第二章 世田谷へ(3)
【駒繋小学校】③
松本市立菅野小学校グランド北東部に残る
旧兵舎跡と思われる礎石
彼はここで特攻のための訓練を積んだ
中澤敬夫さんが書かれた「日本の子、小國民よ 学童疎開 父と子の便りの記録」。
その一部ー武尅隊との交流の様子ーを抜粋してご紹介します。
(手紙の文中、整備班長の名が「伊藤」となっていますが、正しくは「伊東」です。)
●二十年三月十五日付 敬夫→父(封書、便箋三枚表裏)
お父さん、お元気ですか。僕たちも元気で勉強しています。
(中略)
十日の朝、特攻隊の兵隊さんと一緒に体操をして、航空体操を少し教えてもらひました。
十一日、目之湯に泊ってゐる特攻隊の兵隊さんの飛行場を見学させていただきました。
(中略)
飛行場へ着くとかくなふこの前にみんな集まって、飛行機の飛ぶのを待ってゐました。飛行場は、置いてあるのや、整備をしてゐるのでいっぱいでした。
やがて、目之湯に泊ってゐる特攻隊の人が飛行機に乗って飛び立ちました。
そうして僕たちの見てゐ上で、横てんやちう返りなど、いろいろな事をして見せて下さいました。
それが終わると、兵隊さんと話を少しして、松林の中でおべん當を食べて、それから少し遊んで兵隊さんの寫眞をとり、僕たちも兵隊さんといっしょにとりました。
それから兵隊さんといっしょに飛行機を見にゐき、おいてある戦とう機に乗って機械や計器などを教へてもらひました。
それがすむと飛行場へ出かけていって午後の飛行を見に行きました。
しばらく飛行機のせいびを見てゐると、飛行機が飛び立ちました。
一番先が飛び立つと高くあがってゐき、又、飛行機のプロペラをまわしてしけんをしてゐるのを見てゐると、二機めが飛びたち、やがて三機めが飛び上がって、大きく飛行場の上をまわり始めました。
そして、目之湯の方へ向かって、三機へん隊を組んで飛んでいきました。
僕たちがどこへいったのだらうと思ってゐると、かくなふこの後ろの方から突ぜん、てい空で飛んで来ました。
僕たちはみんな、隊長さんと手をふると、飛行機のつばさを左右にふって合圖しました。
そして何回も向ふへ行ったり、こちらへ来たり、せんかいをしたり、ひくくなってつばさを左右にふったりしてゐる間に、だんだんひくくおりて来て、じゅんじゅ んに着陸しました。
そして、三人そろって隊長さんの前に行き、敬禮をしていろいろな事をはうこくして僕たちといっしょにお話をしてゐる内に、僕たちの帰る時間が近づいて来たので、班ごとに並んで門の方へ歩いて行きました。
書きおくれましたが、飛行場へいったのは、目の湯全部と、尾ノ上ノ湯の子と、東山温泉の子ときぼう者が五人ずつ行きました。
(中略)
飛行場へ行った時の繪や飛行機の繪を書いて送りたいのですが、むずかしくて 中々書けないので、もし書けたら送ります。
(中略)
目之湯に泊まってゐる特攻隊の人が、近く前線に行くさうです。
この前書いた「武國隊」の國はまちがってゐました。「武尅隊」です。
ではみな様によろしく、おからだを大切にして下さい。