2023年 4月28日、武蔵一宮『氷川神社』に参拝。
御祭神に挨拶したのち、主要境内社を巡りました。
今回は、標記神社をご紹介します。
武蔵一宮 氷川神社
境内摂社
門客人神社
もんきゃくじん
ーヘッド・ラインー
①宗像神社「蛇の穴」
②元・禁足地「蛇の池」
☆☆☆以上「前回記事」☆☆☆
今回記事
氷川神社
(序)表参道
①門客人神社
②アラハバキ神
門客人神社
公式HPでは「もんきゃくじん」とフリガナされていますが、「かどのまろうど」とも読みます。もしかしたら、大宮駅西口のビジネスホテル『マロウド・イン』の名は当社に由来するのかも。
◇鎮座地:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407 氷川神社・境内に鎮座
◇最寄駅:JR&東武線・大宮駅~1.6km
◇御祭神:足摩乳命、手摩乳命
(あしなづち・てなづち)
◇御朱印:なし
(序)氷川神社
江戸時代初期
氷川神社は神仏混淆の「1寺・4社(4座)」による運営でした。
神道側は、4つの神社をそれぞれ4社家が同格で奉斎していました。
男体宮(須佐之男)=岩井家
女体宮(稲田姫)=角井(つのい)家
簸王子宮(大己貴)=内倉家
荒脛巾宮(アラハバキ)=金杉家
→のちに「門客人神社」
つまり、当時の荒脛巾神社(門客人神社)は、現在のように小さな境内社ではなかった、ということです。というか、むしろその逆。
荒脛巾神社は
氷川神社を構成する
中核神社の1つでした。
◆二之鳥居
樹齢1700年超の台湾産ヒノキで造られています。元は、明治神宮の大鳥居でした。昭和41年に落雷で損傷。建て替えとなったため、氷川神社に下賜されました。
江戸時代中頃
氷川神社は、荒脛巾社が1678年に摂社へと格下げされます。
以降、幕末まで「1寺・3社(3座)」の神仏習合社となりました。
明治時代初期
明治元年(1868)に天皇行幸が決定。
その日までに神仏分離を完了すべく、観音寺を退居させました。
次は、「1社=1座」に向けて動きます。
男体社を氷川神社とし、女体社と簸王子社を摂社へと格下げ。あわせて、宮司家は岩井家のみとし、東角井家と西角井家を禰宜へと格下げしました。
宮司を禰宜にしてしまうなんて暴挙もいいとこでしょう。明治政府に対する過剰なまでの恭順姿勢が見て取れます。
これにより、氷川神社は天皇行幸までに
『延喜式』(1社・1座)への
回帰を果たしました。
残念ながら現在は「1社・3座」となっています。
【表参道】
◆常夜燈
竿の部分に、「大神主角井駿河守物部惟臣」云々と刻まれています。
角井駿河守は、現在の宮司家=東角井家につながります。この家系は物部氏の系譜なんですね。
◆岩井家旧宅の門
表参道、三之鳥居手前。右手。
旧・男体社(須佐之男命)の神主家である岩井家の旧宅。
岩井家は、明治末期に退場しましたが、建物は「勅使斎館」として現役続行中です。
◆角井家旧宅の門
表参道、三之鳥居手前。右手。
旧・女体社(稲田姫命)の神主家である東角井家の旧宅。この家系は、現在の宮司家。
このように、表参道は「3社家」時代の痕跡を残しています。
◆拝殿
拝殿で御挨拶を終えたら
門客人神社に向かいます
◆東門
楼門からつらなる回廊・玉垣に設えてある東門をくぐって、斎庭の外に出ます。
東門の位置は、本殿から見て東南の方位です。東門を出たらすぐ左手に鎮座。
①門客人神社
御祭神:足摩乳神、手摩乳神
御祭神は、氷川神社主祭神の1柱である、稲田姫命の親神です。
当社の旧社名は「荒脛巾神社(あらはばき)」。その祭神はアラハバキ神でした。
祭神については、異説があります。
→男體社の東側に、豊磐窓(とよいわまど)命と櫛磐窓(くしいわまど)命の二座を祀る荒脛巾神社があった。
by『新編武蔵風土記稿』
豊磐窓&櫛磐窓とは、忌部系の神で御門守護の神です。
荒脛巾神社・神主家
◆金杉氏登場:天正十八年(1590)
荒脛巾神社は神主不在でした。そこに金杉氏が祭祀に関わるようになりました。「関ケ原」の10年ほど前のことでした。
◆台頭:寛文年間(1661~1673)
この頃、氷川神社は4神主家並立の時代でした。
荒脛巾社の神主家は改姓を重ねました。金杉→小室→出水→氷川。
神主=氷川内記は、京都・吉田神社に取り入って成り上がりました。ついには、神社名を姓にしてしまうほどの権力を握りました。
◆失脚:延宝七年(1678)
おごれる氷川内記が幕府の禁を犯しました。
結果・・・
荒脛巾社は
氷川神社の構成4社から
摂社へと格下げ
氷川家は廃止
とされました。
【絵図に見る社名の違い】
埼玉県立文書館から、1790年と1870年の絵図をピック・アップしました。
「北足立地方の文書Ⅰ」~西角井家文書
氷川内記の失脚・摂社へ格下げ、以降の絵図です。
◆『宮中絵図面』寛政2年(1790)
●印が当社
荒箒社(荒脛巾神社)と記されています。
鎮座地は現在地とほぼ同じ。
◆『三宮絵図』明治2年(1870)
●印が当社
門客人社と記されています。
鎮座地は現在地とほぼ同じ。
両図の鎮座位置から見て、荒箒社と門客人社は同じものと考えてよいでしょう。
社名変更は、明治維新(1868年)直後の可能性が高いと考えられます。
このタイミングで社名変更を余儀なくされた神社が山ほど存在します。併せて、神社側は、祭神を記紀に書かれた神にすげかえました。
(例)祇園社(牛頭天王)→八坂神社(素戔嗚尊)など
◆地主神
現在、氷川神社にて祀られている出雲系の神は、武蔵国造一族とともにこの地に乗り込んできたもので、先住の神はアラハバキとみられる。
by『武蔵野古社』菱沼 勇
アラハバキ神は、客人神(門客神)となっている例が多く「元々は主神だったのが、客人(まれびと、まろうど)の神に主客転倒したものと言われている。」
byウイキ
祭神変更
明治初頭、新政府は神道を頂点とした宗教再編を行うため、神仏分離政策を打ち出しました。このとき摂社の祭神をアラハバキから足摩乳・手摩乳へと変えた。これは、新政府への忖度ではないでしょうか。
一宮ともなると、たとえ摂社といえども祭神がアラハバキ神ではまずい。氷川神社はそう考えたかもしれません。なぜなら、アラハバキ神は日本神話に出てきません。そこで、記紀から足摩乳と手摩乳を持ってきた。稲田姫の親神なら問題ないだろう、と。稲田姫は、御祭神=須佐之男命の妃神です。
②アラハバキは蛇神?
