです。
僕がこの裁判を語るまでもなく、これまで東京裁判については多くのの著作、論文が発表されていますが、それも学者の手による、裁判記録や日米双方の一時資料を繋ぎ合わせて極めて緻密に分析した上で書き上げられたものから、評論家が自説を披露するために書いたウケ狙いのものまで多種多様だし、Webサイトはどこかのサイトから引っ張ってきたパクリ記事で溢れています。
SNS上の議論に至っては推して知るべし、です。
言ってしまっては申し訳ないけれども、目立ちたい政治家たちはそうした二級、三級の資料を鵜呑みにして講演会ネタにするし、支持者が喜ぶための発言を繰り返して止まない。
そうしたことがどうしても引っかかっていたんですね。それは何のための議論なのか、という疑問です。このあと紹介する「東京裁判を正しく読む」のあとがきで著者の一人である牛村圭氏はこう書いています。
東京裁判を論じると感情的になる者は多い…
(中略)
…東京裁判を利用して政治的主張を企てる論者も目につく。
(中略)
雑誌や新書の対談を読むと、手持ちエピソードの競い合いや人脈の広さ自慢、さらには自書の宣伝までがあり、苦笑する。
そのエピソードに史実誤認があっても、列席者も編集者も訂正せずに活字となる。
そして昭和史の第一人者による座談会、などと銘打って書店に並ぶ。
まさにこの通りですね。
