第二章 世田谷へ(3)
【駒繋小学校】①
駒繋国民学校の疎開児童たち
目之湯旅館前にて
駒繫国民学校(現在の世田谷区立駒繫小学校)も学童集団疎開をした学校の一つです。
代沢小学校の「鉛筆部隊」がテレビでも取り上げられるくらい有名になってしまったので
(きむらけんさんのご尽力が実ったのだと僕は思っています)、この他の学校のことはあまり知られていませんが、駒繫国民学校も彼の部隊−誠第三十二飛行隊・武尅隊−隊員たちと交流を持ちました。
駒繫小学校の三年生から六年生321名は第一次疎開として昭和19年8月11日に東京を出発、浅間温泉にある五つの旅館に分宿しました。その一つが目之湯です。
ここには武尅隊・廣森達郎隊長、林一満大尉、小林勇大尉、清宗孝己大尉、結城尚弼(金尚弼)大尉(階級はいずれも特攻戦死昇進後)の5人の将校と整備班長の伊東実少尉が宿泊していました。
彼の武尅隊は15人編成。3機で一つの小編隊を組みます。そして五つの小編隊で15名となるわけですが、目之湯に滞在していた5人の将校はこの五つの小編隊のそれぞれ長機、つまり小編隊長だったわけです。
駒繋小学校児童たちの証言もいくつか残されていますので、次回以降の記事でご紹介したいと思います