アラハバキについては、柳田国男や谷川健一などの説が一般的です。ほかにもいろいろな説が存在します。
アラハバキ
=ハハキ=蛇神
「ハバキ・ハハキ」の「ハハ」は蛇の古語であり、「ハハキ」とは「蛇木(ははき)」あるいは「竜木(ははき)」であり、直立する樹木は蛇に見立てられ、古来祭りの中枢にあったという。
by『日本人の死生観 蛇-転生する祖先神』
吉野裕子(人文書院)
ハハキ神は
伊勢・皇大神宮の
御敷地にも祀られています
◆伊勢神宮のハハキ神
皇学館大の阪本広太郎氏は、次のように語ります。
「屋乃波比伎神(やのはひき)は、古く、矢乃波波木神(やのははき)とも称し、…」
by『山の神-易・五行と日本の原始信仰-』
吉野裕子(人文書院)
◆屋乃波比伎神
板垣御門の外、石段の東側18段目に南向きに祀られ、社殿はなく石畳の上に鎮座します。一般人はお参りできません。社格は所管社。
◆皇大神宮
ハハキ神 鎮座地の略図
東南=辰巳
→この神は、ご正宮・神庭の守護神です。
by『山の神-易・五行と日本の原始信仰-』
伊勢神宮におけるハハキ神
①祭神:皇大神宮の地主神
②鎮座地:板垣の外
③鎮座方位:正殿の東南=辰巳
④祭祀時刻は巳の刻
by『日本人の死生観 蛇-転生する祖先神』
吉野裕子(人文書院)
上記①~④を氷川神社に当てはめたところ
①~③がピッタリと重なりました。
門客人神社のハハキ神
①祭神:氷川神社の地主神
②鎮座地:玉垣の外
③鎮座方位:本殿の東南=辰巳
◆門客人神社
蛇神は荒脛巾神社のアラハバキだけではありません。
門客人神社の御祭神もまた蛇神と解釈できます。
これは、何度か書いてきましたが、繰り返させていただきます。
足摩乳=あしなづち
あし=足、な=無い、つ=~の、ち=神霊。
すなわち、「足の無い神霊」
手摩乳も同様に「手の無い神霊」
足や手が無い神霊とは、蛇の神霊ということになります。
以上、門客人神社とは、かつてアラハバキ神を祀る荒脛巾神社でした。この神はハハキ神であり、蛇神と考えられます。
ハハキ神は、伊勢神宮でも見られます。本殿を守護する地元神で、その鎮座地は辰巳の方位。祭祀時刻は巳の刻です。これは、蛇神であることを踏まえているものと考えられます。
荒脛巾神社は、明治維新の「文化大革命」によって門客人神社へと名を変え、併せて祭神をアラハバキ神から足摩乳命・手摩乳命へと変更しました。記紀の神々の中からこの神を選んだ理由は1つ。表向きの祭神名を変えても、本質である蛇神であることを変えたくなかったため。とそう解釈します。
【御朱印】
門客人神社の御朱印はありません。
氷川神社のものをアップします。
初穂料500円
【参拝ルート】
2023年 4月28日
START=JR京浜東北線・さいたま新都心駅~550m~表参道・一之鳥居~(稲荷神社~天満宮)~二之鳥居~(稲荷神社~勅使斎館)~三之鳥居~斎館~神池&神橋~手水舎~楼門~舞殿~祓殿~拝殿~授与所(御朱印)~ 東門~門客人神社 ~御嶽神社~ひょうたん池~御神水所~花手水の塚~御神井~蛇の池~宗像神社~蛇の穴~猿田彦大神の祠~稲荷神社~松尾神社~天津神社~六社合祀殿~白鳥の池~官幣大社の社号標~ボート池~600m~東武線・大宮公園駅=GOAL
【編集後記】
◆アイヌ語
アイヌ文化は、琉球文化とともに縄文の文化が色濃く伝わっている、されています。
アイヌ語に「アラハバキ」という言葉があります。その意味は「女陰」。
ちなみにアイヌ語には「クナド」という言葉もあります。岐神の「クナド」と同音です。こちらの意味は「男根」です。(了)