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トトブログ 巡礼記

時空を超えた自分との出会い

昨年から気になっていた磐長姫。昨年は夏に貴船神社に行きましたが、本番は伊豆半島だなということは分かっていました。だいぶ、前からルートの検索はしていたのですが、1月になってジンジャーさんが白濱神社に行かれたことをブログに書かれていて、あ、最後のピースはここだと思いました。というか、2025年9月にも行かれていて、私はそのエントリも読んでいたはずですが、たぶん、そのときはきれいなところでいいなあ、自分ではいけないだろうなと他人事のように読んでいたような気がします。


今回も実際にたどったルートを書き出してみます。熱海駅レンタカー→大室山(浅間神社)→素戔嗚神社→八幡神社(稲取)→白濱神社→三輪神社→雲見浅間神社→弁財天→大瀬神社です。大室山と雲見浅間神社は磐長姫の関係で、すぐ分かったんです。実は1月2日に実家の近所の浅間神社にお参りに行ったときに木花咲夜姫様から「お姉ちゃんのところに早く行ってください」というメッセージをいただいていたので、それが今回の伊豆行きを早めた理由です。

 

改めて自分の昨年のエントリも読み返してみましたが、実は三島に行ったときに、白滝公園で磐長姫を感じていたんですね。まったく忘れてました。ごめんなさい。三島のときの体験は完全にその後の出雲につながる素戔嗚さんの物語として私の中で記憶していました。でも、こういうことがあるから、不完全でもブログのエントリにして残しておくの自分の中でも大事なんだよな。

 

この日は、朝、鍵が見当たらず、バタバタしていたら、手袋を片方忘れて来た(というか、どこかで落とした)らしく、それで最初から調子がくるってしまいました。大室山のリフトは空いていたのはいつもなら喜ぶところですが、めちゃくちゃ心細かった(笑)。そして、高いところから景色を見られなかった。この恐怖心のまま、雲見浅間神社にも行きました。

 

 

天空に近い神の山、大室山。風もすごい吹いているし、高いところ怖いしで、ゆっくり磐長姫とコミュニケーションを取ることが出来ませんでした。情けない。

 

 

私の感覚だと、こちらの石の方が磐長姫を感じました。

 

 

 

浅間神社に向かう鳥居なんですが、私には海と空に向かう鳥居のように思えました。私が中から上がっていったということもありますが。

 

 

 

富士山がきれいに見えました。伝説的には、磐長姫が嫉妬するから木花咲夜姫を象徴する富士山をほめてはいけない、とされているのですが、私にはお二人は仲の良い姉妹に思えますし、そもそも磐長姫はそんな小さいことで、右往左往するような小さい神様には思えないんです。というか、私がいろんなところを回っている中でも、最大限のエネルギーというか、規模を持っている女神様だと思います。

 

 

八ヶ岳地蔵。

 

 

 

五智如来像。昔、浅間神社に安産の願掛けをしてかなった人がお礼にお供えしたという仏像。とてもエネルギーがあり、ここにもマッチしていました。

 

帰りのリフトで体を固まらせながら、運転です。時間の都合で辞めようかなと思っていたんですが、ちょうど曲がるタイミングで気付いてしまったので、稲取の素戔嗚神社と稲取の総鎮守八幡神社にお詣りに行きました。

 

 

 

 

素戔嗚神社の前、伊豆は河津桜がもう咲いています。たまたま走っていたのは、実家の近くを走ってる、私にとっては子どもの頃から親しんでいる田園都市線から払い下げられた車両です。毎朝、ものすごいラッシュで、神奈川から埼玉まで運ぶよりも、景色の良いところで、美しい景色の中を走る方が、幸せかもしれないなと思いました。

 

八幡神社。やはり港の神社という感じがしますね。あんまり応神天皇という感じはしないです。伊豆の海の神様が時々お寄りになる、そんな感じでしょうか。

 

 

吊るし雛が飾られていました。美しい。

 

白濱神社に着きました。まずは海の神社からです。

 

 

絵になる鳥居。映えるという表現がSNSでは当たり前になりましたが、あえてここは古風に絵になると言ってみたい気分です。

 

 

 伊豆の美しい海を堪能してください!

