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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

麻賀多神社奥宮を出た後、少し歩いたところからバス停へ。目の前のマツモトキヨシで飲み物を買ってたら、出たとき雨が降って来ました。実は雨はここだけでした。


成田山は参道が楽しいですね。落花生も美味しいのは知ってるんだけど、すでにこの日は荷物が重いので、お煎餅と漬物だけにしました。これもすごく美味しかった。あと、参道のお店が元気だと、観光客が神社仏閣よりそっちに集中してくれるのはありがたい😆


新勝寺はとても良いバランスのお寺でした。現役の行場感もあるし、私は歩き疲れて集中力も切れていたので、護摩祈祷まではしてもらわなかったんですが、あの行は修行に支えられないと出来ないことでしょう。そして、その回向にあずかるのは現世利益を求める人たちなわけですが、お不動様は煩悩を焼き払う側面もあるからなのか、懐深い感じはしましたね。僧、信仰で来る方、観光客どこにもフィットしてるのは珍しい。


あまり会ったことないなという感じだったのは、出世稲荷でした。お稲荷さんは珍しくないんだけど、私の印象では異国の神様感がここは強く感じました。出雲系でないということかもしれません。逆に、ここの天満宮は純粋に学問の神様って感じなので、その手の願掛けはオススメです。


私が個人的に好きだったのは光明堂と平和大塔。光明堂は私がお祈りしてるときは人がちょうど途切れてました。そして、平和大塔のお不動様の迫力たるや!あとは、聖徳太子堂も良かったですね。私は、中山康直さんの『聖徳太子コード』で書かれてた聖徳太子・役行者・空海のラインっていうのを結構信じていて、新勝寺はそれを感じさせるお寺でした。古代からではなく、平安時代に作られたお寺がその霊統を引き継いでるのが逆に感慨深かったです。


というか、これを書きながら調べて分かったんですが、そもそも新勝寺は平将門の乱を鎮めるために来た不動明王が京都から来たことがきっかけで出来たんですね。将門公つながりも感慨深い。


参道の入り口にある大師堂


薬師堂。元本堂。今の前のものが釈迦堂、その前が光明堂、そしてこれはその前の本堂です。


弁財天堂


山門






こわれ不動尊。そんなに壊れてなくない?


本堂




聖徳太子堂




釈迦堂。着いたときにご祈祷が始まってました。


出世稲荷


天満宮。ここの天神様は純粋に学問の神様なので、試験関係の願掛けは良いと思いますよ。


光明堂。私はここが好き。


成田山内陣十六講日丸講の庭


清瀧権現堂・地主妙見宮



醫王殿と平和大塔


平和大塔


この先は電源が。。。

千葉にある麻賀多神社に参拝に行きました。そして、あわせてその手前にある宗吾霊堂にも行ってきました。行く前からこの宗吾霊堂もGoogleマップで調べているときに気になっていて、実際に行ったところで、その意味も分かってきました。

 

この日は朝一の飛行機で関空から成田へ飛びました。大阪も関東も雨でしたが、空の上はきれいな晴れ。

 

 

 

京成線の宗吾参道で降り立つと、雨は降っていないんだけど、ガスっている感じでした。しかし、これは後ですごく実感するんですが、御神気でした(この時もそうかなとは思っていました)。宗吾というのは、江戸時代初期に領主の重税に苦しむ領民のために将軍に直訴したため、家族もろとも処刑された義民といわれています。通称は佐倉宗吾。Wikipediaを読むだけでもいろんな説があるんですね。史実はともかく農民のリーダーとみんなが信じて尊敬してきたことは間違いありません。

 

 

 

 

 

 

宗吾霊廟。

 

山門

 

 

 

事前にそこまで詳しく調べて行かなかったので、実際に行って驚いたのは、ここは単にお堂ではなく、真言宗豊山派別格本山の東勝寺というお寺で、Wikipediaによると、大正時代からここに移転してきたが、このお寺自体、桓武天皇の勅願で坂上田村麻呂に作らせたという古い歴史を持っているんですね。でも、ここの本尊は(佐倉)宗吾なのです。私が感じたのは、とても地域のリーダーというだけのエネルギーではなかった、ということです。もっと大きい何かと思いました。

 

歳末のお焚き上げ

 

本殿の後ろに回ると、大黒様が祀られていました。説明書きを読むと、なんでも百年くらい前に現本堂を再建された大僧正様が夢で古来より当山を守護している大黒天からのお告げを受けたそうで、本堂の裏仏として奉安されたそうです。大国主様の力だったのか、と思いました。それならば、納得です。私がすごいなと思ったのは、あくまで人霊である宗吾さんが本尊で、大黒天様にそれを支える役を任せている、ということです。このタッグはすごい。

