トトブログ 巡礼記 -16ページ目

トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

年末に氷川三社を歩いてきました。当日の行程は次の感じです。

 

氷川神社(松尾神社、天津神社、氷川稲荷神社、猿田彦神社、宗像神社、舞殿、拝殿、蛇の池、御嶽神社、門客人神社)、諏訪神社、中山神社=中氷川神社(稲荷大明神、氷川荒脛神社、本殿、旧本殿、大黒様と弁天様の御神影パネル)、氷川女體神社(本殿、神明社、今宮神社、石上神社、坂東神社、住吉明神社、天神松尾神社、覺明霊社・一山霊社、御嶽神社、稲荷社、稲荷社2つ目、龍神社、宮本弁天社、磐船祭 祭祀遺跡)、大牧氷川女體神社、大間木氷川神社

 

氷川神社は言うまでもなく、武蔵国の一之宮ですね。明治になって天皇が江戸に入るにあたって最初に来たのが大宮の氷川神社でした。そこまでは知っていて以前も参拝したことがあったんですが、実はこの氷川神社長い間、三社セットで一之宮と呼ばれていたことがあったんですね。そこで、今回はちょっと長いなと思いつつ、三社を歩いて行きました。

 

 

 

松尾社。何か祓戸社のような役割かなとも思います。早く松尾大社にも行きたいですね。

 

天津神社。少彦名を祀ります。

 

宗像神社

 

氷川稲荷社。

 

氷川稲荷神社の手前にある猿田彦。庚申塔みたいなものかな。

 

美しい手水舎。

 

早くもお正月モードの先取りで、混んでいました。

 

 

 

蛇の池。ここから氷川神社は始まったと言われています。数年前に行ったときに比べて、雰囲気が明るく、というか、軽くなっていました。以前は原始の雰囲気を残していましたが。

 

手前が御嶽神社、奥が門客人神社。門客人神社の方がエネルギーがないと思っていたら、あとで調べたら、こんな経緯があったんですね。現在の御祭神の足摩乳命・手摩乳命というのは稲田姫の両親で、私は出雲の八重垣神社で初めて知りました。ただ、八重垣神社の御祭神とは雰囲気が違うなと思いました。アラハバキだったのかというのが私の感想ですが、この神様は私にはまだよく分かりません。名前はもちろん知っていますが。

 

 

 

諏訪神社。

 

この諏訪神社はお寺の雰囲気だと思ったので、この前で般若心経を唱えたのですが、あとで調べてみると、別にお寺であった歴史はなさそう。なんでだろう。鳥居は両部鳥居ですけどね。

 

中山神社。

 

摂社の稲荷神社の方から入りました。

 

稲荷神社の後ろにある謎の石です。個人的には、稲荷神社の社殿よりもこちらの方が本体という感じがしています。

 

ここに荒脛神社がありました。氷川荒脛神社といい、氷川の中で名前が残っているのはここだけのようです。参考になったブログをあげておきます。このRIOさんの記事は氷川女體神社の部分も含めてとても勉強になりました。

 

拝殿。この裏に旧本殿が保存されています。写真はないのですが、私が中山神社で御神気を感じたのは、その旧本殿の前で身滌大祓を唱えていた時です。左側の木々の上の方に龍神の気配を感じました。なんかぬるっと覗かれている感じでした。

 

 

御神影。

 

御神影。私は一回次の場所に向かおうとしていたのですが、気になって戻って来て、こちらの弁財天の御神影写真を求めました。そしたら、わざわざその場でご祈祷してくださいました。素晴らしすぎて、やや申し訳なくなってしまいました。

この二つの御神像は、倒木したご神木から作られたようです。弁財天はかつて見沼に祀られていたらしい。

氷川女體神社の鳥居。

 

氷川女體神社

 

拝殿。氷川神社が男体宮、氷川女體神社が女体宮と呼ばれていたのはよくわかる気がします。氷川神社が男性的なエネルギーだったのに対し、氷川女體神社はどう考えても女神的な女性エネルギーです。

 

氷川女體神社の特徴は、この境内末社に番号が振ってあって順番に回る形になっています。私は最初の1から4くらいまでのちょうど本殿の左横の部分は少し仏教的な空気も感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議なご神木?

 

これもまた不思議なご神木。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗像神社。12番目ラストです。

 

古代祭祀跡。

 

 

 

大牧氷川女體神社。氷川女體神社の御祭神の御子姫を祀ったともいわれています。ただ、往時の氷川女體神社の境内地ははるかに広大だったので、もとはこのあたりも氷川女體神社の境内だったのではという気もしています。

 

本殿。

 

大間木氷川神社。氷川神社の系統はたくさんあるのですが、たまたま歩いていて、すごいエネルギーだったので寄ってみました。

 

 

 

この本殿は、氷川神社の本殿を江戸時代に買い受けて建てたものらしいです。この日のラストに素戔嗚尊と繋がる機会をもらえた気がします。

 

今回、初めて氷川三社を回って思ったことは、古代の見沼の歴史を今に継承しているなということです。同時に、大宮の氷川神社だけではそのことは分からなかったなと感じました。御祭神を見れば、出雲族の影響が大きいことは明らかなのですが、それ以前の見沼(何万年も前には東京湾の入り江だった)の時代からの祭祀も重ね合わさる気がしました。特に、中山神社と氷川女體神社の龍神伝説、それから氷川神社の蛇の池、門客人神社の歴史からもそのことを感じました。私は大阪の八十嶋祭が廃れていったのも、大阪平野が成立したことで八十島のリアリティが失われていったことも影響していると考えているのですが、この地域にもそのことを感じました。ただ、この地域では2000年から祇園岩船龍神祭を開催していて、新たな形で伝統を継承しようとしています。氷川女體神社は歴史的にも仏教の影響が強かった時期もあるようで、幸い、その文化財も残されていて、実際、降り立ってみると、複雑なミルフィーユのような信仰の層を感じられました。氷川三社、古代から続いている神社ですから、時代によって権力を大きな影響を受けて来たのだから、当然ですね。

 

それはそれとして、このエントリを書くにあたって、何人かのブログを読んでみたら、誰も歩いていなかった!みんなバスに乗るんですね。。。でも、最後の二社は歩かなかったら見つからなかったので、それはそれで良しとしよう。

 

追記 そういえば、素戔嗚様も大国主様も龍神伝説があるのですが、中氷川神社で出会った龍神さんはそのお二人とは別の龍神、この地方に古くからいる龍だなと感じました。ずっと、中山神社に常駐しているというよりは、おそらく身滌大祓の祝詞を唱えたので顔を出してくださった、ということかなと思います。もっと自由にこの地域を泳いでいる気がします。地形が変わってもそれが可能なのは、龍神自体の強さと、この地域の人々の信仰もありそうです。