 

というか、海が美しすぎて、海の神様のことはすっかり忘れてました。友達が言うにはここには龍神さんがいるそうです。

 

いよいよ白濱神社の境内に入っていきます。

 

 

この木、あとで大瀬神社にいったときに知りましたが、ビャクシンというのですね。

 

 

薬師如来様。神仏習合の名残ですね。素敵です。

 

 

 

 

見目の弁財天様、とても美しい姿でした。

 

拝殿の横から上がっていくと、本殿になります。ここから神域になりますが、実際に空気も全然変わります。ただ、私がここで対峙したのは女神様というよりは、事代主様と感じました。今から思うと、拝殿の方は見目の弁財天さんもそうですが、全体的に女性的なエネルギーに満ちている感じでしたが、こちらの本殿の方は雄神の気、特に事代主様かなと思いました。常駐しているかどうか分かりませんが、ここにいらしている感じでしたね。とにかく山や周りの木々の空気も、御神気と表現するしかないような感じでした。自分で何をしたのかは分かりませんが、私はとにかくその場に行くことが重要なようなので、ただ身滌大祓だけを唱えました。

 

 

 

 

白濱神社を出た後、雲見浅間神社に向かうときに、ナビのせいで山道を走らされました。これなら国道をそのまま行けばよかったのでは、というところも通りました。ただ、そのお陰で写真の三輪神社にたどり着きました。ここは賀茂郡というようですね。今回の伊豆をめぐる旅のなかで、その地名からしばしば出雲を感じることが多くありました。そう考えると、役行者も単に伊豆に流された、ということではなく、伊豆にスピリチュアル的に重要な仕事で派遣される任務があり、表向きは左遷というか、流されることになっていた、ということなのではないかなと思いました。実は、菅原道真公の太宰府左遷も同じ意味があったと私は思っています(昔、霊感のある友達に、単なる左遷ではなくスピリチュアル的に重要な意味がありましたか聞いてもらったんですが、そのときの答えはイエスでした)。

 

追記 全然、間違えてました。。。すみません。ここは下小野の三島神社でした。そして、式内社の阿米都加多比咩命神社の論社で、阿米都加多比咩命と誉田別命(応神天皇)を祀られているようです。応神天皇の方はどう考えても後付けだな。というと、本命は阿米都加多比咩命。でも、三輪神社だと思い込んでいて、全然大神神社と違うなと見当違いなことを思ってました。そりゃそうだ、あほすぎる。

 

 

そして、ついに雲見浅間神社に着きました。杖を借りていざ頂上へ、向かいます。

 

 

 

 

雲見浅間神社は拝殿、中之宮、本殿(御嶽浅間宮)の三社で構成されています。拝殿の横にはいくつかの祠がありました。この三社は扉を開けて参拝するシステムで、特に拝殿は中に入ってお詣りすることが出来ます。この拝殿の中には祝詞がありました。そして、多くの奉納品がありました。どれも素晴らしい作品たちです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿から中之宮へ続く階段。

 

 

中之宮の横からの景色。

 

本殿の直前ですが、ここだけ広場になっているので、写真を撮れました。あとは怖くて、無理(笑)。

 

 

 

本殿のところにも拝殿とは別の祝詞がありました。いずれも雲見浅間神社オリジナルです。参拝者のことを考えたとても素晴らしいエネルギーがある祝詞です。磐長姫の御前で唱える祝詞なので、ぜひ実際に姫様の御前までいらした方は祝詞を奏上なさってください。

 

 

有名な本殿横の頂上から見下ろした光景ですが、御神気の風もすごく吹いているしで、怖かったので座りながら撮りました。もう分かったから風よ、止んでと思いましたが、全然変わりません。

 

 

本当に向こうが覗けませんでした。。。

 