 

階段の上くらいのところに祀られています。

 

大黒天様

 

この日はとにかく御神気がすごく、麻賀多神社まで向かいます。そして、もう驚きもしませんが、この日は雨予報だったのが週の初めくらいから大丈夫そうに変わったものの、直前までは雨が降っており、ほぼ雨に降られずに参拝できました(この後、少しだけ降られました)。一時期は雨の中、数キロ歩くのかと覚悟したのですが。率直な感想を言うと、こんな御神気を調えることが出来る神様たち、私、来る必要あるんだっけ?と一瞬思いました。

 

 

 

麻賀多神社は、地元の方がお正月の準備をされていました(入り口の写真はその姿が映っているので、載せるのはやめますね)。言うまでもなく日月神示で有名な天日津久神社があるわけですが、私はここでは大杉に圧倒され、大権現社に惹かれました。天日津久神社も良いのですが、この日はそれどころではない、つまり、神社どころか、宗吾参道から奥宮(さらに奥まで)とにかく御神気に包まれるくらいだったので、特にここという感じではなかったのです。国之常立命のエネルギーというのも分かります。何というか玉置神社や熊野本宮に私が行ったときも同じ感じでしたし、今思い出したんですが、二上山に行ったときも同じでした。正直、クラクラするほど圧倒的でした。

 

 

 

 

 

 

 

麻賀多神社の大杉は、東国一を謳うだけあって、さすがにすごかったです。推古天皇の時代に奥宮から遷って来たときに、記念にここに植樹されたようです。樹齢1400年以上になるわけです。この日はほぼ人がいなかったので、じっくりと木のエネルギーを感じました。

 

 

 

 

天日津久神社

 

私が横の道を歩いているときから気になっていたのは、この大権現社でした。大権現という名前なので、神仏習合の影響もあるのかなと感じました。ここの木は、大杉に次いでパワーがあるなと私が感じたスポットでした。私はここで般若心経を唱えました。ただ、そんなに神仏習合の感じは強くなく、寺院という感じもあまりなかったですね。

 

 

麻賀多神社から奥宮に向かうのですが、その先の道もとにかく御神気がすごい。奥宮の方も、振り返って麻賀多神社の方もやはりすごいです。

 

 

奥宮がある方

 

台方麻賀多神社の方角。

 

 

 

奥宮の手前

 

 

 

 

 

国造・伊都許利命の古墳の拝所です。

 

 

 

 

 

↓ 何回かチャレンジしたのですが、うまくアップできなかったので、ここから先は写真なしです。

 

摂社の賀志波比売神社(祠)の前で、私は女神のさみしさを感じたのです(あとで調べたら、この名前は天照大神の若い時の名前ということでした)。なぜか分かりませんでしたが、私にはその裏の森に何かヒントがあるような気がしました(あとでここで身滌大祓を唱えました)。あとで動画を見たら、ミシェルさんたちが私が行った前の日に公開された動画で、そこでご神事もされていましたね。彼女たちは香取神宮・鹿島神宮に行き、その後、麻賀多神社奥宮に来ていました。そして、それは御岩神社のご神事から繋がっていたようです。

 

私の場合、ミシェルさんたちと違うのはテーマでしょう。国を治めるということを改めて学んだり、思い出すために来たという感じでした。印波の国造であった伊都許利命と宗吾は同一の魂の生まれ変わりではないかと私には感じられました。そして、それを國之常立命や大国主命が助けたのでしょう。ひょっとすると、平将門公もそうした加護を受けたのかもしれません。

 

何で今回、この三つを一緒に取り上げたかというと、この三つは辺津宮、中津宮、奥津宮のような関係にあると私には感じられたからです。麻賀多神社本社が中心ではあるんだけど、宗吾霊堂も実はどっしりとしていて、おそらく現世的なご利益とかはこちらの方が良いだろうと思います。真言宗豊山派の古刹ですが、東勝寺という名前を前面に出していないところもとても奥床しくて良いですね(成田山新勝寺の名前はこの東勝寺に対して新しく作ったので、新勝寺になったという話もあるようです)。厳しいエネルギーもありながら、優しいエネルギーに包まれている不思議な空間です。麻賀多神社にお参りに行く方はぜひ、こちらも一緒にご参拝されることをお勧めします。

 

