次世代への伝言 #45 第二章 世田谷へ(3) 駒繋小学校① | 少年飛行兵 と 私 第二幕〜Thoughts About Peace

少年飛行兵 と 私 第二幕〜Thoughts About Peace

2014年、突然閉鎖したブログ「少年飛行兵と私」
特攻隊員だった「彼」の遺志を確かめた僕は、「少年飛行兵と私 第2幕」として新たな旅を始めます

第二章 世田谷へ(3)

【駒繋小学校】①

 

 

駒繋国民学校の疎開児童たち

目之湯旅館前にて

 

駒繫国民学校(現在の世田谷区立駒繫小学校)も学童集団疎開をした学校の一つです。

 

代沢小学校の「鉛筆部隊」がテレビでも取り上げられるくらい有名になってしまったので

(きむらけんさんのご尽力が実ったのだと僕は思っています)、この他の学校のことはあまり知られていませんが、駒繫国民学校も彼の部隊−誠第三十二飛行隊・武尅隊−隊員たちと交流を持ちました。

 

駒繫小学校の三年生から六年生321名は第一次疎開として昭和19年8月11日に東京を出発、浅間温泉にある五つの旅館に分宿しました。その一つが目之湯です。

 

ここには武尅隊・廣森達郎隊長、林一満大尉、小林勇大尉、清宗孝己大尉、結城尚弼(金尚弼)大尉(階級はいずれも特攻戦死昇進後)の5人の将校と整備班長の伊東実少尉が宿泊していました。

 

彼の武尅隊は15人編成。3機で一つの小編隊を組みます。そして五つの小編隊で15名となるわけですが、目之湯に滞在していた5人の将校はこの五つの小編隊のそれぞれ長機、つまり小編隊長だったわけです。

 

駒繋小学校児童たちの証言もいくつか残されていますので、次回以降の記事でご紹介したいと思います