海岸に降りて、先の弁財天のところに向かいます。海がきれいですね。

 

 

 

弁財天さんのところから海がきれいでした。

 

烏帽子山、さっきまであの頂上にいたんだ、という感じです。この山全体からエネルギーを感じたので、登らなくても良かったんじゃと今、思っていたのですが、どうもそういうことではないらしく、あそこに登る意味はあったようです。あとで考察するかもしれません。

 

 

この日は富士山が単独で見えないなあ、とずっと後も思っていたのですが、よく考えたら、これこそ雲見の真骨頂ですね。

 

 

伊豆の海岸沿いの道はところどころ、休憩所があってどこも素晴らしい景色です。

 

国道が工事中で下におろされたところ、途中で美しくて写真を撮りました。でも、この後、良いタイミングで2台とすれ違うことが出来ました。

 

ついにこの日の最終目的地、大瀬神社にやってきました。正直、日没まで間に合うかどうか微妙でしたが、ギリギリ16時半くらいには着きました。でも、夕暮れ時にここにいることが重要だと思っていたので、いつも通りお任せしてみれば、最高の予定調和でした。

 

遠くに富士山を臨む。

 

 

 

 

 

 

 

何で下駄なのと思いましたが、引手力命の眷属が天狗さんでそのモチーフなんですね。

 

この赤い布は何?と思ったら、安全祈願のふんどしなんですね。

 

 

 

 

 

 

 

神池を臨む。なぜここが淡水を保てるのか本当に不思議です。だって津波が来たら、一発で海水と混ざるって思いません?

 

 ここの御神木はすごい。スゴすぎて何の木ってなって、今さらながらビャクシンの存在を知ったのです。そういえば、他にも案内はあったはずですが、迂闊でした笑

 

雲見の富士。なぜ人は石があると積もうとするのか(笑)。

 

月が出てきました。そして、謎の雲一閃。

 

今回、一日、伊豆を回ってあらためて伊豆はすごいパワーだなと思いました。私が海岸沿いを走ったからということもあったかもしれませんが、山の力よりも海の力をとにかく感じました。いや、もちろん、大室山などは大室山なんですが、それでも他の山では感じたことがない海の力を感じました。たとえば、京都の常宮神社も海の神社なんですが、背後の奥之院のある山は山という感じでした。そして、伊豆諸島が本当に伊豆とエネルギー的に繋がっているというのも、私としては新しい発見でした。なんというか半島と島がなんで同じ名前なんだろうというのは、子どものときから思っていた疑問だったのですが、実際に見てみると、伊豆半島と伊豆諸島のエネルギー的な繋がりは私には自明のことのように思えました。

 

地名から伊豆にはかつて出雲族がいたこともよく分かりましたが、同時に、出雲王国以前の強い力も感じました。山というか岩、やはり磐長姫は伊豆とともにある、というのが私の実感でした。雲見浅間神社も大室山もたしかにその片鱗は感じましたが、三嶋のときもそうでしたが、富士山から伊豆諸島くらいまでの全体が磐長姫のエネルギーで覆われているのではないか、という感じがしますし、さらに、それは古代よりももっと古い時代からそうなのでしょう。というか、地球の中心に繋がっているというのも実感として、そうかもという気がしています。

 

 

ここ数週間、咳が止まらないので、大神神社にご登拝に行こうかどうしようか迷いました。珍しいのですが、9時半くらいにまだどうしようか迷っていて、結局、あわてて向かいました。狭井神社の社務所で手続きをしたのが11時50分過ぎだったので、こんなにギリギリはさすがに初めてでした。

 

今回はなぜか奈良の盆地が湖(海?)であった時代のイメージが浮かび、そこから得たイメージは地の海原が鏡の役割を得るというものでした。海(湖)が山の(神)鏡になっていたということでしょう。その後、どこでか分からないのですが、檜原神社の三鳥居が浮かびました。この後は普通に上本町まで帰って、15時ごろに生玉さんだけ行こうと思っていただけに、えーっと思いながら、2回も連続で浮かぶので、あきらめて(?)、山の辺の道に向かうことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