阿倍王子神社にある葛之葉稲荷神社にお詣りするために、阿倍野に向かったんですが、その途中、桃が池を通った時に、こんなところに辿り着きました。この桃が池は何年も横を通ってますし、お花見したこともあるんですが、ここにこんな立派な神社のようなものがあるとは気が付きませんでした。

 

ここは意外と面白かったです。一つは、伝説について、もう一つは神仏習合について、です。伝説は池自体が聖徳太子が白蛇を退治して埋めたところから始まり、江戸時代に高津に住んでいた人が夢告を受けて、ここに白蛇を祀ったとのことです。私の感覚では、聖徳太子が白蛇を退治したというのは、後生の牽強付会かなという感じがしています。聖徳太子がここに水神として蛇を勧請したけれども、それが忘れられていたということではないかなと思っています。改心したとか、そんなことでもないような気がします。私の感覚だと、ここに白蛇さんはいらっしゃいますね。

 

もう一つ、神仏習合なんですが、写真のように、祠と仏像が一緒にお祀りされているんですね。おそらく、これは全部がもともとここにあったわけではなく、周辺のいろんなものが開発とともにお引越ししてきた、ということだろうと思います。ただ、寺と神社という形ではなく、祠、石仏という民間信仰レベルでの仏教と神道への信仰が、かえって二つを融合させた状態を維持させたとも言えそうです。ここは意外とパワフルでしたね。


追記:そういえば、ここは股ヶ池大明神という名前で、まさに神仏習合時代の呼び方を今に引き継いでるんでした。

 

 

 

 

 

こちらが白龍大神。つまり白蛇さんだと思いますが、ここに限定されてという感じでもない気がします。

 

 

 

なぜ葛之葉稲荷に向かったかというと、ある女性の教え子と急に「葛之葉」のイメージが重なったからなんですね。というか、別の教え子からどっか神社仏閣に行きたいと言われて、その子たちは別のところが思い浮かんだんですが、そのとき、別の子はどうかなと思ったときに「葛之葉」が出て来たんです。私は信田森の方も行ったことがあるんですが、今回は明確にこちらでした。なんとか誰かにコンタクトを試みたんですが、それ以上はよく分からないので、久しぶりに王子神社に行ってみたというわけです(ただ、まだこれを書いている時点でも伝えてない)。

 

王子神社というのは、熊野に行ったときにも少し調べてみたんですが、昔は熊野街道沿いに九十九王子社があって、ここはそのうちの一つだったんだけど、大阪で残っているのは唯一なんですね。改めて、拝殿を参拝すると、熊野の素戔嗚尊のエネルギーと同じですね。ちょうど拝殿の前で身滌大祓を唱えるタイミングで太鼓を宮司さんが鳴らされて、びっくりしました。ちょうど今週、別のワークショップ的な場所でスサノオのエネルギーを感じる体験があって、そのときに、これ最近、使ってたなという感覚がありました。使ってたというか、自然とエネルギーが乗っていたときがあったなという感じです。隣の印山寺は元神宮寺で、本尊は薬師如来なんですね。本当は素戔嗚尊と薬師如来はあわせてお参りしたいところです。昔、天照大神は男性神だった時代もあり、それなら、なぜより出雲色が強い熊野権現の方が中世は信仰されたんだろう、というのは、私の中ではちょっとひっかかる疑問です。

 

ちなみに、葛之葉稲荷まで来たものの、なぜここなのかよく分からなかったのと、私ではダメということだけは分かりました。とにかく、私はお呼びではなかったですね。ちなみに、若いお母さんと小さい女の子が私が拝殿をお参りした後に並んでいて「あ、この人たち!」と思いました(よほどお願いしようかと思いましたが、声をかけませんでした)。その後、彼女たちは葛之葉稲荷もお参りしたんですが、その後、明らかにエネルギーが変わりました。それはともかく、安倍晴明神社は女性客も人気なんですが、女性のみなさんぜひ王子神社の摂社・葛之葉稲荷神社で霊弧「葛之葉さん」にお詣りしてください(さすがの私も不特定多数の女性に向こうもお参りしたらいいですよと勧めるだけの度胸はなかった(笑))。

 

 

王子神社を後にして、帰り道、法楽寺に寄りました。私、ここのお寺好きなんですよね。この三重塔、般若心経を唱えて9回回るみたいなので、初めてやってみました。何といっても、この大楠ですよね!

 

 

本堂に行く前に、ここで呼び止められて、般若心経を唱えました。

 

 
本堂もとても素晴らしく、今日はここの和尚さんが書かれた『神と仏の物語』のサンプルを読んだらとても興味深かったので、在庫があるか確認して、購入しました。サイン本はあるかまでは聞けなかったのは残念(笑)。