山の辺の道から、久延彦神社に向かうところの広場でなにか浄化する必要があるように感じたので、身滌大祓を唱えました。

 

 

 

 

久しぶりの貴船神社。大好きなんですが、こちらまでなかなか来ないので、こういうチャンスは逃せません。

 

 

 

 

 

 

玄賓庵の後ろ。

 

檜原神社の三鳥居の前に立って身滌大祓を唱えたときも結構すごい御神気はあったのですが、一番すごかったのは豊鍬入姫宮の前で身滌大祓を唱えたときでした。なんというかブワーッと風が立ち上がったというか、言葉で伝えるのは難しいのですが、御神気が満ちました。体感で言うと、倍増した感じです。そして、それは私がお宮の横にずれた瞬間に止みました。檜原神社のイメージが来たときに、女神様だなというのを感じていたので、豊鍬入姫(私には豊姫というイメージなんですが)に呼ばれたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

初めて檜原神社の前の参道を歩いて降りていきました。途中、大和三山が一望できるところがありました。左から香久山、畝傍山、耳成山です。大和三山を一望できるスポットとしてはここが一番でしょう。

 

 

桜井駅に戻る途中、あることは知っていたけれども、一度も行ったことがなかった二つの摂社(正確には三つ)に行きました。富士神社・厳島神社と神御前神社です。富士神社・厳島神社もよい神社なのですが、私はその隣に道祖神のように祀られていた千手観音とお地蔵さんにひかれました。というのも、大神神社は廃仏毀釈運動の余波が強く、ほぼ仏教的な痕跡が残っていないからです。ここは例外で、石仏が残っていたのですね。

 

 

 

 

 

 

神御前神社は倭迹迹日百襲姫命を御祭神とされています。卑弥呼とも、三輪神、すなわち大物主の御后(神婚説)とも伝説が残されています。伝説の真偽はともかく、三輪山を遥拝する場所として、ここはベストだなと感じました。今までは私は実は隠れたスポットとしては、八阪神社(大神神社摂社)と金毘羅神社(大直禰子神社の境内)が遥拝する場所として、人も少ないし、良い場所だと思っていましたが、遥拝所はここがベストだと思います。ただ、男性は上の二つ、女性はこの神御前神社がベストという感じもします。ここもやはり女神様の柔らかい優しいエネルギーが満ちています。八阪神社も金毘羅神社も森厳としていて、男性神的な感じがします。

 

 

 

 

 

 

 

帰りはそのまま桜井駅に向かっていこうと思いましたが、途中、思いかえして、大直禰子神社の方に行きました。ここは元大御輪寺で大神神社が神仏習合時代の仏教の中心地のひとつで、今でも神様と仏様の気が入り混じっています。ここにいた十一面観音様は聖林寺にいらっしゃいます。

 

もう10数回は大神神社に通っているのですが、初めてお社の横に行こうと思って覗いてみると、菩提樹がありました。大御輪寺であったときの数少ない名残りです。ただ、力がなくなっているので、樹に手をかざしてエネルギーを送ってきました。少しでも力が戻ってくれれば、うれしいのですが。これからは大神神社に参拝するたびにお詣りしようと思います。

 

 

さて、実は写真は帰りなんですが、行きにここからみたときに、大神神社の拝殿はもともとダンノダイラを遥拝していたのではないかと感じました。今、感じたのは昔はダンノダイラと三輪山が夫婦として、両方、祀られていたのではないかということです。ただ、現在は大国主様は三輪山のご神域にいらっしゃると思います。

 

 

三輪坐恵比須神社にもご挨拶。

 

 

 

 

 

 

 

 

金毘羅神社のエネルギーが以前はすごく重かったのですが、最近は随分軽やかに、何か重しが取れて来た感じがします。何か封印されていたんですかね。金毘羅さんは大国主様なので、ここは事代主様とのコンビでお祀りされていることになります。三輪の初えびすは2月みたいで、大神神社の近くにまで、めちゃくちゃ、幟が立っていました。

 

 

今西酒造で甘酒を買って帰りました。生姜を入れて飲むと、良いと教えていただきました。これ、めちゃくちゃ、おいしいんですよ。

 

 

桜井駅から上本町駅に移動。そのまま生國魂神社と藤次寺をお参りしました。生國魂神社の本殿では、夕方でしたが、どこかの会社の年始のご祈祷をされていたようで、そのうちに笛の音が聞こえてきました。とてもありがたい経験でした。生國魂神社の摂社のところには撮影禁止の札が貼られるようになっていました。特に、英語で書いてあり、外国人向けに書かれたものだと思います。生國魂神社は最近までこのようなものはなかったのですが、やはり外国の方は観光という感覚で来られるので、神社が現役の礼拝所だと伝える意味では必要なことかもしれません。手を合わせてお祈りをする、ということになると、信仰に関わってしまうので、せめて挨拶の意味で頭を下げてから、というようなことがあれば、日本の神様とご縁を結べるのになあ、と思うところもあります。個人的には、写真はそのときの神様のエネルギーを思い出せるので、有難いんですが、残念です。藤次寺は17時閉門で、ちょうど滑り込みで、本堂とお地蔵大仏様をお参りできました。

 

 

 

 

 

年末に海沿いを歩いて結界を貼り直してくれると有難い、というご神託を巫女の方を通じて国常立命様からいただき、そのときに補陀洛山寺に行ってくれ、と伝えられました。何をするでもなく、私の場合、ただ行けばよいとのことだったので、一路、熊野まで目指しました。ちょうど寒くなってきたタイミングで、雪が降ったら無理だなとか、11日は十津川の駅伝なので避けなきゃとか、もろもろ加味した結果、この日に行くことになりました。

 

結果的には、熊野本宮→神倉神社→熊野速玉神社→阿須賀神社→補陀洛山寺(熊野三所大神)→花の窟神社というルートで回りました。スタートは大和八木でレンタカーを借りてです。ただ行く前は補陀落山寺に行ってから新宮を回ろうとか、最初は熊野本宮に行く予定を入れてなかったけれども、挨拶せずに素通りは出来ないなとか、阿須賀神社もGoogleマップで直前にここは行かなきゃとなって見つかったりとか、紆余曲折ありましたが、結局は落ち着くべきベストルートだったと思います。

 

 

 

熊野本宮でご挨拶。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神倉神社には10数年ぶりくらいで来た気がします。この日はとにかく神倉神社を登ったダメージが地味にあとあとまで響いてきました。運転がトータルで300キロくらいだったので。

 

ここに見えているのは猿田彦神社・神倉三宝荒神社です。三宝荒神は仏教の神様ですが、もとは出雲の塞ノ神信仰であったという説もありますね。猿田彦と合わせても、そんな感じかもしれません。位置的には、現在は神倉神社の祓戸的な役割があるのかなという感じがしました。ここでブレスレットを浄化させていただきました。

 

 

 

 

この写真じゃ、伝わらないと思いますが、こっから大変なんですよ!

 

火神社・中地蔵堂。ここまでくると、ややきつい登りがあと少しになります。

 

満山社。

 

この写真(ここから2枚)は満山社の前のところで、鳥居を入る前のところなんですが、ここは大事な場所であるにもかかわらず、少しエネルギーが滞っている感じがしたので、身滌大祓を唱えてエネルギーが上に通るようにしておきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社殿前から新宮の町を見渡します。今思えば、手前の小さい山が阿須賀神社のところかな。

 

 

 

前に来た時は知らなかったのですが、ネットで事前に読んでいると、ゴトビキ岩の横が祭壇みたいになっているので、そこもお参りしてきました。何人かしかいなかったのですが、私が歩いた後、みなさん、ここも行けるのかみたいな感じで、お参りし始めました。

 

 

この斜面をあがっていくと、ゴトビキ岩の横に着きます。道っぽくないから誰かが行かないと気が付かないですよね。

 

去年、熊野に来た時は、大雨で行けなかった熊野速玉大社にやってきました。近くの駐車場も最後の1台ですっと係のおっちゃんが入れてくれました。ありがとう!

 

 

 

 

とにかく、一番印象に残ったのは、梛の御神木でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真であえてあげてないのですが、速玉大社の中で唯一気になったのは新宮神社が元気がないなと感じたこと。なんですかね。ここも身滌大祓を唱えました(基本的にはメインの社殿の前では唱えていますが、摂社だとスルーするところもあります)。

 

当初予定に全く入っていなかった阿須賀神社に来ました。すごくよかった!後ろの蓬莱山もパワーがあるのですが、海の神様という感じで、開放感もすごいんですよね。個人的には速玉大社や神倉神社よりもお勧めしたいですね。伝説だと、神倉神社に降り立った熊野大権現がこの森に移り、その後、速玉大社に移動したということになっています。

 

 

子守之社の隣の像は、マリア観音にしか見えない。

 

 

 

阿須賀神社から海岸沿いを少し走って、バイパスで那智に向かいます。那智のICのすぐ近くに補陀落山寺はありました。こんなに近いなら、前のときも寄れば良かったとも思いますが、今回、来る必要があったんだなと思いました。前回だったら、サラッとお参りして終わっていたかもしれません。

 

補陀落山寺の隣に熊野三所大神社があり、ここは元は浜の宮王子社であり、神仏分離令以前は補陀落山寺と一体となっていたようです。丁寧に身滌大祓を各所で唱えていくと、エネルギーがきれいに整っていくのが分かりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺と三所大神社の後ろにある渡海上人たちの墓所と一番上には平時子と平維盛の供養塔があります。平時子は水天宮の御祭神の一人二位尼ですね。ここで般若心経と観音経をあげました。光が下りて来たという感じがしました。私がある方に受けたときに伝えられたのは、補陀落渡海をやったことがありますよ、ということでした。私の想像だと、最後の死ななかった僧が私で、これをその後、やらないという決断をしたのではないか、と思います。少なくとも、現世の私だったら、同じ状況になったら、そう判断します。

 

 

光が入って来た感じを表したくて撮った写真ですが、いまいち、動画じゃないから分かりづらいかも。。。

 

どうせお昼をゆっくり食べる時間なんてないだろうと大和八木駅で、柿の葉寿司を買っておきました。

 

一路、北へ。花の窟神社を目指します。意外とあった。

 

花の窟神社では有名な伊弉冊尊と軻遇突智尊が祀られている磐座も良いのですが、その前の手水舎のところにあるご神木と丸石が気になりました。あとから検索したら、高校時代の大谷翔平選手も触ったということで知られているみたいですね。

 

 

 

 

 

 

ここが花の窟と呼ばれるところです。

 

磐座の方ではなく、参道の途中で龍神社・稲荷社があるんですが、この後ろも、多くの神社だった普通に磐座と呼ばれてもおかしくないような石があり、こちらもパワーがありましたので、ぜひ忘れずにお詣りください。

 

 

 

 

花の窟神社もちょうどその数日前にインスタのリールか何かで出て来たんですよね。気になるなと思ってチェックしたら、熊野?あれ、それなら行けるかなと思って調べ出したんです。結果的に言うと、補陀落山寺と花の窟神社で昨年行った熊野本宮、那智大社、玉置神社も含めて、熊野参詣が完成した感じはしました。特に、海の結界を張るというミッションが私に課せられているとするならば、この二つにはどちらも行く必要があったように思いました。

 

そして、この後、伊豆に行くんですが、そのとき高いところと海が怖かったというのは、この補陀落渡海のときの経験とも関係があるかもと思いました。でも、熊野を歩いていた時は、まったく怖くなかったような気がしていたんです。それよりも理念的な思いを大事にしていて、結果的に感情を蔑ろにしていたのかもしれません。

 

2026年2月2日記録。